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            "comment": "蔵造りを生かしたレトロモダンな店内が特徴的なお店です。イタリアンを中心とした創作料理と、オーナー自らが持つソムリエ資格で厳選されたワインや豊富なお酒を楽しむことができます。店のコンセプトは「ビストロ（気軽に楽しめるレストラン）＋バー（料理に合わせたお飲み物）」。イタリアンをベースにしながらも、地元の食材や旬の食材をシンプルで素材を活かした料理で楽しめるのが特徴です。本格的な欧州料理が手頃な価格で味わえるのも魅力的です。パスタやピザ、ステーキなどの肉料理がメニューに並んでいます。また、ドリンクも充実しており、ソムリエが厳選したワインや旬のフルーツを使ったカクテル・ノンアルコールカクテルなどがあります。料理や季節に合わせて提供されるこだわりのドリンクも楽しませてくれます。店内はお洒落な雰囲気が漂い、蔵造りの建物を生かしたレトロモダンなデザインが居心地の良い空間を演出しています。地元の食材や旬の食材を活かした料理・厳選されたワインや豊富なお酒を楽しめるバーとして、地元の人々や観光客に親しまれています。洗練された雰囲気と充実した料理とドリンクのラインナップで、食事やお酒を楽しむ場として人気です。",
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            "name": "Go To トラベル Go To イート",
            "comment": "Go To トラベルやGo To イート事業をご利用の方は、対応店舗を各公式サイトでご確認ください。情報は定期的に更新されていますので、公式サイトのマップ検索をご利用いただくのがおすすめです。Go To トラベルGo To トラベルにおいて、地域共通クーポンが使用できます。公式サイトで使用できる店舗を検索するGo To Eat福島県では、「Go To Eat キャンペーンふくしま プレミアム食事券」を発行します。公式サイトで使用できる店舗を検索する",
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            "comment": "閉店しました。新たに会津七日町INNがオープンしています。2020年4月、七日町通りに新しくオープンしたゲストハウス。3階建ての建物の1階は、電源やWiFiを完備したコワーキングスペースやカフェとなっており、2階と3階は宿泊可能な客室となっています。コワーキングスペースやカフェのみの利用も可能となっており、おしゃれな七日町通り沿いでの仕事や息抜きにおすすめです。客室は、人数や予算・和洋の好みに合わせた各タイプを用意しており、リーズナブルなお値段で宿泊できます。また、宿泊に関連した無料サービスも充実していますので、安心してお泊りいただけます。割引プランやクーポンを見る",
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            "comment": "閉店しました。七日町通りと大町通りが交差する「大町四つ角」ほど近くにある、「One's home～ピッツァ＆カフェ～」の姉妹店として、ここ七日町通りにオープンしました。こだわりの玄米おにぎりが人気となっています。おにぎりは店舗での飲食に加え、お持ち帰り・予約も可能となっています。おみやげなどにもおすすめです。",
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            "comment": "閉店しました。大町四つ角にあるイタリアン料理店です。イタリアンながらも新しいエスプリや食材を意欲的に取り入れています。とっておきの贅沢な時間をリストランテ ルーチェで。",
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            "name": "Teppanyaki あいづ家",
            "comment": "フランス料理をベースとした会津の創作料理レストランです。本格フレンチシェフが腕を振るう会津食材を使った創作料理の品々。店内の鉄板を使った、豪快ながら繊細な味わいの鉄板焼もおすすめです。また、会津特産のみそを使用した「ゆず味噌ソフト」も人気メニューです。以外な組み合わせにも思えるかもしれませんが、相性の良い味噌とソフトクリーム。テイクアウトも可能です。店舗内にはおみやげコーナーやミニギャラリーも併設。料理以外にも楽しめるコンテンツも充実しています。",
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            "comment": "会津初のウイスキー専門店。オーナーさん厳選の世界各国のウイスキーが揃っています。店内では試飲もでき、相談しながら自分にあった味を見つけることもできます。会津といえば日本酒のイメージが強いですが、その中でもウイスキーの良さに気づくことができる品揃えになっています。ウイスキーにぴったりな成城石井のおつまみも散り揃えています。店名のアクアヴィテは命の水を意味しているように、生きる力となるウイスキーをぜひどうぞ。",
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            "comment": "会津でも珍しい粉物のお店といえば、ここ双月。関西出身のおかみさんの本格的なお好み焼きやもんじゃ焼きをいただけます。お店の鉄板は長い間使われてきたもので、鉄板からもいい味がでるのだそうです。自分で焼くのも良し、プロに焼いてもらってふっくらと仕上がったものを食べるのも良し。鉄板の上でいつまでも熱々のものを、ふうふう言いながら食べるのがおすすめです。お店は目立たない場所にありますが、地元の人々に長く愛されてきた老舗の名店です。店内テーブルは適度な仕切りもあり、落ち着いて食事できる雰囲気です。",
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            "comment": "和風テイストの雑貨や小物を販売しています。会津木綿の服やグッズもたくさん。定期的に新作が入荷しているのでお気に入りのお品物に出会えます。会津らしいお土産として・大切な方のプレゼントにもおすすめです。",
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            "comment": "木綿などの小物を扱う雑貨ショップです。店内には、手作りの着物や帯・アクセサリーなど、一点ものの品が豊富に揃っており、それぞれにこだわりを持った作り手の手仕事が感じられます。また、着物の着付け教室も開催されており、初心者でも楽しく学ぶことができます。店内に入ると、そこには日本の美しさが息づいています。伝統的な和の文化に触れたい方、素敵な着物を手に入れたい方には、是非きずな・きもの伝承を訪れてみてください。",
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            "comment": "きものべんりや としの坊は、着物の専門店として豊富な品ぞろえのお店です。また、着物という枠を超えたいろいろな製品を提案しています。例えば、会津木綿という会津の伝統的な布を使用した帽子や傘などが人気です。在庫については公式サイトで確認してから来店されると安心です。着物の着付け教室なども行っていますので、着物を愛する方におすすめのお店です。",
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            "name": "きものギャラリー凜 小袖屋",
            "comment": "きものギャラリー凛は、美しく上品な着物を扱うお店です。このお店では、着物や・小物など豊富な品揃えを誇ります。そして、なんといってもその品質は、最高級のものばかり。着物を通じて、日本の美しさや伝統文化に触れることができるとっても素敵なお店です。お店に一歩足を踏み入れると落ち着いた和の空間が広がります。インドやアジアの印象を和に取り入れた商品が揃えられています。同じ建物の1階には「小袖屋」として、山ぶどうや籐を使用した自然素材のバッグ・からむし製品・更紗の小物など、魅力的な商品が出迎えてくれます。",
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            "comment": "こしいしクリニックは七日町通りに開業している内科消化器科クリニックです。院長はこれまで、会津若松市の竹田綜合病院にて外科科長・診療部長・副院長を務められ、会津の医療向上に貢献してこられました。特に内視鏡検査において多くの患者を診察し、先生に診てもらいたいという患者さんも数多くいらっしゃいます。また、竹田綜合病院とも連携しているのでスムーズな診察と治療が可能です。新しく開業した清潔感のある建物で入りやすい雰囲気です。",
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            "name": "ごはんカフェ×ショップ あいいろ（閉店）",
            "comment": "閉店しました。雑貨屋さんとカフェが一つになったお店です。おしゃれな外観に加え、自家製のものをふんだんに使用したカフェもおすすめです。",
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            "comment": "七日町通りのお蕎麦屋さんです。店内は非常に明るく清潔感があり、落ち着いた雰囲気の中で食事を楽しむことができます。特に蕎麦は丁寧に作られているため歯ごたえがあり、上品で濃厚な味わいが楽しめます。また、野沢菜の混ぜご飯も絶品で、うどんも美味しくおすすめの一品です。鰊山椒漬や白虎飯など多彩なメニューも揃っています。会津らしい食を体験したい方にもおすすめの食事処となっています。会津伝統の美味しい蕎麦をどうぞ。",
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            "comment": "おしゃれな雰囲気が漂う店舗は、地元住民や観光客から親しまれています。つぼや花店は、創業から70年以上の歴史を持つ老舗の花屋であり、地域の花の専門店として多くの人々に親しまれてきました。店内には豪華な花束や鮮やかなアレンジメントが所狭しと並び、季節の花々が彩りを添えています。季節ごとに変わる花のディスプレイは、店内を訪れる人々に花の美しさと鮮やかさを感じさせます。その土地ならではの風土や気候に合った花や、季節感や地域の文化を感じさせる花々が揃っています。また、多様な用途に合わせた花の取り扱いも行っており、結婚式や葬儀などの様々なイベントやシーンに合った花を提供しています。多年の経験を持ち、購入者の要望や予算に合わせた花の提案を行い、大切な場面をより華やかに演出しています。店内には花以外にも、様々な雑貨も取り扱っており花に合わせたアレンジメントやギフトを提供しています。",
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            "comment": "とんかつ大将はおいしい揚げ物が楽しめるお店です。カリッと揚がった厚切りのカツに、20年以上守り続けてきた秘伝のソースがからんで最高の味わいを楽しめるのが魅力です。特に会津名物ソースカツ丼は必食。しっかりとしたソースが絡んだカツとご飯が絶妙なバランスで、一度食べたら忘れられない味になること間違いなしです。 座敷席に加えてテーブル席・カウンター席もあり、アットホームな雰囲気でどんな方でも気軽に入ることができます。お一人様でも、複数人で訪れても心地よく過ごせる空間です。また、リーズナブルなお値段で美味しいソースカツを味わうことができます。ぜひとんかつ大将で！",
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            "comment": "炭を販売するお店です。こちらで扱っているのは、高品質な木炭や竹炭など様々な素材で作られた炭です。自然素材を使用しているため、燃える際の臭いが少なく料理の味を邪魔することがありません。また、長時間の熟成や炭化工程を経た炭は熱が均一に伝わるため、お肉や野菜などを美味しく焼くことができます。ながい炭成館では、炭の種類や使い方についてのアドバイスもしてくれます。",
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            "name": "なぬかまち.com デジタルアーカイブ ",
            "comment": "七日町通りや会津若松市に関する資料を公開しています。それぞれの時代を写し取った写真や図柄は、その時代のタイムスリップへと誘います。画像データの使用には利用規約をご確認ください。若松市七日町通 発行年：不明品目：絵葉書画像枚数：１画像内容：若松市七日町通サイズ：0.26MB若松市大町停車場通 発行年：不明品目：絵葉書画像枚数：１画像内容：若松市大町停車場通サイズ：0.25MB岩代 会津若松市盛街 大町堅町及二ノ堅の景 発行年：明治・大正（推定）品目：絵葉書画像枚数：１画像内容：岩代 会津若松市盛街 大町堅町及二ノ堅の景サイズ：0.21MB若松市大町通リノ一・二 発行年：不明品目：絵葉書画像枚数：2画像内容：若松市大町通リノ一・二サイズ：0.46MB若松市街 発行年：不明品目：絵葉書画像枚数：2画像内容：若松市街サイズ：3.5MB郡山橋本銀行若松支店 年：1927年（昭和2年）品目：絵葉書画像枚数：6画像内容：表紙 / 裏表紙 / 新築工事概要 / 支店全景 / 来賓室 / 営業室の一部サイズ：12MB會津若松市地圖 発行年：昭和6年（1931年）品目：地図画像枚数：1画像内容：會津若松市地圖サイズ：4.49MB蒲生若松城下明細全図 / 蘆名時代黒川城市図 / 会津小田山城明細図 発行年：1911年（明治44年）品目：地図画像枚数：2画像内容：蒲生若松城下明細全図 / 蘆名時代黒川城市図 / 会津小田山城明細図サイズ：18.7MB会津若松市観光案内 青木志満六作 鳥瞰図 発行年：昭和8年（1933年）品目：地図画像枚数：2画像内容：会津若松市観光案内 青木志満六作 鳥瞰図サイズ：5.02MB会津若松市名所案内 発行年：大正10年（1921年）品目：観光案内画像枚数：1画像内容：会津若松市名所案内サイズ：4.45MB会津若松 産業と名所案内 発行年：不明品目：観光案内画像枚数：2画像内容：会津若松 産業と名所案内サイズ：6.04MB会津名所 遊覧案内 発行年：不明品目：観光案内画像枚数：2画像内容：会津名所 遊覧案内サイズ：5.47MB会津名所 若松市七日町通り 発行年：1939年（昭和14年）消印、会津本郷郵便局から満州宛品目：絵葉書画像枚数：1画像内容：会津名所 若松市七日町通りサイズ：1.7MB郡山商業銀行若松支店営業案内 発行年：1922年（大正11年）品目：パンフレット画像枚数：1画像内容：郡山商業銀行若松支店営業案内サイズ：2.3MB會津東山温泉案内 発行年：不明品目：パンフレット画像枚数：2画像内容：會津東山温泉案内サイズ：8.9MB會津東山温泉案内 発行年：不明品目：パンフレット画像枚数：2画像内容：會津東山温泉案内サイズ：5.6MB會津史跡 飯盛山白虎隊 名勝繪葉書 原色八景 発行年：不明品目：繪葉書画像枚数：11画像内容：會津若松市七日町通り / 會津若松市一の町通り / 會津飯盛山全景 / 會津飯盛山自刃の松 / 會津飯盛山さざえ塔 / 會津飯盛山松平公詠歌之碑 / 會津飯盛山白虎隊木像 / 會津飯盛山辯天堂 / 會津飯盛山白虎隊之墓 / 會津史跡名所飯盛山十九士墓表紙表紙サイズ：6.50MB若松市七日町 関東屋旅館 発行年：明治24年（1909年）消印、関東屋旅館から耶麻郡熱塩加納宛品目：絵葉書画像枚数：1画像内容：関東屋旅館サイズ：1.7MB会津線列車発着時間表 発行年：不明。大正15年（1926年）から昭和9年（1934年）の間。品目：掲示用時刻表画像枚数：1画像内容：会津線列車発着時間表サイズ：7.92MB若松市名鑑 佐瀬三餘（佐瀬一郎）晴耕書屋 発行年：1905年（明治38年）品目：本（一部分）画像枚数：3画像内容：表紙 / 若松市町名一覧 / 攬勝亭（らんしょうてい）サイズ：2.98MB塚原呉服店 発行年：不明品目：絵葉書画像枚数：1画像内容：塚原呉服店サイズ：2.70MB会津名所集 発行年：不明品目：絵葉書画像枚数：13画像内容：表紙 / 東山温泉 幽遂閑雅の浴樓を交わす新瀧橋の美観 / 幽遂閑雅の地柳津虚空蔵尊の全景 / 鬱蒼たる老樹と相和す蠑螺堂の美観 / 鶴ヶ城西出丸の夕照 / 繁華なる若松一の町通り / 明治維新を偲ぶ飯盛山白虎隊の墓 / 風光明媚なる猪苗代十六橋の美 / 東山温泉 老樹鬱蒼として渓流に面す東山温泉地の幽観 / 東山温泉 奇巌渓谷を渡る伏見瀧の絶景 / 東山温泉 老木渓谷浴樓を圍む東山温泉奥地の美観 / 飯盛山ムッソリーニ寄進の碑 / 堅牢なる古城鶴ヶ城の内壕の壮観サイズ：22.5MB会津名所 飯盛山 発行年：不明品目：絵葉書画像枚数：4画像内容：表紙 / 飯盛山白虎隊の墓 / 飯盛山白虎隊自刀の景 飯盛山記念塔 / 飯盛山辨天堂と洞穴 会津飯盛山全景サイズ：10.1MB白虎隊と鶴ヶ城 発行年：不明品目：絵葉書画像枚数：6画像内容：表紙 / 裏表紙 / 會津飯盛山 白虎隊自刃當時の景 白虎隊士の墓 / 會津飯盛山 會津飯盛山の伊太利記念碑 會津飯盛山蠑螺堂 / 會津鶴ヶ城 會津春の鶴ヶ城址 天下の名城・會津鶴ヶ城天守閣と黒鐵門（明治7年）寫す / 會津若松市街 會津若松市街大町通り七夕祭 會津若松市街と冬の磐梯山サイズ：15.2MB若松區裁判所修理記念繪葉書 発行年：不明品目：絵葉書画像枚数：4画像内容：表紙 / 裏表紙 / 若松區裁判所正門 / 若松區裁判所庭園 白露庭サイズ：11.5MB史蹟 鶴ヶ城址 発行年：不明品目：絵葉書画像枚数：10画像内容：表紙 / 裏表紙 / 廊下橋付近の風光 / 太鼓門附近 / 大手門附近 / 西出丸外濠附近 / 西出丸附近の遠景 / 黒鉄門の今と昔 黒鉄門から天主閣を望む / 荒城の月の詩碑 / 昔を偲ぶ武者行列サイズ：23.8MB会津飯盛山 白虎隊二十士 発行年：大正5年（1916年）品目：絵葉書画像枚数：15画像内容：表紙 / 白虎隊略記 / 白虎隊自刃当時の景 / 明治元年戊辰の役に殉じた飯盛山白虎隊の墓 / 津川喜代美・間瀬源七郎 / 石山虎之助・石田和助 / 西川勝太郎・鈴木源吉 / 篠田儀三郎・池上新太郎 / 簗瀬勝三郎・井深茂太郎 / 伊藤悌次郎・津田捨蔵 / 伊藤俊彦・永瀬雄治 / 林八十治・梁瀬武治 / 飯沼貞吉・有賀織之助 / 野村駒四郎・安達藤三郎サイズ：8.08MB會津史鑑 発行年：不明品目：絵葉書画像枚数：10画像内容：表紙 / 野口しかの手紙 / 野口英世博士の教訓 / 白虎隊詩 / 野口英世博士の像 / 中野竹子 / 荒城の月 / 松平容保 / 會津白虎隊参拝記念 / 白虎隊士の墓サイズ：4.97MBデジタルアーカイブ 利用規約画像のダウンロードと利用については、デジタルアーカイブ利用規約を遵守しご利用ください。非営利・画像編集なし非営利目的（条件1）、画像を編集せずそのまま利用する（条件2）。これらの2つの条件を満たす場合には、画像の出典元が「nanukamachi.com」であることを明記していただければ、無料でご利用いただけます。このページからデジタルデータをダウンロードしご利用ください。（画像に直接リンクするなど、当サイトサーバの負荷が著しく上昇する場合には画像を差し替える可能性があります）非営利・画像編集あり非営利目的（条件1）、画像を編集し利用する（条件2）。これらの2つの条件を満たす場合には、無料でご利用いただけますが許諾番号が必要になります。許諾番号を無料発行するには、お問い合わせページからご連絡ください。営利目的、または印刷お問い合わせページからご連絡ください。",
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            "comment": "猪苗代湖の近く、会津若松市湊町に伝わるもてなし料理「豆腐もち」を提供するお店です。和風インテリアの中で和スイーツを楽しめます。",
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            "comment": "会津漆器専門の販売店です。百貨店など各地の店舗でも販売しています。店舗では、長い歴史を持つ漆器の製造・販売を手がける関漆器店が地元の伝統工芸品を一堂に展示しており、会津の文化を体験できる場となっています。店舗の外観は、和風の建物で、一見すると昔ながらの日本の家屋を思わせます。店内には、丹精込めて作られた様々な漆器が陳列されており、その美しい輝きや細やかな彫刻など、職人の技術と情熱が光ります。漆器の中でも特に、蒔絵や金蒔絵といった伝統的な技法を駆使した作品が揃っています。蒔絵は、漆を地にして金や銀・貝殻などの細かい素材を盛り付け、それを彫刻した模様に沿って削ることで、美しい装飾を施した漆器の技法です。金蒔絵は、金箔を磨いて薄く延ばし漆に乗せることで金の輝きを生かした漆器の技法です。これらの技法を使った漆器は独特の美しさと高い技術を持ち合わせており、伝統工芸品として世界的に評価されています。また、店内には漆器の他にも、和雑貨や茶器・陶器なども取り揃えられており、日本の伝統文化に触れることができる幅広い品揃えが魅力です。伝統的な漆器を手に入れたい方や、贈り物を探している方にもおすすめの店舗です。スタッフは、漆器の知識や製造工程について丁寧に解説してくれます。漆器の使い方や手入れの方法なども教えてくれるので、初心者の方も安心して漆器を選ぶことができます。伝統工芸品でありながら、現代の生活にも合う漆器を探してみませんか？",
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            "comment": "安永元年（1772年）創業の老舗ろうそく店です。かつては会津藩お抱えの職人として働いていました。長く雪深い会津の冬を支えたのがろうそく製造の産業でした。そして単なるろうそくだけではなく、ろうそくに色鮮やかに絵付けした絵ろうそくがうまれました。ろうそくに描かれる菊や牡丹などの絵柄は手書きのもので、その絵付けの技は代々受け継がれています。ここでは絵ろうそくの制作工程を知ることができます。予約があればろうそく作りの体験もできるため、お子さんやご家族で楽しむことができます。絵ろうそくは、季節やイベントに合わせてデザインが変わるためいつ行っても楽しめるお店です。店内には、職人が一つ一つ手作業で描いた絵柄のろうそくが並んでいます。自分用にも、お土産としても喜ばれること間違いなしの素敵な商品を取り揃えています。ぜひ一度足を運んで、素敵な絵ろうそくを手に取ってみてください。",
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            "comment": "会津伝統の木綿製品を扱うお店です。会津木綿は、厳しい気候と豊かな自然環境に恵まれた会津地方で育まれた織物の一種であり長い歴史と伝統があります。もめん絲では、そんな会津木綿の美しさや独自性を最大限に引き出し現代に蘇らせた木綿製品を取り揃えています。もめん絲の木綿製品は丁寧に作られており、一つ一つに温かみや個性があります。木綿独特のやわらかな風合いや肌触りも魅力的で着心地も抜群です。また、会津木綿の特徴である丈夫さや吸湿性も兼ね備えており、長く愛用することができます。さらに、もめん絲では木綿製品のお手入れ方法や使い方についても丁寧に教えてくれるので、初めての方でも安心してお買い物ができます。",
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            "name": "よくある質問",
            "comment": "目次体験について観光スポットについて飲食について体験について会津漆器の体験はできますか？会津漆器体験や、会津塗体験は会津若松市内の漆器店で体験できます。【漆器工房 鈴武】福島県会津若松市門田町一ノ堰 会津漆器工業団地【鈴善漆器店】福島県会津若松市中央1-3-28【漆芸　福文】福島県会津若松市中央2-2-9山田民芸工房はどこにありますか？山田民芸工房は七日町通りから少し離れた場所にあります。会津の縁起物である起き上がり小法師への絵付け体験も可能です。【山田民芸工房】福島県会津若松市七日町12-35観光スポットについて霧幻峡とは何ですか？夢幻挟・霧幻挟、もしかして？霧幻峡霧幻峡は福島県大沼郡三島町にある山あいの観光スポットです。いまは廃村になっている集落には只見川を渡し船で渡る必要がありました。季節によっては只見川が霧に覆われ、そこを渡し船が進む幻想的な光景が見られます。会津若松市七日町通りからは車でおよそ50分かかります。散策マップはありますか？七日町駅など主要な場所で印刷版のパンフレットを入手できます。すぐに必要な場合には電子版のPDFをご利用ください。会津若松観光ナビのパンフレットダウンロードから入手できます。会津風雅堂は近くですか？會津風雅堂は以下の住所です。福島県会津若松市城東町12-1ヒューマンハブ天寧寺倉庫は近くですか？丁寧寺、もしかして？天寧寺倉庫ヒューマンハブ天寧寺倉庫は以下の住所です。福島県会津若松市天寧寺町7-38飲食について会津は高遠そばですか？大の蕎麦好きであった保科正之は、初めて藩主となった高遠藩にちなみ会津のそばを高遠そばと名付けたと言われています。大内宿では長ネギで食べるネギそば（ねぎそば）も有名です。会津で有名などんなお店がありますか？名前が知られたお店には以下のものがあります。【鰻のえびや】創業明治35年老舗の鰻屋さんです。福島県会津若松市馬場町1-21【割烹 田季野】田季野（たきの）は会津の郷土料理であるわっぱ飯が有名です。福島県会津若松市栄町5-31【鶴我】鶴我（つるが）は会津の懐石料理や馬肉を使った料理を堪能できます。福島県会津若松市駅前町6-12会津に支店を出した話題のラーメン屋があると聞いたのですが？ラーメンの「うえんで」が会津若松市内に支店を新たにオープンしました。【うえんで 山鹿店】福島県会津若松市西栄町2-17【うえんで 本店】福島県会津若松市大戸町上三寄大豆田11-3.icon_q { height:40px; width:40px; border-radius:50%; line-height:40px; text-align:center; background: #fabf82;    font-size: 150%;}.icon_a { height:40px; width:40px; border-radius:50%; line-height:40px; text-align:center; background: #59c6d1;    font-size: 150%;}.faq_messages {    padding: 10px;    flex: 1;overflow-y: auto;    display: flex;    flex-direction: column;}.bot-container {    flex-direction: row;}.message-container {    display: flex;    align-items: flex-end;    margin: 10px 0;}.avatar {    background: #5755d9;    border-radius: 50%;    color: rgba(255, 255, 255, .85);    display: inline-block;    font-size: .8rem;    font-weight: 300;    line-height: 1.25;    position: relative;    vertical-align: middle;}.bot {    background-color: #ebebeb;    color: #000;    align-self: flex-start;    text-align: left;}.user {    background-color: #dcf8c6;    align-self: flex-end;    text-align: right;}.message {    padding: 10px;    border-radius: 10px;    max-width: 70%;    word-wrap: break-word;}",
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            "comment": "アイバッセは、七日町の路地脇にあるテナントショップです。どこか懐かしい雰囲気の路地に、魅力的なお店がたくさん。アイバッセとは、会津弁の「あいばせ」「あいばっせ」からとったものです。これには「さあ行こう」という意味があります。さあみんなで「アイバッセ」にあいばっせ！",
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            "comment": "その他アクセシビリティの情報に関しては、以下の情報もご確認ください。・会津若松市福祉まっぷ：施設のバリアフリー情報を紹介。・会津ユニバーサルデザインツアーセンター：施設のバリアフリー情報を紹介。・福島県 すくすくひろば：子育てに優しいお店の紹介。.pay_list_ac {    display: inline-flex;    margin-right: 5px;    margin-bottom: 5px;}バリアフリー 対応店舗一覧バリアフリーに対応しています。詳細についてはそれぞれの施設の詳細情報をご確認ください。補助可能（店舗へ要確認）対応店舗一覧車椅子などのご利用に関して人的な補助が可能ですが、事前に店舗までお問い合わせをお願いいたします。ほじょ犬対応店舗一覧盲導犬・介助犬・聴導犬など、補助犬と一緒にご利用いただける施設です。テーブル席あり対応店舗一覧テーブル席のある飲食店で、座敷で正座することを避けたい方でもご利用いただける施設です。おむつ替えスペース対応店舗一覧おむつ替えスペースが完備されている店舗です。授乳室対応店舗一覧授乳室が完備されている店舗です。子供イスまたはソファー対応店舗一覧小さなお子さまも安心して食事ができる子供イス、またはソファーがある店舗です。赤ちゃんも一緒にランチ。",
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            "comment": "キャッシュレス決済対応店舗の最新情報については、各事業者の対応店舗をご確認ください。au pay 七日町通り対応店舗一覧公式サイトで全ての対応店舗をみる楽天ペイ 七日町通り対応店舗一覧公式サイトで全ての対応店舗をみる楽天edy 七日町通り対応店舗一覧公式サイトで全ての対応店舗をみるnanaco 七日町通り対応店舗一覧公式サイトで全ての対応店舗をみるd払い 七日町通り対応店舗一覧公式サイトで全ての対応店舗をみるPayPay 七日町通り対応店舗一覧公式サイトで全ての対応店舗をみるメルペイ 七日町通り対応店舗一覧公式サイトで全ての対応店舗をみる",
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            "comment": "会津のおみやげが揃っているお店です。会津の縁起物である起き上がり小法師などの、地元ならではのおみやげを購入するならココ。",
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            "name": "ドリアン洋菓子店",
            "comment": "ドリアン洋菓子店は、洋菓子好きにはたまらない魅力的なお店です。店舗の外観は、可愛らしい雰囲気が漂い、一歩足を踏み入れると、そこには懐かしさと温かみのある空間が広がっています。季節ごとに工夫されたスイーツは、見た目も華やかで、食べる前からワクワク感が広がります。また、特別なケーキやオーダーメイドのケーキも承っており、大切な日のお祝いにはぴったりです。ドリアン洋菓子店のスイーツは、しっかりした味わいながら、重たすぎない味わいで、幅広い年齢層に愛されています。さらに、店内で焼き上げたパンも販売しており、お土産や朝食にも最適です。一度食べたら忘れられない、素朴で味わい深い洋菓子をぜひご賞味ください。",
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            "name": "バーチャル散歩",
            "comment": "バーチャル散歩地図上では、現在地が「黄色の人形」で表示されています。●散歩するには･･･地図上で移動したい場所を選択します。青色の道路が見ることのできるルートです。●画像をドラッグすると視点を変えることができます。",
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            "name": "パパカルド",
            "comment": "会津若松市七日町通りにある「パパカルド」は、イタリア・東京で修業を積んだシェフが手がける本格的なイタリアンレストランです。イタリアンレストランと聞くと高価で手が届かないと思われがちですが、パパカルドはリーズナブルな価格で、美味しいイタリアンを楽しめるお店です。店内は、落ち着いた雰囲気でシックなインテリアが印象的です。また、シェフ自らが仕入れた新鮮な食材を使っているため、季節感溢れるメニューが豊富でいつ来ても飽きの来ない料理が楽しめます。パパカルドの魅力的なメニューには、前菜からデザートまで本格的なイタリアンが並びます。また、パスタ以外にも、肉料理や魚料理など多彩なメニューが揃っています。パパカルドでは、料理だけでなく店内の雰囲気やサービスにもこだわっており、お客様に満足していただけるよう丁寧な接客を心がけています。また、地元の食材を中心にシェフが納得した厳選されたものだけを使用しています。七日町通りで美味しいイタリアンを食べるならパパカルドで！",
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            "name": "パンフィールシュン （Panfeel SHUN）",
            "comment": "旬の食材を使ったパンが揃っています。人気パン屋さんの職人さんが独立して開店したお店で、おしゃれな雰囲気でパンを販売しています。素材にこだわった本格派パン屋で、地元客にはもちろん観光客にも人気のある場所にあります。店内はナチュラルなパンの香りが漂い、開放感あふれる空間が広がっています。一つひとつ丁寧に作られたパンが美しく並び、目の前で焼き上げられる様子を見ることができるのもこの店ならではの魅力です。Panfeel SHUNのこだわりは素材にあります。厳選された素材を使用し天然酵母の自然な味わいのパンを提供しています。特に、地元食材を使用したパンは会津ならではの風味を楽しむことができます。豊富な種類のパンが揃っており、定番のフランスパンや食パンはもちろん、ハード系やソフト系・甘い系・塩気のある系など様々なジャンルのパンが取り揃えられています。また、季節に合わせたパンもあり、常に新しい発見があるのも楽しみです。店外には座って一休みできるベンチがあります。パンをゆっくり味わうのはいかがですか。",
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            "name": "ベルフィオーレ 会津若松店",
            "comment": "ベルフィオーレ 会津若松店は、脱毛をはじめとしてお肌ケアや体質の改善を目的とするエステサロンです。会津若松店は株式会社あんじゅう平ちゃんが所有する、平ちゃんビルの地下1階にあり、とても便利な立地になっています。神明通り沿いにあるので、アーケードもあり悪天候のときでも気にせず立ち寄れる場所です。会津若松市は脱毛サロンの数がそれほど多くないのですが、ベルフィオーレはその中でも人気の脱毛サロンです。待合室の雰囲気や施術室も清潔で明るく、施術スタッフも気さくに話しかけられる雰囲気で初めての方でも安心して施術を受けることができます。脱毛はTHR方式と呼ばれる（Thermo Heat Remover）方式で、これまでの光に加えて赤外線を多く含んだ光を照射するものです。蓄熱式脱毛として安定した光を照射できる脱毛の技術です。気軽に受けられる脱毛を会津若松市で試してみませんか？",
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            "name": "ベーカリー&カフェ basket. (バスケット)",
            "comment": "フィリピンのパンがおすすめ！こちらのオーナーさんはフィリピンセブ島出身。フィリピンで愛されている本場のパンを購入できます。日本ではあまり見かけないパンかもしれませんが、一度いただけばその魅力が伝わるはず。店内はフィリピンの雰囲気も感じさせるトロピカルなデザインです。そんな店内ではパン以外にも、カフェメニューが充実しています。オーナーさんが営業する別店舗の居酒屋で人気のカレーうどんも評判になっていますよ。七日町駅のすぐとなりなので、待ち時間のカフェとしてもランチのお店としてもおすすめです。",
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            "comment": "ホテル タカコーはとても便利な立地にあるホテルです。七日町通りからはもちろん、鶴ヶ城などの観光地からも徒歩圏内のためアクセスが抜群です。また、飲食店街も近く、高速バスの停留所も近くにあるので身軽に宿泊が可能となっています。便利な立地にありながらも、静かでくつろげる環境となっています。リーズナブルな料金プランが多く、観光でもビジネスでもゆったり利用できるホテルです。女性の方でも安心して宿泊できる雰囲気で、清潔な館内でゆったりとくつろげるでしょう。 割引プランやクーポンを見る",
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            "comment": "ホテルニューパレスは、七日町通りにつながる野口英世青春通りにあるホテルです。市内の中心部にあり、交通の便がとても良い立地となっており、七日町通りはもちろん鶴ヶ城など、他の会津若松の観光地にすぐに行けるアクセスの良さが便利です。近くにはカフェや飲食店も多く、チェックイン・チェックアウトの後もすぐに楽しめる！ホテル内は、デザインとして漆を使い南会津産の器を使ったりするなど、会津らしい空間を味わうことができます。また、宿泊した際にはホテル周辺の地図や各種観光パンフレット・ポケットティッシュ等をプレゼントしています。詳しくは公式サイトをご覧ください。ホテル内はバリアフリーになっており、入り口から客室まで車椅子での移動がスムーズに可能です。さらに、全室Wi-Fiに対応しておりインターネット接続も可能です。七日町通りまでの距離：500m（歩いてすぐ近く）割引プランやクーポンを見る",
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            "comment": "会津五街道の中心部である大町四つ角に位置する老舗ホテルです。観光やビジネスの他、個人の方や団体客にもおすすめです。館内では地産地消の和食処も人気です。割引プランやクーポンを見る",
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            "name": "レオ氏郷南蛮館（閉店）",
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            "name": "七日町パティオ",
            "comment": "七日町パティオは、七日町通りにある商家の蔵を改装したテナントショップです。会津藩の御用達であった芳賀家は幾つもの商品を扱っており、とても栄えていた商家です。そんな芳賀家の重厚な蔵を改装し、レトロ感あふれる外観ながらも最新の設備が整った店舗になりました。現在では食料品を扱う店舗や、飲食店などがテナントとして入居しています。奥行きのある通路を通ると、趣のある空間が出迎えてくれるでしょう。最新のテナント情報は公式サイトでご確認ください。",
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            "name": "七日町地蔵尊",
            "comment": "かつてここには「吉祥院」という大きなお寺がありました。この吉祥院は、同じ会津若松市内に現在でも残る真言宗「自在院」（福島県会津若松市相生町2-18）の末寺として建立されました。吉祥院は、1601年（慶長6年）に越後の僧であった弘信によって開かれ、山号は「長命山」でした。吉祥院の本尊は地蔵菩薩で、子供の健やかな成長を願う子守地蔵尊として知られているものです。享和3年（1803年）から文化6年（1809年）にかけて編さんされた「新編会津風土記（あいづふどき）」にも、記録が残されています。「会津風土記」は、会津藩主 保科正之の名により、寛文6年（1666年）に完成し、それを補完する情報も含まれた新編として作成されたのが「新編会津風土記」でした。「新編会津風土記19巻 若松の5 下町」には吉祥院と地蔵堂について記載されています。その記録によると吉祥院は東西に24間（43.6メートル）・南北に15間半（28メートル）の敷地だったことが分かります。境内の地蔵堂には、1尺7寸（約64.6cm）の地蔵像があり、 外には1尺5寸（約57cm）の地蔵があったことも記録されています。吉祥院境内東西に24間 南北に15間半 免除地この町の北頬にあり 博労町自在院の末寺真言宗なり長命山と号す越後国の僧 弘信という者 この地に来り慶長6年この寺を建て 本尊地蔵客殿に安す地蔵堂境内にあり地蔵像1尺7寸  又外に長1尺5寸の地蔵ありこの像もと当寺の西に堂を建てその中に安すいつの頃にか廢して（廃れて）ここに移すともに古仏なり現在では吉祥院の本堂は残っていません。しかし、吉祥院がどのようなお寺だったのかは当時の絵図や古地図からうかがい知ることができます。例えば、町絵師であった大須賀清光が1851年以降に描いた「若松城下絵図屏風」（福島県立博物館蔵）には、七日町通り近辺に吉祥院と現在も残る地蔵尊の様子を見ることができます。吉祥院が描かれている。現在も残る常光寺と比べるとおおよその建物の大きさが分かる。現在も残る地蔵堂もみえる。また、安政2年（1855年）に発行された「東講商人鑑」（あずまこうあきんどかがみ）にも、会津若松城下が絵地図で描かれています。東講商人鑑は、東日本の商人が結成した集団（講）が発行した、旅に役立つ情報を集めた書物です。その中には認定された宿や主な城下の案内図ものせられています。その中に「奥州会津郡若松城下の図」というページがあり、そこには吉祥院も記されています。中心に鶴ヶ城が描かれ、東西に伸びる通りの様子がわかる。当時の商人はこの地図を見ながら目的地向かっていた。七日町通り付近を拡大したもの。常光寺と並び吉祥院が描かれている。七日町通りの先は米沢街道に通じており、宿場としても賑わっていた。現在も残る地蔵堂には、51.5cmと45.5cmの地蔵が2体安置されています。これらの像は吉祥院の西にあった堂内から移されたものとも言われています。時代が下り、1916年（大正5年）に発行された古地図「戊辰若松城下明細図」（加藤長四郎）にも吉祥院の名前が残っています。また、そこには「言」の文字があり、真言宗であることも分かります。戊辰若松城下明細図の吉祥院。長い時の移り変わりを見守ってきた吉祥院地蔵尊。現代の人々がその前に立つ時、それらの人々も長い時の一部となるのです。現在の地蔵尊敷地内には、松尾芭蕉の「鶯や柳のうしろ藪の前」という俳句が刻まれている句碑が残っています。いつ・誰が句碑を建てたのかは不明ですが、「鶯の声があちこちから聞こえる・・柳のうしろからも藪の前からも」というのどかな風景を想像させるのではないでしょうか。句碑は土台を除くと約60cmほどの大きさです。しかし、なんともいえない渋さと重厚感を醸し出しています。句碑はそれほど大きくはない。亀裂が補修され、大切にされてきた様子が伝わる。松尾芭蕉の句碑はこの近辺にも幾つか見ることができます。西福寺前（福島県会津若松市西七日町3-34）や、阿弥陀寺境内（福島県会津若松市七日町4-20）にある句碑もぜひどうぞ。地蔵尊前の案内板もご覧ください。この場所は「七福神めぐり」スポットの一つになっています。案内板と七福神めぐりのスタンプあり。「地蔵尊」の額が掲げられている。",
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            "name": "七日町市民広場（関東屋旅館跡）",
            "comment": "七日町通りの中心にある広場です。ウッドデッキなども併設され、様々なイベントが開催されています。かつてこの場所には「関東屋旅館」が営業していました。当時の紺屋町戸長の小荒井矢平が、明治25年（1910年）から増改築を行い、庭の周囲を離れ座敷が囲んだ構造の旅館と料亭として営業をしていました。そのため多くの客で賑わい、行政も定宿としていたと伝わっています。明治24年（1909年）の消印が残る、関東屋旅館の絵葉書。なぬかまち.com デジタルアーカイブ ：若松市七日町 関東屋旅館",
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            "name": "七日町通りの歴史",
            "comment": "街の栄光と没落。七日町通りの歴史と現代の賑わいを取り戻すまでの歩みとは？七日町通りは、「大町四つ角」より西に向かい「七日町駅」に至る通りです。近くの「神明通り」は南（地図上では下側）に進むと、鶴ヶ城（会津若松城）へつながる通りとなっています。目次街道へつながる重要拠点江戸時代の賑わい明治時代における交通の発展大正時代の文化発展戦前昭和の町並み戦後昭和と平成 街の低迷とそこからの復活街道へつながる重要拠点大町四つ角付近に建てられている石碑の表面と裏面。表面には「會津商人司簗田家屋敷跡 會津松平一三代 松平保定書」、裏面には説明が記されている。これまでの歴史において、七日町通りにある大町四つ角は他国への街道の出入り口、つまり基点となるところでした。会津五街道とも呼ばれる、白河街道（若松から猪苗代湖南岸を通り白河へつながるルート）・日光 下野街道（日光を通過する江戸への最短ルート）・米沢街道（米沢 山形方面へ向かうルート）・越後街道（新潟方面へ向かうルート）・二本松街道（若松から猪苗代北岸または南岸を経て二本松へ向かうルート）へ接続されており、人馬や物資の重要な通り道の基点だったのです。また、大町四つ角は人通りが多いため、高札場（藩主や代官などの命令が領内に行き渡るように札や紙に記されたものが掲げられた場所）としても用いられ「大町札の辻」と呼ばれていました。さらに重要な拠点であったため、東南角に梁田家、東北角に倉田家の検断（警察や裁判を総括する役職）屋敷がありました。現在、大町四つ角付近には「會津商人司簗田家屋敷跡」という石碑が建てられており、その歴史が記録されています。この地、会津若松市大町四ツ角旧大町堅丁一番地は、文禄元年西暦一五九三蒲生氏郷公が城郭を修造し城下街を建設した折協力の功により会津商人司・検断筆頭の簗田家に賜ったもので、現在の大町一丁目福島相互銀行会津支店の大部分と、さつまや酒店の一部より、東邦銀行会津支店と、会津中合の一部につづくほか、旧大町一之町二六番地現在の中央一丁目 荒井書店と富士銀行の大半を含む広大な地域である。簗田家第七九代左京亮盛胤は、葦名直盛公に随伴して黒川（若松）に来り、至徳元年甲子（一三八四）公の命により上洛し、足利義満将軍より商人司の御朱印を賜わり、商法の諸式を定めた。現在につづく十日市の創設もその一つで、簗田市とも称された。又民間の司法行政徴税、武士を含む通行切手発行等の権限を与えられた。なおこの年大阪住吉大社の御分霊を勧請し、今の材木町に鎮座し奉った。何れも六百年に当る簗田家の商人司並びに検断筆頭は領主が数代替っても一貫してその任に当り、明治の廃藩置県までつづいたのである 。検断は豊臣秀吉公桃山時代に創設、氏郷公以来藩主任命の町方役人であった。 大竹英三書江戸時代後期に大須賀清光※1 （おおすがせいこう ）が描いた若松城下絵図の一部分。大町四つ角付近の様子。高札場を挟んで梁田家と倉田家の屋敷がある。十日市で参拝した田中稲荷の位置関係も分かる。現在の七日町通りの東端も大町四つ角とされている。※1 大須賀清光。文化6年（1809年）4月 - 明治8年（1878年）6月17日。江戸時代後期に活躍した町絵師。裕福な商人で、会津を愛し会津を題材にした郷土の作品を数多く残している。新年行事と七日町の名前の由来現在の田中稲荷神社。当時、正月を迎え10日の未明になると、倉田家の屋根から翁に扮した人物が路上のふんどし姿の男性たちに俵を投げ落とし、上町と下町に分かれた男性たちはその俵を引き合ってその年の米価を占うという行事が行われます。この行事は俵引と呼ばれ、上町が勝つとその年の米価が上がり、下町が勝つとその年の米価が下がると伝えられていました。その後、その年初めての市である「十日市」が開催となりました。十日市では、生活に必要な品々を買い求め市神様と呼ばれる田中稲荷神社（福島県会津若松市大町1丁目1-5）に参拝し、米を買うというのが恒例の行事となっていたようです。その年の初市の初め（正月明け10日）に行われた俵引の様子。倉田家の屋根に人がおり、雪の上を俵が転がった跡が分かる。通りの真ん中には大町札の辻の高札場が描かれている。なぬかまち.com デジタルアーカイブ ：会津の行事この十日市を始めとして、各町で月のそれぞれの日に市が開かれていました。七日町の付近では毎月7日に市が開かれていたため、その地域が「七日町」と呼ばれるようになっていきました。その後、会津藩領内の各地に立つ六斎市（六斎とは1ヶ月に6日ある仏教の思想に基づく斎日。その日にちなんで月に6回開催していた定期市を六斎市と呼んでいた）が開かれるようになり、七日町で開かれる市も六斎市へと変化していきます。このような七日町における市を主催し監督していたのが、商人司検断職でもある簗田家でした。藩主として保科正之が会津に入った翌年である正保元年（1644年）に、七日町は博労町と共に伝馬町（当時の交通手段である馬に関する業務を行う）に指定されました。宝永4年（1707年）には、人馬を手配する「馬指」が置かれています。資料から復元する七日町七日町に関する資料はいくつか残されており、それらを総合すると当時の街並みを復元することができます。七日町についての資料七日町の街並みに関する資料として、現代に残されている主なものは以下の通りです。・新編会津風土記 享和3年（1803年）から文化6年（1809年）・若松風俗帳 文化4年（1807年）・地籍帳 地籍図 丈量帳 明治7・8年頃（1873年・1874年）から明治13年頃（1880年）・屋敷名録 若松後町組分 明治3年（1870年）・屋敷帳 岩代国若松 明治3年（1870年）・後町組分戸籍 岩代国若松 明治3年（1870年）・奉公人名録 岩代国若松後町組 明治3年（1870年）「新編会津風土記（あいづふどき）」は、享和3年（1803年）から文化6年（1809年）にかけて編さんされました。「会津風土記」は、会津藩主 保科正之の名により、寛文6年（1666年）に完成しましたが、それを補完する情報も含まれた新編として完成したのが「新編会津風土記」です。「新編会津風土記19巻 若松の5 下町」には七日町通りについてこのように書かれています。七日町（ナヌカ）北小路町の北に並び大町札辻より西に往通にて越後出羽両国に通る街道なり旅籠屋多し長七町十六間幅四間屋敷一四九軒西に小黒川分の民家連る七日町四谷と云長一町一二間幅三間余屋敷二十軒（即小黒川分地なり）町末より八町一間高久組高瀬村に界フ又此町の末より北小路町に出る小路あり【新編会津風土記19巻 若松の5 下町】北小路町の北に並び、大町札辻（現在の大町四つ角）より西に行く通りで、越後出羽（現在の新潟県・山形県）に通じている街道である。旅籠屋（現在の旅館・ホテル）が多い。長さ：7町16間（1間は1.8メートル・1町は60間、約109メートルなので、7町16間は約792メートル）。幅：4間（約7.2メートル）。家の軒数は149軒。西に小黒川分（地域名）の民家が連なっていて七日町四谷と言われている。長さは1町12間（約130メートル）家の軒数は20軒。町の端から8町1間（874メートル）の距離には高久組高瀬村（地域名）がある。また、町の端から北小路町に出る小道がある。また、「若松風俗帳」にも文化年間（1804年～1818年）ごろの七日町の様子が記されています。七日町家数百四十九軒の地なり。但商人住居仕候。諸国通路の町にて、旅籠屋等之有り。東大町木戸より西之町末木戸まで三百六十四間半。【若松風俗帳】図上での測量七日町に関する資料の一つである「地籍帳・地籍図・丈量帳」は、地租改正時に作成されたものです。明治6年（1873年）に地租改正（個人の土地所有権が公認され現金で税を納めるようになった）が行われるとともに、土地所有の境界を明確にするするための地籍図が作成されました。当時の地租改正時、七日町を含め若松町（現在の会津若松市）では、地籍帳7冊・地籍図8冊・丈量帳4冊を県に提出しました。これらの実地調査は明治7・8年頃（1873年・1874年）から明治13年頃（1880年）まで行われたと考えられます。七日町通りについても地籍図が作られ、それによって当時の各戸の境界や七日町通りの概要を知ることができます。さらに七日町は戊辰戦争時の焼失を免れたので、それ以前の江戸時代の境界がそのまま引き継がれました。つまり明治の地租改正の地籍図によってそれ以前の江戸時代の境界も推定することができるのです。大須賀清光「若松城下絵図」に描かれる七日町。大町四つ角や東西の木戸・阿弥陀寺などの位置関係がわかる。明治3年（1870年）頃七日町は、組割りとして35番組・37番組・38番組・40番組の一部（七日町四ツ谷）で構成されていました。このうち、37番組・38番組について見ると、「屋敷名録」と「地籍図」は同じ縮尺の600/1で記されていることが分かります。つまり、実際の1間（約1.82m）が、図上では1分（約3.03mm）で表記されていることになります。七日町の幅と長さこれらを元にして図上で計測すると、七日町通りから各方面に伸びる道路幅は「丈量帳」・「地籍図」ともに4間（約7.2m）または2間（約3.6m）として描かれています。一方で七日町通りの幅に関しては、「丈量帳」が4間（約7.2m）・「地籍図」が5間（9.9m）と違いがみられています。七日町通りの長さ（距離）については、西端の「西之町末木戸」から大町四つ角手前にあった「東大町木戸」までの間が記録に残されています。西之町末木戸は「嘉永安政年間記憶覚書」によると阿弥陀寺の東の境界付近にありました。「七日町々内屋敷図」や「地籍図」によると、実際阿弥陀寺の東隣には番屋敷と呼ばれる惣町（町のそれぞれの組の上位組織）がもつ土地があり、そこには番人小屋が建てられていたことが確認できるので、七日町木戸がその場所にあったことの証明ともなっています。これらの情報を元にして、西之町末木戸から東大町木戸までの距離を図上で測定すると、実際の距離は364間半（約663m）となります。この距離は「若松風俗帳」に記された「町末木戸まで三六四間半」という文とも一致しています。さらに地籍図からすると、道路の中央には3尺5寸（約1.05m）の堀が通されていました。この堀は「西之町末木戸」の手前から道路の南側に寄せられ、七日町四ツ谷の道路では側溝となっています。七日町と呼ばれる範囲当時は、「西之町末木戸」から「東大町木戸」の間が「七日町」と呼ばれていました。「西之町末木戸」より西の通りは「七日町四ツ谷」と呼んでいました。これらの呼び方は時代とともに変わってきており、木戸と木戸の間を七日町通りと呼ぶのか・木戸の外側も含めて七日町通りと呼ぶのかはそれぞれの時代であいまいになってきたと言えるでしょう。これらの木戸を建築するための木材は会津藩から支給されたものが用いられ、実際の木戸を建設するための人員はそれぞれの町が負担しました。そのようにして設置された木戸は、毎日日暮れと同時に閉ざされ交通が遮断されます。また、町内の通行は午後6時以降は提灯を灯す必要がありました。江戸時代の賑わい七日町通りは交通の要衝であり多くの人が行き交う通りでした。文化4年（1807年）の「若松風俗帳」には、七日町通りについて「但商人住居候、諸国通路の町にて旅籠屋等之有り」と書かれており、交通の要衝の地にある旅籠・商人の町であったことが分かります。弘化2年（1845年）の「旅籠株極帳」には、会津若松城下にあった旅籠屋の95軒のうち30軒が七日町通りにあったことが記されています。明治元年（1868年）の「諸商売株人別調帳」によると、七日町通りの旅籠は33軒となっており長い間賑わいが続いていました。七日町の賑わいは、嘉永5年（1852年）の「若松緑高名五幅対」という会津のなんでもランキングからも知ることができます。それによると、七日町にある店が数多く掲載されています。画像選択で拡大できます。01.筆 : 霜免軒02.染物 : 傳之丞03.菓子 : 鶴屋04.薬種 : 堺屋喜左衛門05.塗問屋 : 白木屋喜左衛門・清澄屋儀助・深屋伊兵衛06.喜世留（キセル） : 近江屋伊兵衛07.陶産問屋（陶器） : 陶 越後屋08.油 : 大和屋甚八09.小間物 : 山田屋正八10.古道具 : 豊後屋与吉11.宿屋 : 清水屋（清水屋旅館跡）・松川屋12.烟草（煙草・タバコ） : 梅宮屋13.書林（本屋） : 堺屋作左衛門14.料理茶屋 : 藤平15.流行二八（二八そば） : 坂內屋・石川屋16.煮売茶屋 : 山中屋・坂内屋七日町木戸での一揆江戸時代において七日町の木戸は、歴史的な衝突の舞台ともなりました。寛延2年（1749年）12月のこと、会津藩史上最大の農民一揆が起こります。いわゆる寛延一揆と呼ばれるもので、現在の猪苗代で蜂起した農民が周辺の村で人を集め、最終的に2万人が七日町木戸に押し寄せることになりました。一揆の原因は借りた米の返済条件が悪いことでしたが、それまでに続いた作物の不作にもかかわらず重い年貢が課されていたことも原因であったと言われています。木戸を境にして一揆勢と会津藩兵が対峙しましたが、一揆勢は木戸を打ち破り木戸内に侵入します。その際、会津藩兵が発砲し多数の死傷者が出ました。会津藩兵の発砲によって一揆勢はひるみ一旦は後退します。しかし、七日町で攻防が続けられていた間に、他の城下口から一揆勢が城に迫っていました。このような事態に至ったため、ついに会津藩側は年貢を半免することや米の貸し出しなども行うことを約束し、一揆は沈静化へと向かっていきます。しかし、実際には年貢の半免は困窮者だけに限られ、さらには一揆の首謀者の処刑が行われたのです。江戸時代の終わりと明治時代における交通の発展徳川の時代が終わるとともに戊辰戦争は会津に悲惨な爪痕をのこしていきました。戊辰戦争の戦死者が葬られることを許されたのが阿弥陀寺であるなど、七日町は激動の歴史の舞台となりました。明治初期に撮影された七日町通りの写真を見ると、戊辰戦争後の会津若松は交通の要衝として栄えた七日町通りも含め、まだまだ慎ましい暮らしだったことが分かります。明治時代初期の七日町通り。阿弥陀寺から東（東山温泉方向）を撮影したもの。廃仏毀釈運動で移転した大仏（大仏の詳細は阿弥陀寺のページを参照）が写っている。わらぶき屋根が多い。ディープラーニングによる着色三島通庸による会津三方道路明治時代は会津の交通がさらに発展した時代でもあります。当時の福島県令で、土木県令とも呼ばれた三島通庸（みしま みちつね）は、「会津三方道路」と呼ばれる幹線道路を整備しました。三方という言葉の通り、会津若松の大町四つ角交差点を起点にして新潟方面（越後街道）・米沢方面（米沢街道）・日光方面（日光街道）の道幅を拡幅し、整備する大事業でした。現在の国道の原型ともなった会津三方道路は、七日町通りの基点でもある大町四つ角から始まったのです。明治15年（1882年）8月17日に起工式・明治17年（1884年）8月に竣工・同年10月27日に開道式が行われた会津三方道路を記念し、明治19年（1886年）8月には大町四つ角に「会津新道碑」が建てられました。明治19年（1886年）8月に建てられた会津新道碑の拓本。会津若松市立会津図書館に残されている。撰文（文章をつくること）は、南摩綱紀（なんま つなのり）。篆額（てんがく、石碑などの上部に篆書で書かれた題字）は、有栖川宮 熾仁親王（ありすがわのみや たるひとしんのう 皇族・猪苗代湖畔の天鏡閣を建設された）。会津新道碑に記された工事の内容について。道路の長さ若松から栃木県境界まで 16里30町余（約68km）若松から新潟県境界まで 24里余（約96km）若松から山形県境界まで 11里余（約44km）人夫の総人数：825.340人代役者の出金額：216,630円官の補助額：160,680円地税補填額：10,000円寄附金額：75,320円合計金額：462,630円参考：明治の小学校教員や警察官の初任給は月額約9円。熟練した大工や工場の技術者の月給は月額約20円。南摩綱紀が環碧楼文鈔（かんぺきろうぶんしょう）の中に記した、会津新道碑の草稿。南摩綱紀は会津藩士であるとともに、明治にかけての教育者としての功績も残した。国立国会図書館デジタルコレクション会津新道碑はどこへ？現在、大町四つ角には小さな「若松市道路元標」（わかまつしどうろげんぴょう）が残るのみとなっており、それは街道の基点となっていた名残をとどめています。残念なことに、同じく大町四つ角に建てられていた「会津新道碑」は現在残されていません。というのは、会津新道碑は銅製だったため第二次世界大戦で供出されてしまったからです。同じく七日町通りから大戦中に供出されたものとしては、阿弥陀寺の大仏があります。しかし、会津新道碑の「台座」は現在も残されています。それは七日町駅前に移され「七日町駅開設記念碑」の台座として現存しており、それを守り続けた当時の人々の思いが伝わってきます。現存する台座のコンクリートで補強された幅や厚みを見ると、会津新道碑の大きさを思い描くことができます。（会津新道碑のゆくえについては福島県立博物館様に情報をご提供いただきました。）三島通庸は会津三方道路という壮大な土木事業の成果を記録として残すため、写真撮影を菊池新学（きくち しんがく。天保3年（1832年） - 大正4年（1915年）。明治時代の写真師。）に依頼しました。そうして撮影された写真は福島県によりまとめられ、「福島県下諸景写真 会津方部土木事業の景」として残されています。菊池新学の他にも、風景画を高橋由一（たかはし ゆいち。文政11年（1828年） - 明治27年（1894年）。洋画家。）に依頼したものが、「福島県道路風景画帖」として残されています。この画集は、会津三方道路を含めた当時の福島県内各地の道路沿いの風景や大規模な工事の様子を描いたものです。高橋由一は、石版に描いた淡彩画（薄いあっさりした彩色）を絹に転写し、着彩（絵画や工芸に色を施すこと）する方法で作成しました。そのように描かれた53枚の絵を台紙に貼り折本としたものが福島県道路風景画帖です。      菊池新学。「福島県下諸景写真 会津方部土木事業の景」の「第十四号 北会津郡若松七日町ノ景」。明治10年代、七日町通りの貴重な写真。福島県立図書館 下部のサムネイル画像を選択すると画像が切り替わります。 \t         菊池新学。「福島県下諸景写真 会津方部土木事業の景」の「第十四号 北会津郡若松七日町ノ景」。明治10年代、七日町通りの貴重な写真。福島県立図書館所蔵。画像を開く          菊池新学。「福島県下諸景写真 会津方部土木事業の景」の「第十一号 北会津郡若松町ノ内大町四ツ角ノ景」。明治10年代、大町四つ角の貴重な写真。福島県立図書館所蔵。画像を開く            高橋由一。「福島県道路風景画帖」の「北会津郡若松市街ノ内大町四辻ノ図」。明治10年代後半、大町四つ角を描いたもの。高橋由一は鮭の絵で有名な洋画家だが、三島通庸に依頼された道路や隧道（トンネル）などの風景画も数多く残している。福島県立図書館所蔵。画像を開く           明治24年（1891年）は、蒲生氏郷が会津若松城下の建設を初めた文禄元年（1592年）から300年が経過した年でした。それを記念し、当時の若松市は開市300年記念として盛大に300年祭を開催しています。大町四つ角には記念碑が建てられ、町のお祭りムードは高まりました。明治24年 大町四つ角に建てられた若松開市300年の記念碑。碑の下部を見ると、通りの真ん中に掘割があった様子がわかる。軒下には祝いの提灯や花が飾られている。わらぶき屋根であることから、街道で賑わう町とはいえまだまだ慎ましい暮らしだったことが想像できる。明治時代の大町四つ角付近。右手建物の奥・道路を挟んで反対側には会津新道碑を囲む柵が見えている。左手の角にある建物は古川牛肉店。ディープラーニングによる着色なぬかまち.com デジタルアーカイブ ：若松市大町停車場通上記写真と同じ角度で撮影したもの。カメラが珍しいのか、周りの人々が注目している。ディープラーニングによる着色なぬかまち.com デジタルアーカイブ ：岩代 会津若松市盛街 大町堅町及二ノ堅の景明治後期の七日町通り、鶏卵紙写真（古い写真の技法）。若松市栄町の写真師飯岡が撮影したもの。会津若松市立会津図書館蔵 会津若松市デジタルアーカイブ明治30年代になると、七日町通りの旅籠は規模が拡大するものの、その数は6軒へと減少しました。記録によると6軒の旅籠としてあげられているのは、皆山楼（清水屋新吉）・菊壽楼（山内喜次）・関東屋（小荒井つな）・枡屋（山口新吉）・美濃屋平次郎・内田屋、という旅籠です。貸座敷業や割烹店も若松市内11軒のうち、その半数近くは七日町通りに店を構えていました。山田楼・萬喜楼・萬壽亭・鶴遊亭・富貴亭・望岳楼、という店の名前が記録に残っています。このうち山田楼では会津自由党結成の大懇親会が開かれ、帝政党の結成準備会も開かれるなど、政党に関する舞台ともなっています。会津三方道路の開通もあり、人や荷物の往来が激しくなるにつれて七日町通りの道路も整備されるようになっていきました。それに関連した運送会社も営業を始めるようになり、明治20年（1887年）12月には「内国通運会社」（旧定飛脚仲間によって設立された陸運元会社を前身とし、明治前期を通じて政府の手厚い保護を受けた水陸運輸会社。現在の日本通運。）の若松出張所が七日町198番地に置かれました。また、近隣の町村との往来が本格化したのもこの時代でした。明治33年（1900年）頃には、若松 - 会津坂下（あいづばんげ）間の客馬車が開通し若松側の起点となったのが七日町でした。馬車の御者が吹くラッパの音から「トテ馬車」とも呼ばれており、大正15年（1926年・昭和元年）頃まで営業が続けられました。大正時代の文化発展大正時代に入ると、人々の生活にも娯楽を楽しむ余裕が生まれてきました。芝居や活動写真などの文化が会津にも入ってきたため、人々はそれらに熱狂しました。七日町通りの常光寺付近に常設の芝居小屋ができ、付近に遊郭が誕生し、日本陸軍連隊が会津若松に駐屯するようになると、ますます七日町通りは会津一の繁華街として賑わっていくことになります。現代でも私たちの目を楽しませてくれる洋風建築の建物が建てられたのもこの時代でした。明治22年4月に町制としての若松町が誕生した後、会津若松が福島県として初めて市制へと移行したのは明治31年（1898年）のことでした。それから25年後の大正12年（1923年）には、市制25年を祝う祝賀会が3日間にわたって繰り広げられました。鶴ヶ城本丸跡地では園遊会が開かれ、市民は屋台や仮想行列で町を練り歩き園遊会会場へと連なっていきました。大正時代の七日町通り。白木屋漆器店付近から通りの西側を望む。左手に見える3階建ての建物は清水屋旅館。ディープラーニングによる着色なぬかまち.com デジタルアーカイブ ：若松市七日町通          大正6年末から大正7年にかけての大雪に見舞われる七日町通り。積まれた雪で馬車の通行は難しい。 下部のサムネイル画像を選択すると画像が切り替わります。 \t         大正6年末から大正7年にかけての大雪に見舞われる七日町通り。積まれた雪で馬車の通行は難しい。画像を開く          市制25周年記念行事で華やかな七日町通り。町が飾り付けられている。通りの向こうにはアーチがみえる。アーチは緑色だったとの証言。画像を開く               市制25周年記念行事の山車祭り。七日町通りを通る山車。甲賀町中之組青年団の屋台を子どもたちも共に引いているようす。画像を開く          明治末期、七日町の葬列。人力車が多い。奥には白木屋漆器店の建物も見える。画像を開く     金融機関の相次ぐ開設この時代には多くの金融機関が開設されました。それまでは明治36年（1903年）に七日町郵便局（初代局長は地元の酒造業林直八で、自宅の一部を局舎にした）が開設されていましたが、民間の金融機関も七日町通りに店舗を構えるようになります。大正2年（1913年）6月に、「勧業貯金株式会社」が七日町13番地に設立されました。大正10年（1921年）には現在の第二塚原呉服店西隣りに「太宰貯蔵銀行」・その隣りに「郡山橋本銀行 若松支店」が開設・さらに2軒おいて「福島県農工銀行」が営業を開始しました。大正11年（1922年）12月1日には「郡山商業銀行若松支店」が営業を開始しています。この時代は全国的に地方の小規模な銀行が乱立した時代でもありました。しかしその後の昭和恐慌によって、それらの銀行は淘汰されていくことになります。七日町通りの清水屋旅館は「会津勧業無尽株式会社」（大東相互銀行の前身・現在の大東銀行）が買収し同地に本社を移転しています。「大宰貯蔵銀行」は「福島貯蓄銀行」へ名称が変更され東邦銀行に合併されるまで営業を続けました。「郡山橋本銀行 若松支店」跡には、「第四銀行若松支店」が移転、その後現在の店舗へ再移転しています。このように、町並みが大いに発展した大正時代が終わりを迎え、時代は昭和へと移っていくのです。戦前昭和の町並み昭和に入ってからも七日町通りの賑わいは続きました。当時の店舗としては、以下の店舗が記録に残っています。漆器業：高瀬喜左衛門・福西惣兵衛・武藤新吉・山寺久吉・新城猪之吉酒造業：林平八郎・真船久平海産物商：渋川善太郎・藤崎忠吉・関幸太郎その他：塚原呉服店・第二塚原呉服店・三原時計店・星徳陶磁器店さらにこの時代になると、自動車やトラック・バイクなどのエンジンを原動力とする車両が増え、通りの雰囲気も変わり始めています。戦前の七日町通りの様子。右側手前の大きな柱が見える建物は、現在も残る旧郡山橋本銀行若松支店（現在の滝谷建設）。倉を挟んで奥には現在も残る白木屋漆器店の建物が見える。街を歩く人々は和服で、当時の時代を反映している。ディープラーニングによる着色昭和8年頃の七日町通り。左側には三原時計店が新築されている。遠くにはトラックもみえる。交通量は少なくまだのんびりした雰囲気である。ディープラーニングによる着色昭和の七日町通り。通りの傾斜が分かる写真。現在もこの地点は歩いて分かる傾斜がついている。なぬかまち.com デジタルアーカイブ ：會津史跡 飯盛山白虎隊 名勝繪葉書 原色八景白黒写真を元に手着色しオフセット印刷により発行された絵葉書より。店先ののぼりの色・電柱看板・バイクのサイドカーの色などが分かる。右手前は白木屋漆器店で現在の壁の色と同じ。倉を挟んで第二塚原呉服店は現在の窓と形が違うことが分かる。左側には、今は跡地になった清水屋旅館の建物が見える。電柱には新たに街灯が吊り下げられている。なぬかまち.com デジタルアーカイブ ：若松市街昭和12年（1937年）には七日町通りの道路が舗装されました。このように、明治・大正・戦前の昭和と時代が変わっても、七日町は経済や交通の中心地として大きな役割を果たしてきたのです。戦後昭和と平成 街の低迷とそこからの復活第二次世界大戦が終わるとともに、七日町通りも復興の足音が大きくなってきました。昭和23年（1948年）には、七日町駅が新設されます。会津若松駅と西若松駅間の短い区間に七日町駅を新設するのは大きな困難が伴いましたが、地域住民の熱意によってそれは成し遂げられました。昭和25年（1950年）に施行された国土総合開発法や朝鮮戦争の影響により、日本経済を加速させるために只見川の電源開発が行われるようになると、工事現場への交通の出入り口として七日町通りは熱狂的な賑わいを見せました。（なぬかまち.com デジタルアーカイブ ：只見川の電源開発）（なぬかまち.com デジタルアーカイブ ：水力研究所 奥只見一三七〇〇〇KW水車 完成記念 東京芝浦電気株式会社水車部）しかし、昭和30年（1955年）年代になると工事の完成と共に七日町通りの賑わいは下火となっていくのです。さらに、昭和の復興・新しい平成へと時代が移り変わるとともに、交通事情も変わっていきます。七日町に限らず、人の移動手段は車へと移っていきました。さらに郊外のバイパス道路開通も一因となり人の流れは変わり、七日町通りは単なる道路となり多くの人は車で通過するだけの通りとなったのです。昭和50年代の七日町通り。七日町通りと大和町通りの交差点（37.499521,139.924246）付近から西側（七日町駅方向）を写したもの。建物の外観などは統一されておらず、ごく一般的な商店街の雰囲気。昭和50年代の大町四つ角。西側の七日町通り方向を撮影したもの。車の形が時代を感じさせる。かつて多くの人で賑わっていた通りは、1990年から2000年ごろには街を歩く人はいなくなり店舗はシャッターが降ろされた閑散とした通りとなってしまいました。人口の減少や店主の高齢化などによって、空き店舗なども増えていき七日町の商店会が解散するほどの状況へと追い込まれていきます。そんな状況を打開しかつての賑わいを取り戻そうと立ち上がったのが、七日町通りまちなみ協議会の会長である渋川恵男氏（渋川問屋取締役）・同副会長 庄司裕氏・会津若松市議会議長 目黒章三郎氏でした。この3氏は、「街の人口減少は止められない、それなら観光客を誘致することによって賑わいを取り戻す」という発想を実行に移していきます。そのために、空き店舗を改装しレトロ風なデザインや町並みと馴染む外観へと変えていきました。また、元々残っていた古い建物をあえて見せる（近代に建物に取り付けられた外板や看板を除く）ことによって、元々ある時代遺産を生かしていくことも提案していきました。それらの過程が全て順調だったわけではありません。それまでの町おこしの失敗に、いわば疲れを感じていた各店舗の店主を説得するのは簡単なことではなかったようです。旧市街中心地の空洞化は避けられない時代となり無駄な労力ではないのか、という意見も多くみられました。しかし、ある一軒の店舗が改装をきっかけにガイドブックに取り上げられるとともに観光客が来るようになったことで、成功のモデルケースができることになります。また、積極的に補助金を投入することにより、店舗を改装し景観を整えることが加速していきました。店舗が改装され観光客が集まるようになるとともに、通りのシンボル的存在である七日町駅の改装も実現しています。それまでは無人駅として荒れていた七日町駅が改装され、見た目だけでなく駅のアンテナショップも入居することになりました。それによって、駅も人が集まる場所へと変わっていったのです。国鉄時代の七日町駅の様子。1983年8月撮影。「ナヌカマチ」という大きな看板が印象的。このように人が集まる店舗が増えることに加えて、定期的なイベントも開催されるようになりました。イベントによって定期的な集客ができるようになり、イベントを目的として来訪する観光客も増えるようになっています。さらには国内だけでなく海外からの観光客も増加している傾向にあります。最近では、テナントが複数入ることのできる大型店舗の改装が進められています。いずれも古くからある商家の蔵や建物を有効に利用したもので、価値ある建築を活かしつつも時代にあった運営を目指しています。さらに街全体としても電線を地中化するなど、景観に配慮したまちづくりも進められています。一方で残されている課題もあります。例えば、町並みの自己主張が少なく感じられるためにこれが七日町通りだというイメージが薄いという意見があります。また、現在でもいくつかの空き店舗が存在するためそれらをどう活用していくかも課題となっています。さらに七日町通りは中心部から郊外へと抜ける現役の道路でもあるため、街歩きの歩行者の安全をさらに高める必要もあります。そして、観光客用の無料駐車場が少ない点・冬季間は無料駐車場が利用できないことも課題の一つです。このように、各時代の人々が守り抜いてきた七日町通りの賑わい。町並みは生き物のように常に変化を繰り返していくもの。長い時代の中で今も生命力にあふれる七日町通りを歩いてみませんか？現代における七日町通り再生のあゆみ平成5年（1993年）川越市で開催された全国街並みゼミに参加する。渋川氏・庄司氏・目黒氏3名で七日町通りの建物について調査を行う。その結果、洋館が約10・倉が約50・商家が約20残されていることが判明する。平成6年（1994年）発起人23名で七日町まちなみ協議会を発足。国土交通省のまちなみデザイン推進事業に選定され助成を受ける。その結果、今まで注目されていなかった御三階・東軍墓地・斎藤一の墓などの歴史的・観光資源に注目する。平成7年（1995年）七日町通りを3ブロック（上の区・中の区・下の区）に分け会津若松市との景観まちづくり協定を締結。それにより外観工事に対する半分・上限70万円の補助金の利用が可能になる。平成8年（1996年）会津若松市によりレンガ通りが整備される。平成9年（1997年）廃業したガソリンスタンド跡地を福島県と会津若松市が購入し、ステージ付きの市民広場として整備する。平成14年（2002年）福島県・七日町通り町並み協議会・JR東日本が連携し、七日町駅舎を大正浪漫調の洋館に改修。駅カフェを併設。会津若松市が七日町ローマン小路（会津ブランド館前道路）を整備。タウンマネージメント機関認定を受けたまちづくり会津により、アイバッセがオープン。平成16年（2004年）福島県の支援を受け七日町まちなみ協議会が主体となり会津ブランド館を整備。平成22年（2010年）国土交通省 都市景観大賞 美しいまちなみ優秀賞を受賞。令和元年（2019年）国土交通省 手づくり郷土賞 大賞部門を受賞。令和3年（2021年）福島県 第6回ふくしま産業賞 特別賞を受賞。令和5年（2023年）福島県 第6回ふくしま産業賞 特別賞を受賞。令和5年（2023年）文部科学大臣・農林水産大臣・国土交通大臣が認定する歴史的風致維持向上計画に認定され、会津若松市が策定した「歴史的な街なみ、景観に関する方針」に、七日町通り（国道252号）の無電柱化計画が含まれる。この記事でご紹介した資料一覧・町名の由来:おらが街のミニ歴史 旧町名・地名由来冊子出版部会 編 会津若松市教育委員会（1986年）・福島県立博物館調査報告書 19 福島県立博物館（1989年）・大東相互銀行四十年史 大東相互銀行（1983年）info:ndljp/pid/964388",
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            "comment": "観光案内所が新店舗でリニューアル！七日町駅近くにオープンした観光案内所です。七日町通りの観光案内はこちらから。会津若松市で使えるクーポンや観光案内パンフレットが必要な方はこちらで入手可能です。七日町通り散策の間、有料で手荷物のお預かりも可能となっています。また、観光案内所にはトイレも併設されています。さらにカフェメニューも充実。季節に合わせたメニューをお楽しみください。とても気軽に寄ることができる観光案内所です。また、会津東軍墓地の御朱印を承っています。（公式サイトで最新情報をご確認ください）御朱印関連のグッズとして、地元の会津木綿を使用した御朱印帳も取り扱っています。",
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            "comment": "七日町通りのシンボルでもあるレトロな駅舎です。駅のホームと、停車するラッピング車両まちなか周遊バスなどの発着点でもあり、観光シーズンには多くの人で賑わっています。冬季間には駅舎や周りの木々がライトアップされ、雪景色とともに幻想的な風景を作り出します。外壁はちょっと古びていますが、古き良き日本の駅を思い出させる雰囲気です。人混みの中、地元のお国訛りも聞けるかもしれません。駅にコインロッカーは設置されていませんが、すぐ近くの七日町観光案内所で有料手荷物預かりサービスを行っています。駅の中には七日町駅カフェが併設されています。目次駅の開設にかけた熱き思い駅の衰退と再起までの道のり&nbsp;&nbsp;コラム 七日町駅と路線の主なあゆみ&nbsp;&nbsp;コラム 七日町駅に乾草やむしろを積んだ車両逸走事故駅の開設にかけた熱き思い只見線 会津若松 - 若宮間七日町駅と同時開業した若宮駅七日町駅は、会津若松駅と西若松駅の中間に位置しています。会津若松と西若松の2駅間は短い距離しかないため、その間にさらに新たな七日町駅を新設するためには大変な苦労と調整が必要でした。駅の始まりと戦前の七日町駅昭和9年（1934年）に七日町駅に加え若宮駅・根岸駅も同時開設されましたが、ガソリン動車（ガソリンカー、気動車のうちガソリンエンジンを動力として走行する鉄道車両）のみの停車場として誕生することとなりました。七日町駅が含まれる区間を運行していたのは、「キハ41000」という型式のガソリン動車です。それまで気動車（動力源となる車両）は蒸気機関が主流でしたが、より高出力で軽量なガソリンエンジンを機関とする車両が登場してくることになりました。当時の鉄道省（国鉄）は、ほとんどの部品を国産でまとめ標準的なガソリン動車を開発します。それがキハ41000でした。七日町駅がガソリン動車のみの停車場として用いられていたのと同時期、ガソリン動車だけでなく通常の車両も停車できるよう設備を拡充し駅を普通駅とするための陳情が行われていました。ガソリン動車はそれほど牽引能力が高くなく、ガソリン動車単体もしくは多くても1両程度の客車を牽引する運用だったため、車両全長が短くホームが小さい駅でも対応することができたからです。しかし、多くの客車や貨物を牽引した車両を停車させるには、それに対応した駅の設備が必要でした。ところが、太平洋戦争の戦況が悪化するにつれて、戦時統制によりガソリン動車の燃料となるガソリンの供給が滞るようになります。そのためガソリン動車の運行は取りやめになり、ガソリン動車のみの停車場であった七日町駅も1945年6月20日（昭和20年）に休止されることになったのです。それと共に普通駅へと昇格させる陳情も一時休止せざるをえない世情となりました。戦後の駅の発展太平洋戦争が終わると、事態は動いていくことになります。1946年6月20日（昭和21年）になると、休止されていた七日町駅に車両が戻り駅の使用が再開されることになりました。それと共に七日町駅を普通駅とする陳情の機運も再び盛り上がっていきます。1947年3月13日（昭和22年）には議会に陳情が行われ、審議された記録が残っています。昭和二十二年三月十三日提出七日町駅を一般駅に変更の請願（第二六二号）請願者 福島縣若松市七日町一丁目三十番地 高瀬喜左ヱ門外二十一名紹介議員 中野 寅吉君本願の趣旨は、福島縣會津若松駅は若松市の北端に位し、西若松駅は、西端に位している関係上人口の最も多い若松市の中央よりの乗降者の不利不便は少くない、然るに七日町駅は、 會津若松駅と西若松駅との中間に位し、市の中央部であり、若松市人口の三分の二を占めているのであるが、従来この七日町駅には、一日二回の列車停車あるのみで、駅としての施設がない、ついては、七日町駅を一般駅に変更して、完全なる駅としての設備をせられたいというのである。第92回帝国議会 衆議院 請願委員会 昭和22年3月24日512 大塚甚之助・大塚委員長 次は、日程第八三、七日町驛を一般驛に變更の請願、文書表第二六二號、紹介議員中野寅吉君513 坂東幸太郎・板東委員 本請願の趣旨は福島縣會津若松驛は若松市の北端に位し、西若松驛は、西端に位している關係上、人口の最も多い若松市の中央よりの乘降者の不利不便は少くない、然るに七日町驛は、會津若松驛と西若松驛との中間に位し、市の中央部であり、若松市人口の三分の二を占めているので若松驛と西若松驛との中間に位し、中の央部であり、若松市人口の三分の二を占めているのであるが、從來この七日町驛には、一日二囘の列車停車あるのみで、驛としての施設がない、ついては、七日町驛を一般驛に變更して、完全なる驛としての設備をせられたいというのであります。直ちに政府の御意見をお伺いいたします。514 岡田信次・岡田（信）政府委員 會津線七日町驛は昨年六月に營業をいたした譯でございます。この驛は元來ガソリン動車の旅客を對象としてつくつた驛でございますので、設備が一般に蒸氣列車のような強大列車の旅客を取扱うようになつておらないのでございます。ただ特に通勤、通學列車だけを停車せしめているような次第でございます。現在のような石炭事情では、さしあたつて列車の停車數を増加することは困難かと存ぜられる次第でございます。なお御希望のような一般驛にこれを變更いたしますことにつきましては、地方の事情その他を十分に調査した上で、決定いたしたいと考えておる次第でございます。515 坂東幸太郎・坂東委員 採擇を希望いたします。516 大塚甚之助・大塚委員長 採擇に御異議ありませんか。〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕517 大塚甚之助・大塚委員長 採擇に決します。このように地元有志の陳情の結果もあり、ついに昭和23年（1948年）現在の前身となる駅舎が建設されることになりました。駅舎の予算は当時の金額で130万円ほどで、そのうち63万円が地元からの寄付・30万円は近村からの寄付・50万円は若松市負担でした。こうしてついに普通駅としての七日町駅が誕生したのです。昭和11年に発行された、「速度と保線 高氏盛」 に記されている内燃動車運転区間一覧表。これによると、昭和10年（1935年）8月1日時点で会津線 会津若松 - 柳津区間には3等ガソリン動車「キハ41000」が4両配置されており、そのうち3両が使用されていたことが分かる。昭和10年（1935年）に発行された汽車時間表。「汽」の表記は「汽ハ汽動車」を意味し、七日町駅は3等ガソリン動車である「汽ハ汽動車」のみが停車する駅となっている。七日町駅と同時期に開業した根岸・若宮の駅についても汽ハ汽動車のみの停車とされている。当時の会津線・磐越西線を含む福島県時刻表の画像は、なぬかまち.com デジタルアーカイブでご覧いただけます。なぬかまち.com デジタルアーカイブ ：汽車時間表 株式会社安田銀行福島支店掲示用に作成された「会津線列車発着時間表」。サイズは縦53cm×横39cm。「会津若松」と「西若松」の間に七日町駅は無い時代のもの。会津線開業が大正15年（1926年）・七日町駅開業が昭和9年（1934年）と考えると、その間に作られたものと思われる。当時の人々の鉄道への期待が伝わってくる。全体画像は、なぬかまち.com デジタルアーカイブでご覧いただけます。なぬかまち.com デジタルアーカイブ ：会津線列車発着時間表画像を開く掲示用に作成された「会津線列車発着時間表」。サイズは縦53cm×横39cm。「会津若松」と「西若松」の間に七日町駅は無い時代のもの。会津線開業が大正15年（1926年）・七日町駅開業が昭和9年（1934年）と考えると、その間に作られたものと思われる。当時の人々の鉄道への期待が伝わってくる。全体画像は、なぬかまち.com デジタルアーカイブでご覧いただけます。なぬかまち.com デジタルアーカイブ ：会津線列車発着時間表画像を開く 昭和8年（1933年）に青木志満六※1 （あおき しまろく）が描いた若松市の鳥瞰図。鉄道が赤い線で描かれているが、当時はまだ七日町駅は無く会津若松駅の次は西若松駅だったことが分かる。現在の七日町駅前にある阿弥陀寺は、この当時でも有名なスポットだった様子がうかがえる。※1 青木志満六。明治21年（1888年）11月7日 - 昭和31年（1956年）1月14日 。青木志満六は商業デザイン・西洋画家。群馬県桐生市に生まれ、絵を学びながら東京の三越呉服店（または白木屋呉服店）で図案の仕事をしていた。その後、大正12年（1923年）ごろ、持病のリウマチが悪化したため会津若松に移住した。移住後は図案家として活躍し、漆器のデザイン・観光絵葉書の図案・観光パンフレットの鳥瞰図などにその名を残している。なぬかまち.com デジタルアーカイブ ：会津若松市 案内 青木志満六作 鳥瞰図画像を開く  七日町駅が開業した経緯については、七日町駅前に建てられた「七日町駅開設記念碑」に記されています。この記念碑の台座は、かつて大町四つ角に建てられていた「会津新道碑」の台座でした。七日町駅を見守る七日町駅開設記念碑。昭和37年（1962年）12月5日に、七日町駅開設15周年を記念し建てられた。土台部分はかつての「会津新道碑」の台座が用いられた。画像を開く七日町駅を見守る七日町駅開設記念碑。昭和37年（1962年）12月5日に、七日町駅開設15周年を記念し建てられた。土台部分はかつての「会津新道碑」の台座が用いられた。画像を開く七日町駅開設記念碑の裏面に刻まれた寄附者名簿。画像を開く 昭和23年（1948年） 開設当時の七日町駅。画像を開く  （画像を選択すると高画質版を表示します。3.32MB）七日町駅開設記念明治維新以後歴史に見られる日本の文化産業経済の発展は何よりも鉄道施設による交通網の開発が大きな礎石となったのである会津の今日に至った栄光の歴史もまた同様で即ち明治三十二年（明治32年（1899年））郡山若松間の岩越鉄道の開通大正三年（大正3年（1914年））若松新津間の磐越西線の全通昭和二年（昭和2年（1927年））会津滝ノ原線の上三依までの開通昭和三年（昭和3年（1927年））会津河口線の柳津までの開通は本市の近代都市建設への脱皮を如実に物語っている七日町通りは昔より越後街道の要衝として栄え若松随一の繁華街を誇ったのであるが会津両線の開通によって列車が素通りとなり年と共に衰退の一途を辿ったのであるこゝに七日町々民は町の将来を憂れい関係各方面に対し七日町に停車場の設置方を強力に陳情したのであるが会津若松駅と西若松駅間はわずか三粁一分（3キロメートル いちぶん）の近距離にありその中間に駅を設置する事は全国にもその例がないので実現は至難を極めた然し有志諸賢の撓まざる運動の結果 昭和九年十一月（昭和9年（1934年）11月）遂にガソリンカーのみの停車場が設置され その後七日町無人駅を利用するもの年とともに増加 市勢発展上からも普通駅昇格の気運再びもり上がり陳情を続けたのであるが 太平洋戦争の勃発により陳情を一時中止せざるを得ない実情に至ったのである戦後日本全土の復興と普通駅昇格への気運再び盛り上がり 昭和二十二年一月（昭和22年（1947年）1月）渋川健二氏を委員長とする七日町駅新設期成同盟会が結成され  当時参議院鉄道建設員橋本万右エ門氏をはじめ地元選出の衆参両院議員県会議員三代に亘る若松市長市会議員等関係の方々の絶大なる協力のもとに 請願駅として実現方を仙台鉄道局に陳情し 又昭和二三年五月（昭和23年（1948年） 5月）には小林喜四郎氏を委員長とする七日町駅建設委員会を設立し 駅舎建設資金募集に東奔西走したこの様な地元の熱意が陰に陽に関係官庁を刺激し 幾多の紆余曲折を経て ついに昭和二三年一二月五日（昭和23年（1948年）12月5日）現在の如き七日町駅が誕生したのである当時駅舎の予算は百参拾余万円（130余万円）で建設され 六拾参万円（63万円）は地元寄附 参拾万円（30万円）は近村寄附 五拾万円（50万円）は若松市負担となったその後昭和三十年（昭和30年（1955年））北会津郡下八ヶ村の合併により名称も会津若松市と改称され 名実共に会津第一の都市となり七日町駅は全会津えの基点駅となったばかりでなく市の中央駅となったのである近時産業都市或は基幹都市建設がさけばれている現状に鑑み 且つ本年野岩線並びに只見線の着工決定を見て 共に今後の当駅は極めて重要な地位を占めることは明らかであり 将来の会津若松中央駅として名実共に大いに発展されることを念願して 七日町駅開設一五周年（15周年）を記念し茲に経緯を記したのである昭和三七年一二月五日（昭和37年（1962年）12月5日）会津若松市長 横山 武※1 題字撰文小林春駒 敬書※1横山 武（1906 - 1971）会津若松市長。鶴ヶ城再建のために尽力された。天守閣近くに銅像が建てられている。駅の衰退と再起までの道のり昭和25年（1950年）には、国土総合開発法が施行され同時期に勃発した朝鮮戦争の影響により日本経済が発展するとともに、電源不足を補うため只見川の電源開発が行われるようになりました。七日町駅はその工事現場への交通の出入り口として賑わうようになります。（なぬかまち.com デジタルアーカイブ ：只見川の電源開発）しかし、昭和30年（1955年）年代になると電源開発関連工事の完成と共に七日町駅の人混みも消えていくこととなります。その後、七日町通りは単なる通過点ではなく、街づくりの中心・重要な場所として意識されていくようになります。七日町通りがシャッター街からの脱却と新たな街づくりに成功しつつある頃、当時無人駅だった七日町駅の雰囲気は良いとはいえないものでした。町並みに合わせて駅の雰囲気を明るくするために、当初七日町通り協議会ではJR東日本に対して駅員を常駐させてくれるように陳情します。粘り強い交渉の結果、有人駅になることは実現しませんでしたが駅を借り受けることができるようになりました。そして七日町通り協議会が主体となり、福島県や会津若松市の資金面での支援を受け駅舎を大正浪漫調の洋館に改修することが実現しました。同時に会津地方の特産品のアンテナショップが併設されることになります。その結果、現在のように七日町通り観光の起点・七日町通りのシンボル的な存在へと劇的に変化し今に至っています。国鉄時代の七日町駅。1983年8月撮影。右下には現在も残る「七日町駅開設記念碑」の土台石が写っている。自動車・自販機・国鉄コンテナ看板・服装などからも当時の雰囲気が伝わってくる。サムネイルで画像を切り替えできます。画像を開く国鉄時代の七日町駅。1983年8月撮影。右下には現在も残る「七日町駅開設記念碑」の土台石が写っている。自動車・自販機・国鉄コンテナ看板・服装などからも当時の雰囲気が伝わってくる。画像を開く 1979年発行の本に掲載された七日町駅駅舎。画像を開く  1983年発行の本に掲載された七日町駅駅舎とホーム。画像を開く   七日町駅と関連する路線の主なあゆみ明治32年（1899年）起点の若松駅（現在の会津若松駅）が岩越鉄道※1の駅として開業。大正15年（1926年）国鉄会津線の会津若松 - 会津坂下間が開業。西若松・会津本郷・会津高田・新鶴・会津坂下の各駅が開業。昭和9年（1934年）会津線にガソリンカーのみの停車場として七日町駅※2が開業。同時期に根岸・若宮の各駅が開業。昭和20年（1945年）七日町駅・若宮駅の営業を休止。※3昭和21年（1946年）七日町駅・若宮駅の営業を再開。※4昭和22年（1947年）七日町駅新設期成同盟会が結成。※5昭和23年（1948年）七日町駅建設委員会が設立。※6昭和23年（1948年）七日町駅が普通駅に昇格。昭和29年（1954年）小荷物及び貨物の取り扱いを開始。※7 昭和37年（1962年）七日町駅開設15周年を記念し、七日町駅開設記念碑が建てられる。※8 昭和59年（1984年）無人駅となる。昭和62年（1987年）国鉄分割民営化によりJR東日本の駅となる。平成14年（2002年）駅舎をリニューアルし、駅カフェを併設。※1 現在のJR磐越西線。郡山から新津を結ぶ私設鉄道として計画された。明治25年（1892年）に福島県知事に就任した日下義雄は路線開通のために奔走した。日下義雄は会津藩の医師であった石田龍玄の長男。義雄は鳥羽・伏見の戦いや大鳥圭介の隊で箱館五稜郭の戦いに参戦した。戦後は会津生まれを隠して日下義雄と名乗り、岩倉欧米使節団に随行してアメリカに留学した。帰国後は長崎県令、その後福島県令となる。飯盛山で自刃した白虎隊士である石田和助は兄弟。※2 昭和9年（1934年）11月1日。※3 昭和20年（1945年）6月20日。※4 昭和21年（1946年）6月20日。※5 昭和22年（1947年）1月。※6 昭和23年（1948年）5月。※7 昭和29年（1954年）2月3日。※8 昭和37年（1962年）12月5日。コラム 七日町駅に乾草やむしろを積んだ車両逸走事故1962年11月発行の「車両と電気 車両電気協会 編」には、七日町駅にも影響を及ぼした、隣駅 西若松駅での車両逸走事故の顛末が記録されています。貨車側ブレーキ調整不良による車両逸走事故8月18日9時32分発生。 仙台局管内会津線西若松駅構内上り2番線において、トキ17540 (砂利積) を作業員が、 本屋の宮下方砂利積場から会津若松方に147米仮置する目的で手押しを行い、約80米進行後 （推定速度5～6軒）貨車側ブレーキにより停止させようとしたが、 制動効果が少く減速しないので、 更に強くテコを踏み（テコの爪は下から2段目まで降下した。）停止させようとしたが及ばず、そのまま9時32分頃、23号点てつ器を割り出して場外に逸走した。作業員はその後もブレーキを踏み続け、2600米近で会津線管理所の機関助士（勤務外）がこれを発見し飛乗り2人一緒にテコを踏んだが、テコの爪は下から1段目まで下ったが、貨車は停止する様子がなかった。さらに約500米進行したとき保線区員（勤務外）も飛乗ったが、約15～16軒の速度で七日町駅に進入した。一方逸走を発見した西若松駅2番丁踏切保安掛は、直ちに当務駅長に通報したので、駅長は至急この旨を隣駅の七日町駅及び会津若松駅に通報した。七日町駅では線路上に乾草やむしろを積み待機していたが、1200米の地点（七日町駅構内）で9時44分頃ようやく自然停止した。このため会津若松発第415列車は9分30秒延発した。原因は、プレーキの調整不良（中央部における所定箇所での調整を行わず、外側テコに近い方で調整してあった。）と、当務駅長が作業員による手押入換に対し監視を行わなかったためと認められる。該車の前回検査は、一般35年12月盛岡工、指定取替37年4月富山区、仕立7月17日田区であつた。この記事に関連する資料一覧・略図のガソリン動車 機関車工学会 編（1935年）info:ndljp/pid/1226854・第92回帝国議会 衆議院 請願委員会 第4号 昭和22年3月24日（1935年）minId=009211944X00419470324・帝国議会誌 第1期 第54巻 (第92回帝国議会 衆議院 (其ノ2)) 社会問題資料研究会 編（1979年）info:ndljp/pid/11934293・運輸と経済 14（4）交通経済研究所（1954年）info:ndljp/pid/2637364・日本の駅 : 写真でみる国鉄駅舎のすべて 竹書房（1979年）info:ndljp/pid/12065005・国鉄全線各駅停車 2（東北530駅）宮脇俊三 原田勝正 編集（1983年）info:ndljp/pid/12068752#thumbnail_gallery {width:100%;  margin:0px 0;}#thumbnail_gallery_thumb {width:100%; text-align:center; overflow:hidden; position:relative;}#thumbnail_gallery_thumb ul {list-style:none; text-align:center;scroll-behavior: smooth;}#thumbnail_gallery_thumb ul li {display:inline-block; vertical-align:top; padding:5px 4px;}#thumbnail_gallery_thumb ul li:first-child {padding-left:0;}#thumbnail_gallery_thumb ul li:last-child {padding-right:0;}#thumbnail_gallery_thumb ul li img {display:block; margin:0 auto; width:100px; cursor:pointer;}#thumbnail_gallery_main {width:100%;height:0px; padding-bottom:81%; position:relative;display: inline-block;}@media all and (max-width: 480px) {#thumbnail_gallery_thumb ul li img {display:block; margin:0 auto; width:96px; cursor:pointer;}#thumbnail_gallery_main {width:100%;height:0px; padding-bottom:95%; position:relative;} }#thumbnail_gallery_main ul {padding:0; margin:0; list-style:none;}#thumbnail_gallery_main ul li {position:absolute; left:0; top:0;}#thumbnail_gallery_main ul li div {display:block; opacity:0; transition:0.5s; width:100%;}#thumbnail_gallery_main ul li div img {display:block; padding-bottom:5px; width:100%;}#thumbnail_gallery_main ul li div span {display:block; text-align:center; }#thumbnail_gallery_main ul li input {display:none;}#thumbnail_gallery_main ul li input:checked + div {opacity:1;}",
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            "comment": "全国的にもめずらしい、無人駅に併設されているおしゃれな駅カフェです。七日町駅の内部にあり、お得な価格でボリュームのあるケーキを楽しめます。深い味わいのコーヒーもおすすめ。カフェと同じスペースにある店舗スペースでは、会津のアンテナショップ的な品揃えで会津らしいお土産品が揃います。駅前は周遊バスのバス停留所にもなっていますので、バス待ちの間にほっと一息つくのもおすすめです。",
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            "name": "三番山下（閉店）",
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            "name": "中むら 十割手打ちそば（閉店）",
            "comment": "アイバッセ内にある、十割手打ちそばのお蕎麦屋さんです。アイバッセの詳細ページはこちら",
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            "comment": "中町フジグランドホテルは、フジグランドホテルグループの中町にあるホテルです。駅前にもフジグランドホテルがありますが、中町フジグランドホテルは野口英世青春通りに位置しています。七日町通りや神明通りなど繁華街やバス停留所にも近く便利な立地となっています。ホテルに宿泊すると、駅前にある日帰り温泉富士の湯に無料入浴もできるのでお得です。またフジグランドホテルでは宿泊プランが豊富なのも魅力の一つです。例えば、七日町通りの老舗料亭田事で会津の食を味わうプランがあります。（プランが更新される場合もあります。最新情報は公式サイトでご確認ください）ホテルからタクシーで田事に移動し、わっぱめしを初めとした会津の伝統料理に舌鼓をうった後は、タクシーでホテルへと戻ります。移動中の古い町並みも楽しめる魅力的なプランとなっています。会津の各地の飲食店や観光地と連携したプランをぜひお楽しみください。 割引プランやクーポンを見る",
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            "comment": "バルとは、軽食やお酒を楽しめるお店のことです。会津バルではスペイン料理やスペイン産ワインを提供しています。季節ごとにいろいろなイベントも開催されています。",
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            "comment": "会津バーガー ラッキースマイルは、ハンバーガーショップです。このお店の魅力は、地元で採れた食材を使った手作りの美味しいバーガーが食べられることです。こだわりの食材と手作りの味わいは多くのお客さんに人気です。店内に入ると、その温かみに包まれる雰囲気があります。木のぬくもりを感じる落ち着いたインテリアに、明るい笑顔で接客してくれるスタッフの方々が迎えてくれます。居心地の良さが自慢の店内で、美味しいバーガーを食べる時間は格別です。会津バーガー ラッキースマイルのバーガーは、地元の農家で採れた新鮮な野菜や肉・卵など、こだわりの食材を使っています。バンズも自家製で焼きたての香りとふわふわの食感が絶品です。メニューには、ベーシックなバーガーから、季節限定のスペシャルバーガーまで豊富にあります。ボリュームたっぷりで、食べ応え抜群のバーガーは、男女問わず幅広い年齢層から支持されています。さらに、ドリンクにはコーヒーやソフトドリンク、ビールなども充実しており食事に合わせて楽しめます。お持ち帰りもできるためご自宅での食事やピクニックにも最適です。ぜひ一度足を運んで、その美味しさを体験してみてください。",
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            "comment": "地元会津に関連した商品や、地元の作家さんが作ったものを中心に販売している魅力的なお店です。入り口はスロープになっており楽に入店できます。 雑貨が充実しており広々としたスペースに綺麗にディスプレイされています。地元会津の伝統工芸品に今の新しい感性を取り入れたお土産もたくさんあります。特に、会津本郷焼のあたたかみある雰囲気が感じられる商品や、会津木綿と会津桐を使った日常でも使いやすい商品が揃っています。会津のクリエイターが製作したアクセサリーなども多数取り揃えておりオリジナルのデザインが魅力的です。横に数台の駐車場もあり、気軽に訪れることができます。会津ブランド館は、会津の新しい一面を発見できるおすすめのお店です。",
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            "name": "会津七日町INN",
            "comment": "kaien Hostel & Cafe BARあとにオープンした気軽に宿泊できるホテルです。カフェやワーキングスペースもあり、落ち着いて一息入れたい時にもおすすめ。会津のカレー焼きそばが有名な寿楽。惜しまれながら一旦閉店しましたが、会津七日町INN内に復活。あの名店の味をもう一度。",
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            "name": "会津壱番館 野口英世青春館",
            "comment": "地元の人々や観光客に親しまれている會津壱番館は、歴史的な建物をリノベーションしており趣のある外観とレトロな雰囲気が特徴的です。この建物は、野口英世が左手の手術を受けた後に、書生として住み込みで働いた会陽医院の建物を改修したものです。店内に入ると、昭和レトロなインテリアと懐かしい雰囲気が漂います。店内には、木のテーブルや椅子が配置されゆったりとくつろげる空間が広がっています。また、店内にはアンティークの飾りが飾られており、昔ながらの雰囲気を感じることができます。會津壱番館のメニューは、こだわりの焙煎コーヒーをはじめ、紅茶やジュース・軽食などがあります。特に自家焙煎のオリジナルブランドは、店内で丁寧に焙煎された豆を使用しており、豊かな香りと深い味わいが楽しめます。また、スイーツやお菓子も取り揃えられており、どれも素材の味を大切にした一品が揃っています。2階には野口英世青春館が併設されており、野口英世ゆかりの品物が展示されています。會津壱番館には、歴史的な観光スポットが多くあり散策しながらほっと一息つくことができます。",
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            "name": "会津新選組記念館",
            "comment": "会津藩や新選組などの資料が展示されています。戊辰戦争時に同盟を組んで戦った旧幕府・奥羽越列藩同盟、さらには新政府軍の貴重な資料も展示されています。",
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            "comment": "会津東山温泉は長い歴史があり、湯野浜温泉・上山温泉と共に「奥羽三楽郷」と呼ばれた由緒ある名湯です。会津若松市の奥座敷また癒やしの場として昔から栄え、江戸時代には会津藩の湯治場として賑わいました。現在では宿泊の他にも、日帰り温泉としての人気が高まっています。温泉を楽しみ昼食をいただくプランも人気です。会津若松市内からのアクセスも良く、観光の途中に立ち寄るのもおすすめです。温泉街の香りと雰囲気をぜひ味わってみませんか？七日町通りまでの距離：5km（車で13分）割引プランやクーポンを見る",
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            "name": "会津芦ノ牧温泉",
            "comment": "会津芦ノ牧温泉は、会津若松市の山あいにある渓谷沿いに位置する温泉です。約1200年ほどの歴史があり、昔から大勢の人々に利用されてきました。現在では、多くのホテルや旅館が営業しており雄大な景色の中で温泉を楽しむことができます。芦ノ牧温泉は、会津若松市内の観光だけでなく、大内宿や塔のへつりなどの南会津の観光地へのアクセスも良い位置にあります。七日町通りまでの距離：18km（車で30分）割引プランやクーポンを見る",
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            "name": "加藤陶器店",
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            "comment": "会津東山温泉向滝は、東山温泉にある長い歴史を持つ旅館です。古くは会津藩の指定保養所にも認定されている長い歴史があります。向滝の建物は歴史ある日本建築であり、国の文化遺産にも指定されています。そのような文化遺産に宿泊する非日常の体験が出来るのも人気となっています。 向滝では、すべての浴槽が源泉掛け流しとなっておりいつでも新鮮なお湯につかることができます。家族風呂は、貸切にすることができ追加料金も必要ないためとてもお得！ 向滝の食事は、会津の食材にとことんこだわっており、化学調味料や人工甘味料などを使用しない自然派の料理でおもてなししています。 山国の会津らしい食事をお楽しみください。 七日町通りまでの距離：5km（車で15分）割引プランやクーポンを見る",
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            "name": "和ガラス アンティーク さくらや",
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            "name": "塚原呉服店（バンダイスポーツ）",
            "comment": "会津でも歴史のあるスポーツ用品店です。この建物は、大正15年（1926年）に建築され、当時は塚原呉服店として営業をおこなっていました。呉服店というと和風の建物をイメージしますが、この建物は洋風でとても印象的なデザインとなっています。建物は木造3階建て・屋根のパラペット（建物の屋上やバルコニーの外周部の先端に設けられた低い立ち上がり部分の壁）は特徴的な形をしています。また壁にはレンガとレリーフがあしらわれており、立体的な印象を作り出しています。正面玄関上部は円形になっており、「TSUKAHARA GOFUKUTEN LTD.」と記されている様子も見ることができます。スポーツ用品店になった現在でも塚原呉服店の表記は残されており、建物が大切にされている様子がうかがえます。第二店舗である第二塚原呉服店が、通りを挟んで少し離れた場所に現在も残っています。",
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            "name": "大善屋呉服店",
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            "comment": "鬼滅の刃 無限城に似ているとSNSで話題になった、会津芦ノ牧温泉 大川荘。大川渓谷と呼ばれる絶景を見下ろす好ロケーションで、開放感のある露天風呂を楽しめるお宿です。四季おりおりの味を楽しめる高級会席料理も人気。圧倒的なクオリティの老舗温泉旅館はおすすめです。七日町通りまでの距離：18km（車で30分）割引プランやクーポンを見る",
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            "comment": "福島県の地方銀行です。ATMの他、会津ローンセンターが営業しています。会津支店店舗前には、清水屋旅館跡の案内板と石碑が立てられています。大東銀行の窓口営業時間平日：9:00-15:00土曜：休み日曜：休み祝日：休みATM営業時間平日：8:00-21:00土曜：8:00-21:00日曜：8:00-21:00祝日：8:00-21:00最新の営業時間については公式サイトのページをご確認ください。",
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            "comment": "大町四つ角（防御に適しているとされる城下町特有の変形交差点）に立つ旧郡山商業銀行若松支店の建物です。大正10年（1921年）、会津若松で初めての鉄筋コンクリート造の建物として建造されました。その後、大正11年（1922年）12月1日に銀行としての営業を開始しました。大正時代の洋風建築として、腰壁と呼ばれる壁の下側部分は石積み仕上げ・外壁はタイルとコンクリート洗い出し仕上げ（コンクリート施工後に表面を洗うことで砕石をあえて見せる施工）・窓は上げ下げ窓、となっています。銀行の移転とともに建物内部は改築が繰り返され、正面玄関に向かって右側部分は後に増築されていますが、現在でも当時の建物の雰囲気が残されています。左手に写っているのは昭和10年の郡山商業銀行若松支店。日本陸軍の師団が機動演習のため若松に訪れた日に記念撮影されたもの。通りの上空には日の丸が掲げられている。1922年（大正11年）に発行された、郡山商業銀行若松支店の営業案内。金融商品や年利案内、時刻表などが掲載されている。拡大した画像は、なぬかまち.com デジタルアーカイブでもご覧いただけます。なぬかまち.com デジタルアーカイブ ：郡山商業銀行若松支店営業案内郡山商業銀行若松支店の営業案内に同封された開行時の挨拶文。謹啓 仕候時下向寒ノ砌高堂 益々御淸福二被爲渉候段啓慶賀ノ至リ二奉存候陳者各位ノ御贔屓二ヨリ今般若松市大町一ノ町（四ッ角）二若松支店ヲ新設仕候二就テハ来ル一二月一日ヨリ開業致シ御便宜ヲ以て一般業務取扱ヒ可申候何卒御用命御引立被成下度此段御挨拶旁得貴意候敬具大正十一年十一月株式會社 郡山商業銀行 頭取佐藤傳兵衛謹啓 仕候時下向寒ノ砌高堂 益々御淸福二被爲渉候段啓慶賀ノ至リ二奉存候つつしんで申し上げます。この頃向寒のみぎり（秋から冬にかけて寒さが本格的になってくる頃）、高堂（人を敬っていう語）ますますご幸福にあらせられること慶賀のいたり存じ奉りいたします。陳者各位ノ御贔屓二ヨリ今般若松市大町一ノ町（四ッ角）二若松支店ヲ新設仕候二就テハ来ル一二月一日ヨリ開業致シ精々御便宜ヲ以て一般業務取扱ヒ可申候申し上げますが、各位のご贔屓によりこの度若松市大町1の町（4つ角）に若松支店を新設いたします。つきましては来たる12月1日より開業し力の及ぶ限り一般業務を取り扱いいたします。何卒御用命御引立被成下度此段御挨拶旁得貴意候なにとぞ、ご用命お引き立てくださりたく この段貴意を得たく思います。代々地元所有だったこの建物を借り受け、保存・観光資源として活用することを提案したのは東京都出身の現オーナーでした。そのため提案当初は地元に受け入れられず、建物を活用しても所有者だけが利益を得られるという意見もあったようです。地域柄として閉鎖的とも言われる会津の風土をものともせず、自費で建物内部を復元・改修したオーナーの手によって建物は現在まで残っています。そして七日町通り観光の一つの資源としても有効活用されています。平成8年（1996年） - 平成10年（1998年）会津若松建設事務所より、建築士会会津支部が委託を受け「会津歴史のまちづくり調査事業」の調査対象に認定され、図面作成。平成10年（1998年）「第6回美しい会津若松景観賞」受賞。平成14年（2002年）「会津若松市歴史的景観指定建造物」指定。",
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            "name": "太郎庵七日町菓房",
            "comment": "太郎庵駐車場案内図太郎庵七日町菓房は、地元でも知名度の高いお菓子屋さんです。店舗は、昔ながらの蔵の建物をそのまま利用しており、味わい深い建物の雰囲気が楽しめます。このお店の魅力は、会津の伝統的なお菓子から現代的な新しい味わいまで幅広いラインナップが揃っていることです。また、季節限定のお菓子も充実しており、訪れるたびに新しい発見があります。太郎庵七日町菓房のお菓子はお土産としてもおすすめです。旅行先での思い出に・大切な人へのお土産としてきっと喜んでいただけることでしょう。会津の歴史や文化を感じることができる太郎庵七日町菓房。昔ながらの蔵の建物と、素材にこだわったお菓子たちを堪能してみてはいかがでしょうか。",
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            "comment": "大正風の蔵をモダンにアレンジした雰囲気あふれるお店です。地元では「太郎焼き」とも呼ばれる大判焼きを楽しむことができます。店頭の窓越しには、店主が太郎焼きを作る姿が見えます。思わず立ち寄って購入したくなる魅力的な光景です。小倉あん入りの太郎焼きは、独自にブレンドした粉を使った生地に十勝産の小豆を使った自家製餡がたっぷりと入った逸品です。粒が大きめのあんこはしっかりとした食感もあり、ボリューム満点で満足できる食感です。さらに、白あん・クリーム・うぐいす・チョコなどをラインナップ。熱々のうちにかぶりついても、お土産として持っていき冷めてもおいしく召し上がれます。店舗の2階にはカフェスペースもあり、そこでできたてをいただくことができます。自慢の自家焙煎コーヒー・自家製の氷と自家製のシロップを使用したかき氷も人気になっています。暑い夏の日には、2階でのんびりしながらかき氷を頬張るのはいかがですか？",
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            "name": "奥会津食彩蔵河内屋（あかべこカフェ）",
            "comment": "蔵造りの建物で会津の名産品やグッズなどを販売しています。また、店内には食事処があり会津の食材を使った料理やデザートを楽しめます。「奥会津食彩蔵河内屋」という名前の通り、このお店は奥会津にある地元密着企業が店舗を運営しています。只見川水系の奥会津とは、柳津町・三島町・金山町周辺の地域の呼び名として使われているもの。そのため、奥会津食彩蔵河内屋では店舗名にも含まれているように、奥会津の名産品や特産品を手に入れることができるのです。例えば、柳津町で有名なあわまんじゅう。一般的なまんじゅうの皮の部分に粟（あわ）を使用したもので、一度食べたらやみつきになるおいしさです。七日町通りにいながら奥会津のおみやげも揃ううれしいお店です。店舗前の大きな赤べこも撮影スポットとして人気になっています。かわいい赤べこと一緒に記念撮影してみませんか？",
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            "name": "安心できる修学旅行のために",
            "comment": "福島県会津若松市に安心してお越しいただけるような情報をご紹介します。目次原発事故の影響会津の観光名所と七日町通りまでの距離七日町通りの歴史と古い写真なぬかまち.comを持ち歩く原発事故の影響東日本大震災によって生じた福島第一原子力発電所事故により、福島県内を含む多くの地域が放射性物質汚染の被害を受けました。会津若松市は、山に囲まれた盆地の地形や事故当日の風向きにより、福島県内で比較すると被害はある程度低いものとなりました。とはいえ、原発事故前と比べると放射線量が高いのも事実です。そこで、会津若松市では「会津若松市産のものだけを食べ続けた内部被曝量」や、「会津若松市に住んだ場合の外部被曝量」を試算し、公開しています。それらの数値は国際的な機関の基準・CT検査やX線検査の被曝量も下回るものでした。これらの情報を総合的にご判断いただき、「ふくしま」という言葉に不安を感じる方も含めて、ご来訪の判断材料にしていただければと思います。 当サイト防災情報まとめ 会津若松市の試算結果 会津若松市の放射線量推移会津の観光名所と七日町通りまでの距離会津若松市の交通事情としては、地方都市特有の車社会となっています。そのため、都市部のように鉄道網で迅速に移動することは難しい状況です。とはいえ、定額料金で市内を周遊するバスなどを利用することで徒歩以外の移動も可能です。また、七日町通りは会津各地の観光名所へのアクセスも良い場所となっていますので、プランに組み入れやすい観光地ともなっています。さらに、七日町通りでは絵ろうそくの絵付けなどの「体験」・会津の郷土料理やそばやハンバーガーなどの「グルメ」・歴史的な名所や資料館での「学習」が可能です。名所概要七日町通りからの距離 ルート検索現在地や任意の地点⇔七日町通りまでの距離を計測できます。 検索鶴ヶ城・茶室麟閣会津が誇る名城。天守閣内には展示スペースも2.8km 徒歩36分福島県立博物館福島県内の歴史を辿る2.8km 徒歩36分飯盛山・白虎隊記念館・さざえ堂白虎隊ゆかりの地3.6km 徒歩48分御薬園会津藩ゆかりの庭園3.0km 徒歩39分table th {/*table内のthに対して*/  padding: 10px;/*上下左右10pxずつ*/}table td {/*table内のtdに対して*/  padding: 3px 10px;/*上下3pxで左右10px*/}table {  border-collapse: collapse;  border: solid 2px orange;/*表全体を線で囲う*/}table th, table td {  border: dashed 1px orange;/**/  /*破線 1px オレンジ*/} 七日町通りまでのアクセス 周遊バスを探す七日町通りの歴史と古い写真七日町通りは長い歴史を持つ通りです。城下町としても街道としても発展してきた通りでもあります。七日町通りの歴史を下調べしてから観光すると、より新しい発見ができることでしょう。七日町通りの歴史を紹介するページや、過去の古写真を見ることのできる「なぬかまち.com デジタルアーカイブ」もご覧ください。古写真の建物と、現在の建物を見比べてみるのもおすすめです。 七日町通りの歴史 なぬかまち.com デジタルアーカイブなぬかまち.comを持ち歩く当サイト、なぬかまち.comはスマートフォンでも簡単に利用することができます。まち歩きの途中でもチェックOK！なぬかまち.comを持ち歩いてご利用ください！マイアカウントを作成すれば、お気に入りのお店をすぐに探せます。 マイアカウント",
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            "comment": "宿たかやは、七日町通りにある和風のお宿です。 ゆったりとくつろぐことができる旅館で疲れを癒してみませんか。 宿たかやの魅力は、囲炉裏を囲みながら落ち着いた雰囲気の中で楽しむ懐石料理です。 季節の旬のものを取り入れた料理や、会津の美味しい食材をふんだんに取り入れた料理が人気です。 会津の地産地消のお店でもあります。 建物の中ではインターネット接続Wi-Fiも可能です。",
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            "comment": "閉店しました。雑貨を扱うお店、寧々やは営業を終了しています。現在は和ガラス アンティーク さくらやが営業しています。",
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            "comment": "アンティークとクラフトが融合したユニークなギャラリーです。個性的な店舗外観が目を引き、内部には様々なジャンルのアートやクラフト作品が展示されています。小野屋ギャラリー夢蔵は、古い時代に建築された蔵を改装して作られており、その歴史的な雰囲気が魅力の一つです。店内には、アンティーク家具や雑貨・アート作品・クラフト作品など、幅広いジャンルの品々が並びます。独創的でユニークな作品が多く訪れる人々を楽しませてくれます。地元のアーティストや職人の作品・福島県内外のアーティストたちが手掛ける独自の作品やクラフトが多数展示されており、その個性的なデザインや技巧に魅了されること間違いありません。また、店主自らが作品のセレクションに力を入れており独特でセンスのある品々が揃っています。",
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            "comment": "地元の人々に愛される居酒屋です。観光スポットや歴史的な建造物にも近く、観光客にも人気のある場所にあります。居酒屋 酒林は和風の落ち着いた雰囲気の店内で、居心地の良い空間が広がっています。木の温もりを感じるカウンター・テーブル席など様々な席が用意されており、カップルや友人同士・家族連れなど幅広いニーズに対応しています。こちらの居酒屋の魅力は、新鮮な食材を使った料理にあります。地元の食材を中心に、季節に合った食材を使用し、素材の味を活かした料理が楽しめます。会津の郷土料理である馬刺しなど、地元ならではのメニューも豊富に取り揃えています。また、定番の居酒屋料理や創作料理も充実しており食べ応え満点の料理が味わえます。さらに、酒林は豊富なお酒の種類も魅力の一つです。日本酒・焼酎・ビールなど、幅広い種類のお酒を取り揃えており料理との相性も抜群です。特に地元の酒蔵の日本酒を中心に地酒の品揃えが充実しており、地元ならではの味を楽しむことができます。店主のご夫婦の親切な対応で、居心地の良い時間を過ごすことができます。",
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            "comment": "工房鈴蘭は、会津の伝統工芸品である漆器を扱うお店です。漆器は日本の文化的な遺産の一つで、その美しさや緻密な技術は多くの人々を魅了していますが、工房鈴蘭では伝統的な漆器だけでなく現代的なデザイン性や機能性にも優れた漆器を販売しています。それは、職人たちが受け継がれた伝統技術を大切にしながら、新しい時代に合わせた漆器を作り上げているからです。工房鈴蘭の漆器は、手作りであるため、一つ一つに個性や温かみがあります。また、漆の特徴である耐久性や美しさを追求しているため長く愛用できる漆器を提供しています。さらに、漆器のお手入れ方法や使い方についても丁寧に説明してくれるので、初めての方でも安心して購入することができます。工房鈴蘭の店内は、落ち着いた雰囲気で漆器の美しさが引き立っています。工房鈴蘭の漆器は贈り物や自分へのご褒美にも最適です。また、結婚式や新築祝いなどのお祝い事にもぴったりです。素晴らしい技術と美しさを兼ね備えた漆器で日常に彩りを加えてみませんか？",
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            "comment": "常光寺本堂は長さが8間（約14.5メートル）・奥行き10間（約18メートル）の大きな建物で、本尊は阿弥陀如来・右側に虚空蔵尊、後ろには位牌堂が連なっています。本堂2階には書院があり、寺院建築としてめずらしい2階建ての本堂です。常光寺と天海常光寺は、慶雲3年（706年）に律宗の寺として建立されました。後に真言宗へと変わりましたが、さらにその後、元和9年（1623年）に会津高田（現在の福島県会津美里町）生まれの天海（安土桃山時代から江戸時代初期にかけての天台宗の大僧正）から免許状を与えられ、天台宗へと改宗します。改宗がなされた当時、瑞竜院成秀という僧は真言の教えに疑いを抱き、比叡山で天台宗の教えを受けることにします。同時期に比叡山南光坊にいた天海の薫陶も受けたことから、常光寺は比叡山南光坊の末寺となっています。これらの常光寺に関する情報は、享和3年（1803年）から文化6年（1809年）にかけて編さんされた「新編会津風土記（あいづふどき）」にも、記録が残されています。境内東西56間半（約102.7メートル） 南北50間（約91メートル）免除地この町の北頬にあり山号を松林山といい比叡山南光坊の末寺天台宗なり開基の初詳ならず（旧事雑考に永和4年（1378年）黒川浄光寺建と記し当寺の事なるべしと伝えり）旧事雑考とは会津旧事雑考のこと。後述。初は律宗なりしが後真言宗となる。元和年中成秀という僧また台家となり僧正天海に謁して叡山の直末となる。因て成秀を中興とす本尊弥陀客殿に安ず。成秀護持の像にて古物なり宝物元三大師像 一軀（いっく）尊敬法親王※1寄付 長さ1尺2寸（約45.6センチメートル）の座像なり如意輪観音像  一軀（いっく）行基※2作と言い伝えられる 長さ2尺5寸5分（約96.9センチメートル）不動像  一軀（いっく）日光山大楽院※3寄付なり 長さ1尺6寸5分（約62.6センチメートル）僧正天海文書 一通 直末免許の状なり その文書は左會津黑川今號若松常光寺雖為大乘律近年紛亂之間屬舊規度之由就訴訟稱山門直末自今以後彌以御門流之顯密相續不可有怠慢之旨宜令承知者也元和九癸亥年四月廿四日山門探題大僧正天海判※1尊敬法親王または守澄法親王。寛永11年（1634年）- 延宝8年（1680年）。初代輪王寺宮門跡（日光門跡）。東叡山（寛永寺）・日光山（輪王寺）貫主。天台座主。※2日本の仏教僧。（668年） - 天平21年（749年）。※3日光東照宮 大楽院。会津旧事雑考とは寛文12年（1672年）に向井吉重が記した書物で、会津に起きた出来事が記録されているものです。新編会津風土記では会津旧事雑考を元にした情報が記されています。国立公文書館デジタルアーカイブで公開されています。常光寺の威容かつて常光寺は広大な敷地を有しており、「四方堀の常光寺」と言われていました。四方を堀によって囲まれその敷地は1町歩（約1ヘクタール）を誇りました。その庭園には築山があり、伽藍（がらん 寺の建物）も壮大なものであったと伝えられています。それを裏付けるものとして、明治17年（1884年）の地積測量図には常光寺の周りに堀があったことが記録されています。地籍図の常光寺。赤の線は道路・灰色の線は水路を表している。赤色のエリアは宅地・黄色のエリアは耕作地。破線は別の町との境界であり、その町の地籍図にも水路が表示されている。しかしその壮大な建物は数度の火災によって消失してしまいました。天和元年（1681年）4月11日には、石切職人である権右衛門が慶山に仕事に出かけたあとに出火し、付近一帯533戸に延焼・その火災で常光寺も焼失してしまいます。その後、慶応3年（1866年）には羽黒山東光寺※4の本堂を貰い受け、舞台造（主に寺社建築に用いられる、長い柱で床下を固定しその上に建物を建てる建築様式。 懸造または 崖造とも）として再建されましたが、明治16年（1883年）5月1日に若松で発生し合計1500戸焼失した大火によって再建された本堂も失われました。そのため現在残る本堂は昭和54年（1979年）に増改築された建物となっています。常光寺には、会津地方の仏教歴史が記録されている「会津寺院縁起」という貴重な文献が残されています。また野出蕉雨※5の屏風二双や海東五兵衛※6の墓もあり、長い歴史が伝えられる場所となっています。※4羽黒山東光寺。現在の東山温泉にある羽黒山神社（福島県会津若松市東山町大字湯本字 寺屋敷11）。天平元年（729年）、高僧行基が羽黒山東光寺として草創された。その後、明治時代の廃仏毀釈で寺は廃され羽黒山湯上神社となった。※5野出蕉雨（のでしょうう）弘化4年（1847年）、若松米代三の丁生まれの絵師。会津藩士である塩田牛渚に南宋画を学んだ。松平容保が京都守護職として上洛すると野出蕉雨も京都へ上洛。その後戊辰戦争において勢至堂の戦い・籠城戦にも参戦した。戊辰戦争後は農業や裁判所に雇われていたが、現在の会津美里町本郷 瀬戸町に住み陶画の指導を始める。明治10年（1877年）ごろから本格的な制作活動を開始、明治17年（1884年）に上京し長崎派の滝 和亭（たき かてい）のもとで制作に励んだ。近代日本画と呼ばれる画風が登場する前に、独自のスタイルを完成させた野出蕉雨は高い評価を受けている。※6海東五兵衛。会津塗の塗師または豪商と伝えられる。常光寺は度々の火災消失のたびに再建された。写真は明治24年（1891年）3月に再建されたもの。現在の建物は昭和54年（1979年）に増改築されたが、入り口の屋根部分に名残がある。常光寺の虚空蔵菩薩は、加藤嘉明の守本尊としてその兜にあった。松平家時代には鶴ヶ城内延壽寺の護摩堂に本尊として安置され、歴代藩主が信仰した。言い伝えによると、松平容保が京都守護職にあった際、病気にかかるとその夢枕に虚空蔵菩薩が現われ、「七日町 常光寺に遷座せよ」とのお告げをうけた。文久3年（1863年）10月12日に常光寺に移されると松平容保の病気は快復したという伝説が残る。ディープラーニングによる着色多くの人が集まる賑わい寛延2年（1749年）12月、会津藩史上最大の農民一揆が起こります。作物の不作にもかかわらず年貢が重いことが原因でしたが、この一揆をきっかけに会津藩では様々な農業以外の産業振興が奨励されるようになっていきました。それと共に、保科正之によって領内で厳禁とされた、歌舞伎・浄瑠璃語・獅子舞・会津万歳（舞いながら滑稽なやりとりが行われる）が解禁されます。興行に関する記事が記された「日暮延命物語」によると、天明7年（1787年）11月には、江戸大相撲の鬼面山（1826年-1871年 第13代横綱）・小野川一行が常光寺境内にて興行し大評判になったことが記録されています。寛政3年（1791年）には、常光寺に隣接した広場に「劇場人形座」が建設されました。2月27日は無料で一般公開され、3月1日からは見物料金をとって人形竹田一座の興行が行われました。その後も名役者であった森田勘弥が、仮名手本忠臣蔵・糸桜寺町育・恋女房染分手綱、などの演目を演じて興行は大当たりとなりました。劇場人形座には当時の会津藩校日新館の生徒たちも見学に訪れています。その後も盆踊り・見世物小屋・相撲・サーカスなどで賑わい、城下の活性化の口火となり、他の町にも芝居小屋が建設されていくことになります。明治26年（1893年）には、この場所に塚原元吉（1878年）が「若松座」を建設しました。大正初期の会津日報には「大正3年に会津で初めて活動写真も若松座で上映され、翌年には活動写真常設の若松館と改称した」と報道されています。若松座は「芝居小屋若松劇場」とも呼ばれ、七日町の繁華街に常設された芝居小屋として、さらに会津地方唯一の常設芝居として多くの人々が集まる場所となりました。さらに当時の関係者の証言によれば、「若松座には回り舞台があり、映画の他に芝居や浄瑠璃などを興行した。昭和14年ごろに閉館・取り壊し下宿業を営んだ」といいます。同じ頃、常光寺境内には盆踊り用のやぐらも建てられています。現在の清水屋 会津桐下駄の裏には、一心亭という寄席も建てられました。その後、明治時代中期には七日町北側の磐見町に遊郭ができています。現在では姿を消した遊郭ですがその雰囲気は現在でも一部の建物に残っています。さらに明治41年（1908年）、会津若松に歩兵第65連隊が常駐するようになると、遊郭や芝居小屋がある常光寺付近も繁華街として賑わいが最高潮の時期を迎えました。大正時代初め頃に撮影された「芝居小屋若松劇場」の上棟式。骨組みからも特徴があり目立つ建物だったことが想像できる。若松座の宣伝用絵葉書。大正時代の娯楽の進歩の一つとして活動写真を挙げることができる。若松では大正4年（1915年）に初めての常設活動写真館（栄楽座）がオープンした。同じ年にオープンしたのが常光寺隣りの若松座であった。明治時代の末に撮影された七日町の芸妓。ディープラーニングによる着色とノイズ補正現代では、「お日市」と呼ばれる町内ごとにまつられてきた神社・仏閣などのお祭りも開催され賑わっています。同じ敷地にはめぐりあい観音と呼ばれる観世音菩薩像が安置されています。言い伝えによると、京都の宇治に茶造りを商売にして暮していた傳右衛門という人がいた。傳右衛門には名を傳七という一人の子供がいたが家を出てしまった。傳右衛門は老いの身を六十六部（修験僧）に替え、観音菩薩像を背負い国中を深して歩いた。若松に寄り常光寺を訪ねお茶を飲ませてもらうと、それは自分が造っていたお茶と同じ味であった。お茶を入れてくれた寺の修行僧こそが傳七だったのである。傳右衛門は息子とめぐり合った常光寺に観音菩薩像を安置し祀った。「まいるより 常の光をたのむかな 二世かけて 祈る身なれば」現代文：「寺社を巡り歩くよりも、常光寺（常の光）の仏の慈悲に頼ろう。なぜなら、私は現世と来世（または親子二代）をかけて祈る身なのだから。」この記事に関連する資料一覧・新編会津風土記 第19 田中玄宰（1893年-1901年）https://www.digital.archives.go.jp/item/4287373・会津旧事雑考 向井吉重（‐）https://www.digital.archives.go.jp/file/1231740・目でみる明治大正昭和の会津 上巻 目でみる明治大正昭和の会津編集委員会 編（1986年）info:ndljp/pid/9643896・町名の由来 : おらが街のミニ歴史 旧町名・地名由来冊子出版部会 編（1986年）info:ndljp/pid/9643741",
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            "comment": "七日町通りに佇む、隠れ家のような抹茶専門店。会ぜひ立ち寄りたいのが「抹茶専門カフェ 濃い春」です。歴史ある七日町通りにひっそりと佇む店内は、木目を基調とした温かみのある空間。日常を忘れ、ゆったりと抹茶の世界に浸ることができます。京都産の宇治抹茶をふんだんに使用。「濃い春」の魅力は、なんといっても京都府産の宇治抹茶を贅沢に使用していること。抹茶本来のほろ苦さの中に、上品な甘みが広がる抹茶スイーツやドリンクは、まさに絶品。特に、生チョコのような濃厚な食感がたまらない「抹茶テリーヌ」は、リピーター続出の人気メニューです。目の前で立てられる抹茶ラテも人気。注文を受けてから目の前で丁寧に立てられる抹茶ラテは、香り高い抹茶の風味をダイレクトに楽しめます。五感で味わう抹茶の体験は、きっとあなたを虜にするでしょう。テイクアウトもOK！店内でゆっくり味わうのも良いですが、「濃い春」のスイーツはテイクアウトも可能です。七日町の街を散策しながら、こだわりの抹茶スイーツを味わってみてはいかがでしょうか。こだわりの抹茶を心ゆくまで会津若松を訪れた際は、ぜひ「濃い春」で特別な抹茶体験をしてみてください。町並みの風情と、本格的な抹茶が織りなす至福の時間をお過ごしください。",
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            "name": "新島八重 2013年（平成25年）NHK大河ドラマ「八重の桜」",
            "comment": "2013年（平成25年）NHK大河ドラマは、会津若松ゆかりの人物・新島八重を題材にした物語に決定しました。大きな変化の時代を力強く生きた、八重の物語をお楽しみに。八重ゆかりの土地の観光情報をご紹介しています。新島八重とは新島 八重（にいじま やえ）旧姓 山本 八重新島八重は、会津藩の砲術師範であった山本権八・さく夫妻の子として誕生しました。戊辰戦争時には断髪・男装し家芸であった砲術を駆使し、鶴ヶ城籠城戦では自らも7連発スペンサー銃を持って奮戦しました。後には、同志社創立者の新島襄を妻として支えました。その後、日清戦争・日露戦争で篤志看護婦となり、その功績により銀杯を下賜されました。幼少時代と戊辰戦争の始まり八重は弘化2年（1845）11月3日に会津若松鶴ヶ城米代四ノ丁で誕生します。父の山本権八が三九歳、母の咲が三七歳のとき三女として生まれました。山本家にとっては五人目の子でしたが、一男二女は早逝したため八重は17歳年上の覚馬と2歳下の弟、三郎と共に育つことになります。山本家は砲術師範の家柄でした。そのためか、八重は物おじせず快活な気質を持っていました。八重白身が後に書いているように、娘時代の興味は女らしさとは無縁の鉄砲や砲術でした。そのような性格の背後には兄の覚馬の影響があります。八重にとって多感な人間形成期に兄覚馬の影響は大きく、兄から洋銃の操作を習い、洋学の思考を身につけていくようになります。その頃、覚馬の招きにより川崎尚之助が会津にやってきて、山本家に寄宿するようになっていました。川崎尚之助は但馬出石藩医の出であり、蘭学と理化学を修めた有能な洋学者でした。尚之助は覚馬が開設した会津藩蘭学所の教授を勤めながら、鉄砲や弾丸の製造を指揮することになります。そして、戊辰戦争が始まる前、尚之助と八重は結婚しました。尚之助と結婚して3年後、戊辰戦争が始まりました。尚之助とは戊辰戦争が始まる頃離婚することになります。戊辰戦争が始まり、戦局は会津藩に不利なものとなります。新政府軍が迫り、鶴ヶ城入城を促す鐘が鳴り響きます。そして、八重は大小を腰におび、7連発のスペンサー銃を持って銃弾を避けながら鶴ヶ城に入城します。しかし、新政府軍の洋式砲・洋式銃のすさまじい威力の前に死傷者が続出し、会津藩主松平容保は降伏を決意しました。後に八重は降伏の使者が城門を出てゆくことを思い出し、「当日の事を考えると残念で、今でも腕を扼したくなります」と語っています。新島襄との出会いと結婚生活月日が流れ、明治4年（1871）2月に八重は母の咲・姪のみねとともに故郷の会津を後にし京都に向かいました。その頃、八重の兄である覚馬は洋学者として京都府の顧問に迎えられていました。京都にやってきた八重は、覚馬の影響で英語を学ぶようになり洋装の婦人として生活するようになりました。翌年4月には、日本最初の女学校「女紅場」の舎監兼教師になりました。八重と新島裏の出会いは明治8年（1857）頃でした。新島八重子回想録にはこのような記録があります。「ある日のこと、ゴルドンさんのお宅へ馬太伝を読みに参りますと、ちょうどそこへ襄が参っておりまして、玄関で靴を磨いておりました。私は、ゴルドンさんのボーイがゴルドンさんの靴を磨いているのだと思いましたから、別に挨拶もしないで中に通りました」明治7年暮に帰国した新島襄は、大阪にキリスト教主義の学校を開設しようとしていましたが順調にいかず、京都でそれを実現しようとしていました。襄はキリスト教に理解を示すようになっていた覚馬に接近し、八重も襄に聖書を習いにゆくようになります。そして、明治8年10月15日八重は新島襄と婚約し、明治9年1月2日結婚式を挙げました。襄32歳、八重30歳の時のことでした。その後、襄の夢かない同志社英学校は明治9年11月に開設され、明治11年には同志社女学校が正式に開校されました。八重はそこで礼法の教師を勤めることになります。母の咲も洗礼を受け、明治11から16年まで女学校の舎監を勤めることになります。山本家の人々は襄を助けて同志社の基礎を定かなものにしたのでした。英語を学び西洋文化に触れキリスト教に入信した八重でしたが、世評は必ずしも良いものではありませんでした。時には悪妻と評されます。夫をジョーと呼び捨てにし、車にも夫より先に乗りました。これは新島夫妻が互いの尊重の上で男女が等しく平等であるという姿勢を自ら世に示したものでしたが、男尊女卑の明治時代においては世間からは「悪妻」と評されました。また時には、鵺（ぬえ）と評されることもありました。八重の行動は、同志社英学校の生徒には先生である襄を軽んじていると映り、当時学生であった徳富蘇峰に「鵺」と罵倒されることもありました。また、同志社英学校において、戊辰戦争の際に会津藩を攻めた薩摩長州出身学生を冷遇したり、問題を起こした兄嫁を義兄や襄が許しても家から追い出したりすることもありました。このように西洋の感覚を身に着けながらも、武士の誇りと道徳にこだわり周囲と軋轢を生んでしまうこともありました。しかし夫婦仲はとても良いものでした。夫の襄はアメリカの友人への手紙で「彼女は見た目は決して美しくはありません。ただ、生き方がハンサムなのです。私にはそれで十分です。」と書いています。また、襄は八重を絶えず細やかに気遣っています。明治17年にかけての欧米旅行中にアルプス登山で心臓発作を起したときのことを振り返って、「自分はそのとき非常に苦しんだ。諸君のことを思い妻のことを思い」と語っています。また、八重も14年の結婚生活の中で療養する夫をよく気遣っています。激務の谷間を縫うようにして療養する夫に付添って、北海道・鎌倉・伊香保・神戸に付き添い献身的に看病しています。しかし襄と八重の別れの時がやってきます。襄は明治23年1月23日、枕として左手を差し出した八重に「狼狽するなかれ、グッバイ、またあわん」と最後の言葉を残して47歳の生涯を終えました。襄の死後と晩年八重は襄の死後、社会福祉活動に尽くすことになります。明治24年には、日赤篤志婦人会に入会しています。明治27年に日清戦争が始まると、20数名の篤志婦人会の会員を率いて4カ月にわたって救護に勤めました。日露戦争では58歳になっていましたが、再び大阪で救護活動を指揮しました。襄の遺志を引き継いで、八重は遺産のすべてを同志社に寄付します。そして昭和7年7月15日、急性胆嚢炎がもとで87歳の生涯を終えました。葬儀は「同志社社葬」として4000人もの参列者がありました。八重は今でも襄の隣で眠っています。新島八重ゆかりの地会津若松市内、鶴ヶ城すぐそばにある八重の旧姓山本家の跡地には、それを記念する石碑と案内板が立てられています。八重の誕生の地を偲ぶことができます。八重の生い立ちと功績が記されている。（画像クリックで拡大）山本覚馬・新島八重生誕の地に建てられている石碑。（画像クリックで拡大）石碑と案内板を左手に見ながら、鶴ヶ城方向を望む。道路を進むと鶴ヶ城はすぐそこ。（画像クリックで拡大）案内地図新島八重ゆかりの地では、案内板と石碑を見ることができます。ご注意●生家跡は残っていません（石碑と案内板のみ）。現住所と新島八重との接点はありませんので、お問い合わせはご遠慮ください。●駐車場はありません。路上駐車はご遠慮ください。●東南に通る付近の道路は、一方通行です。",
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            "comment": "旬の食材を贅沢に用いた日本料理の名店、季味。ランチタイムには会津の郷土料理をセットにしたお弁当「会津弁当」や季節の食材を使った「松花堂弁当」が人気です。松花堂弁当はおすすめのランチで、料理も器も鮮やかです。また「うな重」・地元食材の会津地鶏を使った「親子丼」など多彩なメニューが揃っています。初訪問でも、優しい味わいと工夫された料理で大満足のはず。季節の魚を使ったお料理もおすすめです。高級感ある店構えですが、手頃な価格で子連れや一人飲みの方も安心して食事が楽しめます。店内は静かで清潔感があり奥行きがあるため、カウンター席・テーブル席・小上がり・座敷などに対応しています。また、スタッフの方々も優しい雰囲気でお腹も気持ちも満たされること間違いなしです。七日町に足を運んだ際には、ぜひ「季味」で美味しい日本料理を楽しんでみてください。",
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            "name": "昭和なつかし館",
            "comment": "昭和30年代の街角を再現した懐かしいスポットです。入館料200円を払い少し斜めの階段を上がると、別世界に入り込んだかのような感覚に陥ります。広さは16坪ほどで癒しの間と会津若松の街中10店舗が再現されており、家具や小物も全て当時使われていた本物が使用されています。館長が20年前から持ち続けていた「貧しくても心が豊かだった昭和30年代の空間をつくりたい」という構想がこだわった結果、素晴らしい空間が誕生しました。すべてが館長にかかわりのあった実在の店の名前が付けられており、町内をそのまま再現しています。中央の茶の間「癒しの間」では、白黒テレビから力道山などの懐かしい映像が流れ、ジュークボックスからお好みの曲を流すことができます。季節により展示物を替えており手で触れたり写真を撮ることも可能です。夕暮れをイメージした薄暗い路地・すし屋・たばこ屋・銭湯・写真館などが連なります。展示物は本物にこだわり、天井や壁のよごれまで手作りで再現されています。いきどまりには古い本物の部材が使われた便所があり、雪隠窓なども見ることができます。昭和なつかし館は、昭和を知らない方でも楽しめる素晴らしいスポットです。是非、何度でも足を運んでください！",
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            "name": "會津つるやホテル",
            "comment": "會津つるやホテルは、七日町通りと隣接する野口英世青春通りにあるホテルです。落ち着いた外観の建物と清潔感のある館内で、ビジネスでも観光でも気軽に宿泊できる雰囲気となっています。室内に風呂があるプランと大浴場を利用するプランなど、予算や用途に合わせて料金を選択できるのも魅力の一つです。バス通りやコンビニエンスストアも近く、ちょっとした買い物にも便利な立地となっています。 割引プランやクーポンを見る",
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            "name": "會津よろずや（Aizu Yorozuya Cafe）",
            "comment": "呉服屋さんを改装したお店で、会津の作家たちの作品を展示しています。いろいろな作品やグッズも販売中。Aizu Yorozuya Cafeでは、街なかのカフェとしてリーズナブルなお値段で食べ物や飲み物を楽しめます。店内でも飲食できるほか、テラス席でのんびりするのもおすすめ。",
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            "name": "松本酒店（閉店）",
            "comment": "閉店しました。お酒を販売しています。会津の地酒ならこちら。同じ建物が改装され、kaien Hostel & Cafe BARがオープンしました。",
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            "name": "池田種苗店（閉店）",
            "comment": "閉店しました。建物はそのまま残されており内部が改装され、甘味処 鎌倉がオープンしています。いけだしゅびょうてん。花や苗を販売しています。歴史と趣きのある建物にも注目です。店舗の建物に注目すると、壁面の2連アーチ部分にはカブのレリーフが彫られています。窓の下にある木造の花台の部分にもカブの形に抜かれている様子が見えます。そしてカブの形の看板など・・。どこをとってもおしゃれでかわいい建物です。",
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            "name": "清水屋 会津桐下駄",
            "comment": "七日町通りにある下駄屋さんです。会津若松で伝統的な技法で作られた会津桐下駄は、木目が美しく、軽くて履きやすいことで有名です。清水屋では、その伝統の技法を大切にしながら、現代のデザインや素材も取り入れた様々な種類の会津桐下駄を取り扱っています。また、お好きな鼻緒を選びそれぞれの足に合わせたオーダーメイドの下駄も作ってくれます。店内には、実際に履いてみることができる試着用の下駄も用意されています。並んでいる数多くの美しい会津桐下駄は、職人が手作業で作り上げたもので丁寧で美しくその手間と技術の高さに驚かされます。また、足を入れるとともにふわりと香る木の香りも、贅沢な時間を感じさせてくれます。さらに、日本の伝統工芸品やお土産物なども販売されています。一生ものの足元を手に入れるために、清水屋に足を運んでみてはいかがでしょうか。",
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            "name": "清水屋旅館跡（皆山楼）",
            "comment": "清水屋はかつて七日町通りにあった旅館です。建物は木造3階建てで、当時から格式の高い旅館でした。現在の清水屋旅館跡江戸時代の七日町通りは旅籠（旅館）が多く立ち並ぶにぎやかな通りでした。会津若松城下の旅籠95軒のうち、実に30軒が七日町にあったといわれています。なぜならば七日町通りは米沢街道につながっており、会津若松城下から出るにも入るにもちょうどよい場所に位置していたからです。そのように七日町に多くの旅籠が営業していた中でも、清水屋はそれを代表する旅籠でした。そのことを示す資料が残っています。安政2年（1855年）に発行された「東講商人鑑」（あずまこうあきんどかがみ）には、清水屋旅館が掲載されています。東講商人鑑は、東日本の商人が結成した集団（講）が発行した書物で、一定の基準に達した旅籠だけが東講商人鑑に掲載されるものでした。そこに掲載されているということは、大金を動かす商人たちが安心して宿泊できる旅籠であったということが分かります。東講商人鑑に掲載された清水屋。七日町・東講商人定宿・清水屋平助、などの文字が見える。さらに清水屋は脇本陣としても指定されていました。脇本陣とは、大名や関係者が宿泊する「本陣」が利用できない場合の予備的な施設として指定されていたものです。脇本陣では大名が利用しない場合には、一般庶民も利用することができました。多くの有名人が泊まった宿清水屋旅館には多くの有名人が訪れています。幕末の嘉永5年（1852年）には、吉田松陰が東北旅行の途中に宿泊しています。この時吉田松陰は東北各藩を訪問するという大旅行を行っていますが、会津を訪問した際には清水屋に宿泊しました。吉田松陰が記録した「東北遊日記」。吉田松陰は「微雨の中七日町を出発」している。旅行の中で会津には2度立ち寄っている。旅程は「江戸→水戸→白河→会津若松→新潟→佐渡→秋田→弘前→小泊→今別→青森→小湊→盛岡→仙台→米沢→会津若松→日光→足利→関宿→江戸」であった。慶応4年（1868年）には、戊辰戦争宇都宮の戦いで負傷した新選組副長土方歳三が宿泊した場所でもあります。戊辰戦争後には、松平容保の義姉照姫は東京に護送される前、妙国寺（会津若松市一箕町八幡字墓料78）から清水屋に移り、この清水屋から東京の紀州藩青山邸に向かいました。明治には自由民権運動家であり喜多方出身の宇田成一が官憲に襲われる、清水屋事件が起きています。清水屋旅館は、本館が栄町にあり「清水屋 環碧楼」と呼ばれていました。七日町通りの分館清水屋旅館は、「皆山楼」と呼ばれ親しまれていました。七日町通りに面した清水屋旅館。特徴のある建物で目立っていた様子がわかる。なぬかまち.com デジタルアーカイブ ：若松市七日町通大正時代の七日町を大町四つ角側から見た様子。右側には白木屋漆器店の建物と蔵が見える。位置関係からすると、左側の建物は木造3階建てだった清水屋旅館だと推測できる。大正時代の七日町を西側から見た様子。奥には東山の山並み。左側には白木屋漆器店の建物と蔵が見える。位置関係からすると、右側の建物は木造3階建てだった清水屋旅館だと推測できる。大正12年には、「会津勧業無尽株式会社」（大東相互銀行の前身・現在の大東銀行）が清水屋旅館を買収し、移転しました。その後、清水屋旅館は昭和の初め頃に取り壊されました。現在は清水屋旅館跡として、石碑と案内板が残り当時をしのぶことができます。",
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            "name": "渋川問屋",
            "comment": "渋川問屋は老舗のお店です。創業は江戸時代から続く歴史ある問屋であり、今でも当時の趣を残す落ち着いた建物が魅力的です。渋川問屋の一番の魅力は、会津の郷土料理が味わえることです。会津の厳しい冬を乗り切るために発展した郷土料理は、豊かな旨みとボリューム感が特徴です。渋川問屋のお店の内装は、大正時代の建物をリノベーションしたもので、木のぬくもりが感じられる温かみのある雰囲気です。また、広い店内には、大人数での宴会や会議などに利用できる個室も完備されており、様々なシーンで利用することができます。そして、渋川問屋のお店の外観も雰囲気ある建物で、まるでタイムスリップしたかのような雰囲気が漂います。渋川問屋は、会津の歴史を感じさせる郷土料理と建物の魅力が詰まったお店です。ぜひ渋川問屋に足を運んで、会津ならではの食と建築を楽しんでみてください。",
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            "comment": "老舗のお味噌屋さんです。満田屋の始まりは天保5年（1834年）にさかのぼります。現在この場所には、戊辰戦争の戦火で焼け残った土蔵を見ることができます。さらに明治2年（1869年）に建てられた味噌蔵や、昭和に入ってから改築された店舗が並んでいます。店内は味噌蔵を改装しており、会津の郷土料理「みそ田楽」が味わえます。みそ田楽には、こんにゃく・豆腐生揚げ・つきたてのまる餅・しんごろう餅・身欠きにしん・里芋などが使用され、秘伝の味噌だれ（柚子・じゅうねん・山椒など）をぬって囲炉裏の炭火で一本ずつ焼き上げられます。また、満田屋では味噌や食用油・みそ漬・会津高田梅などの会津特産品も販売しています。満田屋は、1834年に初代満田善内が塩の販売と味噌の製造小売を始めて以来、味噌製造に力を入れており、明治4年には生産局から本格的な味噌の製造販売の許可を得ました。その後、醤油・漬物・菜種油・胡麻油の製造販売を手掛け、現在は味噌専業会社の三善と搾油や手造り漬物などを手がける株式会社満田屋に分かれています。満田屋は、1972年に店舗を増床改築して味噌田楽コーナーを開設し観光客の誘致にも力を入れています。また、会津高田梅の製造販売にも着手し会津の味を広める活動に貢献しています。満田屋で味わうことができるみそ田楽は、長年培ってきた味噌作りの技術と伝統の味噌だれが織り成す深い味わいを楽しむことができます。当時の趣を残す建物で名物の田楽をいかがですか？",
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            "name": "滝谷建設工業 会津若松支店（旧郡山橋本銀行 若松支店）（旧第四銀行 会津支店）",
            "comment": "大正・昭和初期に活躍した建築家である岡田 信一郎が設計し、昭和2年（1927年）に完成した建造物です。建築当初は、郡山橋本銀行※1の若松支店として建設されましたが、 折しも世界恐慌とその影響を受けた昭和恐慌により開店することができませんでした。※1郡山橋本銀行：大正7年（1918年）- 昭和3年（1928年）に営業していた銀行。大正7年（1918年）海瀬銀行が長野県から移転し改称し郡山橋本銀行に。その後昭和3年（1928年）に郡山銀行と合併し郡山合同銀行となった。その後、昭和10年（1935年）から昭和55年（1980年）の期間、第四銀行（現在の第四北越銀行）会津支店として用いられました。第四銀行がすぐ近くの中央通り沿いに移転（福島県会津若松市大町1丁目9-24）してからは、滝谷建設工業の会津若松支店として使われ現在に至っています。通りの中でも存在感と威容を誇る。左隣は白木屋漆器店。特徴としてはなんと言っても正面に存在感を放つ6本の柱と言えます。ギリシャ様式の神殿を想起させる重厚感あふれるデザインは、見るものを圧倒する迫力を持っています。イオニア式と呼ばれる、柱の上部にある渦巻き模様がアクセントとなっています。建設当時は1階に営業室、2階に支店長室・来賓室・会議室がありました。歴史的に貴重な建物であることから、平成11年（1999年）に会津若松市が指定する歴史的景観指定建造物に認定されました。現在、内部の見学をすることはできません。建築当初の絵葉書でみる建物の概要建物が完成した当時に発行された絵葉書をみると、建物の概要をいくらか知ることができます。また、当時は鉄筋コンクリート造はめずらしく、会津若松で初めての鉄筋コンクリート造であった大正館（旧郡山商業銀行若松支店）と共に、新しい時代の建築物として誇れる建物だったことが伝わってきます。絵葉書に同封されている概要は以下のとおりです。・構造外部鉄筋コンクリート。基礎は1.8mから2.4m掘り下げ、砂利敷の基礎。壁は花崗岩洗い出し・一部モルタル仕上げ。陸屋根（平らな屋根）で防水の上にセメントタイル。・構造内部漆喰塗り仕上げ。コンクリート床の上に床板張り。来客スペース床はモザイクタイル張り。来客スペース床は寄木張り、リノリウム（リノリウムは1860年代のイギリスで発明された素材。亜麻仁油の酸化物に石灰岩・松ヤニ・コルク粉などを練り合わせ麻布に塗り付けて乾燥させたもの）。来客スペースの腰壁と勘定室は大理石仕様。・設備各部屋にコンセントプラグ完備。ボイラー2基で冬でも18度の暖房可。窓やシャッター・ドアはスチール製。金庫室は30cmの鉄筋コンクリート壁。郡山橋本銀行若松支店新築工事概要1.位置  若松市七日町二百四番地（白木屋東隣）1.工作  着手 大正15年6月5日  落成 昭和2年5月20日1.坪数  階下 52坪2合5勺 （52坪：約171.90平方m・2合：約0.66平方m・5勺：約0.17平方m・合計：約172.73平方m）  階上 52坪2合5勺 （52坪：約171.90平方m・2合：約0.66平方m・5勺：約0.17平方m・合計：約172.73平方m）  總坪 105坪（総坪：約3,487平方m）1.様式  クラシック式（古曲式）1.延人員  4,650人1.主なる工事関係者  設計監督 工学博士 岡田 信一郎  主要工事請負者 東京 池田工業株式会社構造概要全部鉄筋「コンクリート」構造にして基礎は地盤面より6尺ないし8尺掘り下げ、砂利層の上に基礎を築き、各基礎間は鉄筋「コンクリート」の繋ぎ梁をもって連絡し、壁体外部は花岡石人造洗出しおよび一部「モルタル」仕上げとし、内部は漆喰塗り仕上げとせり。屋根は陸屋根（傾斜のない平面状の屋根のこと）とし、防水層上に「セメントタイル」張りをなし、押さえを十分ならしめると共に、展望にも使いならしめたり。床は「コンクリート」床に床板張りの上、客溜りは美麗なる「モザイツクタイル」張りとし、来客室は寄木張りとし、その他「リノリューム」を敷き詰めたり。なお、客溜まり壁腰および勘定室は全部大理石を張り詰めたり。設備工事照明装置、電灯装置は全部「シュラダクト ガーランドチューブ」を使用し、電灯設備の外、電熱器の設備を施し、各室に「コンセントプラツグ」を設け電力供給を自由にせり。暖房装置「ラデックス」型、鋳鉄製組合式温水汽罐（密閉した鋼鉄の容器の中で圧力の高い蒸気を発生させる装置、ボイラーのこと）2基を用い温水により厳冬の時期といえども室内華氏65度を保ち得る設備をなせり。防火設備外回り窓は「スチールサッシ」及「スチールシャッター」入口回りは「スチールドアー」を用いたり。金庫室壁は厚さ1尺（1尺：約30cm）の鉄筋「コンクリート」壁とし金庫扉を取付けたり。なぬかまち.com デジタルアーカイブ ：若松市七日町 郡山橋本銀行若松支店昭和2年 郡山橋本銀行若松支店の外観。現在とほとんど変わらない建物の様子。昭和2年 郡山橋本銀行若松支店 営業室の一部。大理石の腰壁・スチール製サッシ・照明器具がみえる。昭和2年上記写真をディープラーニングで自動色付けしたもの。昭和2年郡山橋本銀行若松支店 来賓室。寄木張りの床がみえる。昭和2年上記写真をディープラーニングで自動色付けしたもの。",
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            "name": "熊野屋",
            "comment": "創業120年の老舗和菓子屋です。名物のどら焼きは、丁寧に1枚1枚焼いた生地にあんことクリームが詰まっていて大人気のおいしさです。また、地産地消で会津産のこしひかりを使っただんごも人気になっています。他にも多くの種類の和菓子が揃っています。その場でいただくのも良し、お持ち帰りやお土産にもおすすめです。菓子の木型と、左 甚五郎・左 一山熊野屋の創業は明治20年（1887年）に、初代である齋藤平三郎氏が創業しました。齋藤平三郎氏は伝説の彫刻職人と言われる左 甚五郎※1のひ孫・左 一山※2の孫に当たります。孫が菓子製造業を興した事を知った左 一山が彫り込んだ菓子の木型が現在でも残っています。その菓子の木型を使い、落雁や生菓子を製造したのが熊野屋の初めでした。※1左 甚五郎（ひだり じんごろう）江戸時代の伝説的な彫刻職人。代表作は日光東照宮の眠り猫。一方で作品の制作期間は安土桃山時代から江戸時代後期まで300年の幅があるので、左 甚五郎という名称は各地の名工たちの称号として使用されたという説もある。※2左 一山（ひだり いちざん）文化元年（1804年）- 安政4年（1857年）、新潟県長岡市生まれ。会津藩士である書家の荘田胆斎に学んだ後、江戸へ出て彫刻の修行に励む。数年の修行の後会津へ戻り、会津藩に召し抱えられた。左 一山が得意とした根付は今でも人気を誇る。亀をあしらった彫刻は見事。",
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            "name": "珈琲館蔵",
            "comment": "会津若松市内に数ある珈琲店の中でも、その格式ある歴史と独自の雰囲気で地元の人々や観光客に親しまれています。珈琲館蔵は、明治時代に建てられた古民家を改装した趣ある建物が特徴的です。外観は和風の佇まいで、屋根の瓦や梁の組み合わせが風情を醸し出しています。店内も木材をふんだんに使用し古き良き時代の雰囲気を醸し出しています。木の温もりに包まれた空間でゆったりとした時間を過ごすことができます。こちらのカフェの魅力は、なんと言っても豊富なコーヒーメニューです。自家焙煎のコーヒー豆を使用し丁寧に淹れられたコーヒーは、香り高く豊かな味わいが自慢です。ストレートコーヒー・ブレンドコーヒーなど様々なスタイルのコーヒーが楽しめます。また、珈琲館蔵ならではのオリジナルブレンドも人気で多くの方々に愛されています。さらに、珈琲だけでなくケーキや軽食も充実しています。ケーキは季節のフルーツを使用したものや、会津若松市の特産品を使ったものなど、バラエティ豊かなラインナップが魅力です。軽食メニューも、地元の食材を活用した料理があり地元の味を楽しむことができます。古民家ならではの風情と静かで落ち着いた雰囲気の中で、ゆったりとしたひとときを過ごしてみませんか？",
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            "name": "甘味処 鎌倉",
            "comment": "甘味処鎌倉は、わらび餅が有名な和のスイーツ店です。わらび餅やわらび餅ドリンクを店内でも、テイクアウトでも楽しめます。わらび餅は、とてもやわらかくふわふわながらもしっとりとした上品な感触で、ほんのりと甘くたっぷり入ったきなことの相性が抜群です。クセのない黒蜜をかけて多めの甘さでもおいしくいただけます。テイクアウトの場合、自家製黒みつは別売りとなっていますが大きめの容器にたっぷりと入っていますので、わらび餅以外にもいろいろな料理にお使いいただけます。また、テイクアウト注文を受けてから箱詰めが行われますので、やわらかく新鮮な状態で持ち帰ることができます。テイクアウトした5個入りわらび餅のパッケージ。個数が10個・桐箱入りの商品もラインナップ。",
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            "name": "甘栗の天津堂会津本店（閉店）",
            "comment": "閉店しました。おいしい甘栗を販売しています。",
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            "name": "田事",
            "comment": "七日町通り界隈の旅籠として長い間親しまれてきた、「料理旅館 田事」。レトロな雰囲気の建物でゆっくりと体を休めることができます。館内では会津の民芸品や骨董品を楽しむことができ、外に目を向けると美しい庭園や風情のある建物を鑑賞することができます。また、会津の伝統料理であるわっぱめし（曲げわっぱと呼ばれる器にいれた料理）を堪能することができます。会津では農作業などのときに曲げわっぱに入れたお弁当を昼食としていました。そのような伝統ある料理を現代にアレンジしてごちそうとして人気になっています。宿泊とわっぱめしがセットになったプランをぜひお楽しみください。さらに、宿泊以外にもランチメニューも提供されています。わっぱめしの他、会津の四季折々の食材を使用した懐石料理もおすすめです。中町フジグランドホテルとも連携しており、田事で食事を楽しみタクシーで中町フジグランドホテルへ移動するプランも人気です。（プランが更新される場合もありますので、詳しくは公式の最新情報をご確認ください） 割引プランやクーポンを見る",
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            "name": "白木屋漆器店（白木屋資料館）",
            "comment": "白木屋漆器店は長い歴史を持つ会津の商店です。白木屋漆器店の創業は正保時代（1644-1647年）と言われています。そのころは現在の大町で呉服屋を営んでいました。現在の七日町に移転し漆器屋を営むようになったのは、享保時代（1716-1735年）でした。白木屋漆器店当主は7代目から「喜左衛門」という名前を襲名しています。戊辰戦争の後、会津は大きな被害を受けることになります。そこから立ち上がるきっかけとなった産業は、漆器の生産と日本酒の生産でした。会津若松の経済はこれらの産業に長い間支えられることになりました。そのため白木屋漆器店は漆器生産の先駆者となるだけではなく、会津若松の産業全体を牽引する役割を果たすことになります。そして実際に会津若松市長を3期つとめています。会津の文化人であった佐瀬三餘（佐瀬一郎）が描いた白木屋漆器店の銅版画。壮麗な建物と庭の様子がうかがえる。白木屋漆器店内部の陳列室のようす。外装だけでなく内装も凝ったもので最先端のトレンドを取り入れていたことがわかる。天井から吊るされたランプが印象的。なぬかまち.com デジタルアーカイブ ：白木屋漆器店 御絵葉書年代不明。絵はがきに描かれた白木屋漆器店の外観。モノクロ写真を着色したものと推測される。なぬかまち.com デジタルアーカイブ ：白木屋漆器店 御絵葉書現在、白木屋漆器店では漆器を販売する店舗とともに、資料館も併設されています。白木屋の歴史と会津の歴史を、モダンな石造りの建物の中でじっくり見学してみませんか。",
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            "name": "磐見町遊廓跡（若松遊廓）",
            "comment": "現在は遊廓に関係したものは石碑以外ほとんど残っていません。また、宅地開発と道路の新設などによって閑静な住宅街へと変わっています。人や建物は入れ替わり全く新しい街並みへと変貌しています。磐見町遊廓（若松遊廓）の新築明治時代の末頃には、若松市中に栄町・七日町・後ノ分（現在の本町 諏訪神社の裏）などに遊廓が点在していました。それらの遊廓を風紀上1ヶ所に集めることとなり、一度は桜の名所でもあった河原町湯川端（現在の城西小学校付近）に決定しました。ところが当時の市長であった秋山清八は市内に遊廓を設置することに反対します。同じ頃、明治29年2月（1896年）に若松市は市の発展のために日本軍兵営の設置を陳情し、それとともに兵営地献納を申し出ました。それにより若松市に軍隊が常駐するのを見越した業者は、明治34年（1901年）七日町通りの北西（磐見町）に位置を決定し、それまで点在した遊廓をまとめてその地に新築したのです。当初の遊廓は10軒ほどでした。その後仙台から歩兵第65連隊が若松入りした明治41年（1908年）には、40名ほどの女性が働いていたと言われています。磐見町遊廓では巡査の見回りがあり、許可なく一歩でも遊廓から出ると娼妓取締規則違反として2円から3円の罰金となったという記録も残されています。昭和6年発行の会津若松市地図に記されている磐見町遊廓。遊廓に通じる道は、現在は会津ブランド館前を抜ける道路として残る。常光寺西側にある道路の曲がりは、現在もお好み焼き 双月前を抜ける道路として残っている。かつて磐見町だった場所の現在をギャラリーで表示できます。サムネイル画像を選択すると、画像と説明文を切り替えることができます。遊廓に抜ける通りの現在の様子。昔の面影は全く残っていない。突き当たりにある荒木呉服店だった建物遊廓内だった通りから、右手に荒木呉服店を見る。荒木呉服店を背にして、遊廓に通じる道だった道路。荒木呉服店の看板。荒木呉服店を左手にみて、遊廓内だった通りを見る。「磐見町」の名前が町内会に残る。\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t#thumbnail_gallery {width:100%;  margin:0px 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{opacity:1;}磐見町遊廓の最盛期若松市に軍隊が駐屯していた頃、七日町通りには常光寺境内に芝居小屋が繁盛するなどエンターテイメントの中心として賑わい、それとともに遊廓にも人が集まりました。実際、石見町遊廓と軍隊とは持ちつ持たれつの関係であったと言われています。例えば、大正4年（1915年）に大正天皇が即位された際、農商務省（明治・大正期の中央官庁）は天皇即位記念植樹をするように全国市町村に通達しました。磐見町で営業していた小松楼・八幡楼・山田楼・吉田楼・菊勢楼・泉楼・常磐・新小松楼・松島楼・松風亭の10店舗は、記念に松を植樹し記念石碑を建立しましたが、その篆額は「六十五聯隊長陸軍歩兵大佐従五位勲三等功四級山内正生」となっています。最盛期の磐見町遊廓は川が流れており柳の木も植えられ、さらに東西の道路両側には桜が植えられ道路に沿って御殿のような建物が連なり、桜の季節には電灯が美しく灯っていました。桜の時期には一般の人も夜桜見物に訪れたという証言も残されています。大正7年（1918年）8月、米の価格が急騰したことによるいわゆる「米騒動」が全国的に発生しました。福島県も例外ではなく、若松市においても暴動が起きています。この暴動は米に直接関係する米穀商店だけでなく、酒造・味噌醸造・金貸し・座敷業者にまで及びました。磐見町の座敷である山田屋も襲撃を受けています。大正11年（1922年）に発行された「会津繁昌記」には、七日町遊廓が掲載されています。花柳界評判記若松花柳界は土地の割合としては発展している方で七日町栄町の上下雨街に別れている七日町が下町で芸妓数約四十名栄町が上町で芸妓数八十名合計百二十余名の紅裙連が何れも夫れ相富に遣ってのけるのだから以て其繁昌の如何も畧ぼ推知出来ると云うもの七日町 解語の花 モノクロ写真を色付けしたもの（画像選択で拡大）七日町の姐さん株は萬の千代子、萬壽の喜多八、松よし芳子若手で南部屋歌子、萬壽の萬龍なんども居る更に遊芸の点から見れば江戸趣味の清元端唄で喜多八、美音は歌子、座持は千代子、芳子なんどであろう。客の遊び方に於ては特に他と變った点は無いが福島の所謂「ハナ」と稱する祝儀に反してこれは遊客の任意になつて居る待合は皆無 若松も東山も待合と云ふものが一軒も無い最も東山は兼業なるが故に別に待合の必要は毫末も認め無いが若松にこれが全然無い殊に最近迄宿屋入りが自由であつたのが風紀上宜敷ないとあつて邃に無粋な其筋から箱止めを喰った併し窮すればずの筆法から中にも不見轉者の裏芸は職場を何れに求めることやら益々發展しあと評されてゐる解語の花（美女の例え、言葉が分かる花の意味から）として紹介されている、七日町の店名と芸妓名七日町 解語の花 モノクロ写真を色付けしたもの（画像選択で拡大）萬壽（萬龍）・松太（年子）・萬壽（すゞめ）壽（玉子））・東家（つた丸）・上野屋（玉龍）松太（久子）・松林（千代丸）・萬壽（ぼたん）松よし（あや香）・壽（久龍）・よろづ（静枝）松林（辨松）・上田家（竹子）・上田家（千代子）・上田家（三枝）上野屋（小仙）・上田家（菊龍）・上田家（三勝）福枡（奴）・松よし（芳子）・松林（ぼたん）上野屋（一六）・萬壽（栄龍）・萬壽（長松）南部家（うた子）・萬壽（静子）・南部家（金太郎）福枡（福壽）・上野屋（秀子）・上田家（みつ子）松林（照葉）・萬壽（喜多八）・萬壽（小舟）上野屋（菊壽）・松林（二三子）・ときわ（君子）【会津繁昌記】昭和5年（1930年）に発行された「全国遊廓案内」には、福島県の遊廓の1つとして磐見町遊廓が掲載されています。若松市遊廓は福島県若松市磐見町に在って、磐越西線若松驛で下車し驛から西南へ約十丁の処に在って、タクシーは一台五十銭である。維新前迄は保科氏の城下で、明治戊辰の役には、全天下の敵を鶴ヶ城の一孤城に引受け悉く悲愴な最後を遂げた。戦ひは敗けても最後迄戦った会津武士の魂が喜しい。白虎隊の飯盛山に於ける壮烈な最後は、明治維新史を飾る唯一の花でなければならない。町からは、会津塗、会津焼、蠟燭、人参、織物等が出来る。散娼制が集娼制に成ったのは、明治三十年頃で、現在は貸座敷が拾軒あつて、娼妓が約五十人居る。全部居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は廻し制で通し花は取らない。費用は一圓九十錢乃至（ないし）四間五十銭で台の物が附く、宵から一泊も出来る。付近には鶴ヶ城址、飯盛山、東山温泉等がある。(四圓五十銭と三圓五十銭は酒肴附一回九十銭は茶菓用附) 妓楼は山田樓、松風樓、菊勢樓、角八幡、常盤樓、新小松樓、吉田樓、泉樓 小和樓等がある。【全国遊廓案内】撮影年月日不明。写真に裏書きされているがその詳細も不明。向って左若松寿楼 二十四才千代子あゝ世は様々てある楽を好み美衣を喜んであわれ下等社界に身を沈むる愚なる者幾何あるや数知れず表面に写れる女最も下等なる女こそ其一人にあらずや右なるは同朋なり しけまさ（現代文）向かって左 若松寿楼 24歳 千代子ああ、この世の中には様々な人がいる。楽しみを好み、美しい衣服を喜び、下品な社会に身を沈める愚かな者がどれほどいることか。その数は数え切れないほどだ。表面的に見える女性たちの中でも、最も下品な女性こそがその一人ではないだろうか。右にいるのは同僚である。 しげまさ昭和39年（1964年）12月に撮影された山田屋の建物。建物の格子などかつての賑わいの様子がしのばれる。磐見町遊廓の賑わい。若松遊廓。なぬかまち.com デジタルアーカイブ ：会津名所 若松遊廓（遊廓）の花櫻 The Prestinte Quarter Watamatsu at Aizu当時の絵葉書から、若松遊郭磐見町の桜。右下の人力車の前で男性2人と話す子どもの姿が見える。左側の電柱下にも子どもたちが立っている。なぬかまち.com デジタルアーカイブ ：若松名所 鶴ヶ城史跡 VIEW OF TSURUGAJO磐見町遊廓の賑わい。若松遊廓。賑わいを見せる磐見町遊廓。磐見町遊廓の衰退磐見町遊廓の営業権は記念植樹と石碑を建立した10店舗が持っているものでした。しかし時が経つうちに、経営者が変わり廃業や転業が目立つようになります。さらに太平洋戦争によって軍隊が出征していくにつれて、遊廓の賑わいは消えていきました。第二次世界大戦の終戦間際になると、別の土地の私娼街が取り壊され、材木が配給制になり建物の新築が難しくなったため、その私娼街が磐見町に移転してきます。それまでの大きな妓楼を仕切り、別に玄関を付けることで20軒近くの娼家として営業を行いました。当時を知る方の証言によると、この時以後、それまでの格式ある遊廓の雰囲気から変化していったと述べています。昭和31年（1956年5月24日）には、売春防止法が公布されました。公布当時、磐見町には28軒が営業していましたが、次々に転業・廃業していきます。昭和32年（1957年4月1日）に同法が施行される頃には、28軒ほどになりました。昭和33年（1958年3月28日）には、東山温泉で関係者の別れの宴が催されました。当時の横山武市長は女性の一人ひとりに慰労の酒をついでまわり、80人あまりの女性・業者・県と市の関係者、それぞれの思いは違うかもしれないが国の区切りに立ち会う限られた人間どうしの感慨がそれぞれの心を動かし、宴は盛り上がるものだったと言われています。昭和52年（1977年）当時の磐見町の町並み。磐見町遊廓と笠間稲荷神社すぐ近くには笠間稲荷神社があります。元々は遊廓の並びにあった荒木呉服店の屋敷社（敷地内に社を建てて祀られた神社）でした。商売繁盛の神様として遊廓で働く女性たちを含め、多くの参拝客で賑わいました。笠間稲荷神社には3つの石碑が立てられています。笠間稲荷神社境内から見る荒木呉服店裏。昭和52年（1977年）当時の笠間稲荷神社近くの石碑。石碑の奥には朽ちた遊廓の建物がみえる。現在の笠間稲荷神社に立つ石碑。「正取締 山内菊次郎翁 副取締 舟山豊吉翁」と記されている。現在の笠間稲荷神社に立つ石碑。大正4年 大正天皇即位記念植樹の際に立てられたもの。六十五聯隊長陸軍歩兵大佐従五位勲三等功四級山内正生植松碑四時變はらざるの松を植ゑ萬古朽ちざるの石を立て以て大典を祝し奉るの記念となす者は磐見町郭内の有志諸氏なり磐見町は明治三四年新開して青楼の市中に散在せるものを集合せし斯の處なり南々市街の雑踏を隔て北は山野の風景を要する花我訪ひ月我踏むに於て實に好區郭なり昔者堀江町に遊廓ありて一時の盛を極めしか承應年間之を廃せり今其古を覧るへきものは飯盛山の麓太夫櫻の下僅に一片の碑あるのみなると亦風磨雨蝕して讀み難し故に姑く爰に其事に及ぶと云ふ御維新以降其業を営む者あれど則ち官為めに規制を設けて之を保護する良小故あり嗚呼此廊内今日の盛を見ると亦 昭代の賜なり宜なるかな諸氏相謀りて此記念の舉諓なや宗川虎次撰七十三翁研亭長岡寛裕書（現代文）四季を通じて変わることのない松を植え、永久に朽ちない石を立てることにより、大典を祝い奉る記念としたのは磐見町郭内の有志諸氏である。磐見町は明治34年に新しく開発され、青楼（遊廓）が市中に散在していたものを集めたのがその場所である。南にある市街の雑踏と隔てられ、北には山野の風景を擁しており、花に訪れ月に尋ねる実に素晴らしい区画である。昔、堀江町に遊廓があってひととき栄えたが、承応年間（江戸時代 1652年-1655年）にそれは廃止された。その名残をみることができるのは、飯盛山の太夫桜（会津若松市一箕町大字八幡字弁天下）の下わずかに一片の碑があるのみである。しかし、それも風が磨き雨が融かして読みにくいために、ここでそのことに触れておく。明治維新後、この事業を営むものがあったが政府が規制を設けこれを保護する正当な理由があった。ああ、この遊廓内の今日（こんにち）の隆盛を見ると、まさに新しい時代の賜である。諸氏が相談してこの記念を行うのはまことにふさわしいことである。宗川虎次撰七十三翁研亭長岡寛裕書現在の笠間稲荷神社に立つ石碑。磐見町貸座敷組合協議員 岩澤辰次郎のもの。誓神碑本年三月廿日不肖辰次郎若松警察署長髙橋為雄殿より表彰状を授けらる其意に云ふ常に法令を遵守し夙に心を娼妓の保護慰安に用ひ且つ貯金を奨励し期念にして一千四百圎有餘に達せしむ其功著しと又本年五月二十日貸座敷組合より表彰状並に銀盃一個を授けるる其意に云う遊廓内に公園を設け稲荷社殿を建て又組合功労者の為に紀念碑を立つる等の監督を委託せしに其功速に完成せりと又同月廿一日青年會より感謝状並に木杯一個を授けらる其意し亦云ふ青年會をして慈に公園神社建碑の三美學を竣成し以て郭内の一段進境を促さしめたるは其指導の賜なりと文辰睦組合より感謝状並に文庫一個を授けらる其意に云う当組合は猶も浅きも成績の巳に見るべきは其功労に因ると嗚呼辰次郎不肖為す無くして賞譽を辱せしこと此の如きは實に慚愧措く能はざる所なり将来努力似て其厚誼に報わんと欲す因て自ら石を稲荷社畔に建て之に勒し其神霊に誓ふと云ふ磐見町貸座敷組合協議員 岩澤辰次郎 敬白（現代文）本年3月 不肖の私辰次郎は、警察署長高橋為雄殿より表彰状を授けられた。その理由は「常に法令を遵守し、早くから娼妓の保護や慰安に心を砕き、かつ貯金を奨励し1,400円余りに達した。その功績は顕著である。」また本年5月20日には貸座敷組合より表彰状並びに銀盃1個を授けられた。その内容は、「遊廓内に公園を設け、稲荷神社を建て、また組合功労者のために記念碑を立てた。これらの監督を委託したが早々と完成させた。」同月21日には青年会より感謝状ならびに木杯1個を授けられた。その内容は「青年会に、公園・神社・記念碑の3つの偉業を完成し、遊廓内を一段と発展させたのはあなたの指導の賜物である。」さらに、辰睦組合より感謝状と本棚1個を授けられた。その内容は「当組合はまだ歴史が浅いにもかかわらず、すでに成果が見られるのはあなたの功労によるものである。」それらの功績は辰次郎のものであるとされ栄誉を受けたことは慚愧にたえないものである。将来はその厚誼に報いたいと思い、よって自ら稲荷社そばに建てそれに刻み神霊に誓う。磐見町貸座敷組合協議員 岩澤辰次郎 敬白このように、かつて繁栄していた磐見町遊廓。地図上に残る磐見町という名前からは、当時の時代背景・文化・価値観などの違いを感じ取ることができるのです。この記事でご紹介した資料一覧・会津繁昌記 佐藤久米三郎/田尻浅之助 高阪信文堂（1922年）info:ndljp/pid/964388・全国遊廓案内 日本遊覧社（1930年）info:ndljp/pid/1453000・会津の近代史を考える 中村とし（1993年）・民衆史研究 第三号 会津民衆史研究会（1979年）・七日町のいまむかし 七日町三・四青年会（1983年）・福島県犯罪史 第2巻 福島県警察本部 info:ndljp/pid/3036065",
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            "comment": "会津塗の専門店です。伝統ある会津漆器をぜひどうぞ。伝統を守るだけでなく、新しい漆器も販売しています。例えば、ピアノの天板を模したプレート。和菓子やケーキなどをのせるとかわいい雰囲気に。ピアノらしい光沢もリアルです。",
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            "comment": "明治時代から大正時代にかけて繁栄した会津若松の商人である、福西家が築いた蔵と商家の建築物です。特に野口英世青春通りに面した店蔵・仏間蔵・炭蔵の外壁は、一般的な白漆喰ではなく手の込んだ黒漆喰で作られています。壁全体を均等に漆黒に磨き上げる高度な技術を駆使した外壁と言えます。母屋には広々とした大広間や、座敷蔵などがあります。母屋の天井は非常に高く、この高さで母屋を建築できた福西家の財力を感じることができます。さらに、庭を見渡す東南の一角には二階建ての数寄屋があり、二階は客室として利用されています。福西本店の主な建物は以下の通りです。店蔵（黒漆喰2階建）・仏間蔵（黒漆喰2階建）・炭蔵（黒漆喰2階建）・母屋（木造2階建）・座敷蔵（蔵造2階建）・母屋蔵（蔵造2階建）・数寄屋（木造2階建）・塩蔵（蔵造2階建）隆盛を誇った福西家の威容をぜひご覧ください。",
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            "name": "稲忠",
            "comment": "会津の伝統的な日用品や雑貨を購入できます。畳屋としての技術や経験が詰まった日用品は、実際に手に取ってみるとその良さが分かるでしょう。店舗内で和風装飾品や畳の縁で作ったバッグ・上敷き・ほうきなどの雑貨品や会津物産の販売をしています。店舗内には休憩スペースもあります。上敷き・ござについては、花ござやビニールござなど様々な種類があり、1畳から対応できるため、お部屋のサイズに合わせてお選びいただけます。畳縁についても、畳に使う一般的なものから、可愛らしい柄のものまで幅広く取り扱っています。手芸用に適した畳縁を用いたバッグなどもあり取り寄せも可能です。ほうきについては、長持ちさせるために店頭にてもう一段編むサービスもあり、和の柄や季節の柄などのれんも取り扱っています。夏には、サラッとした履き心地で人気のいぐさ草履も販売しています。男性用・女性用ともに多彩な色やデザインをご用意していますので、ぜひお試しください。お気軽にお立ち寄りください。",
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            "name": "空山NEO七日町店",
            "comment": "全国的に有名な喜多方ラーメン。そんな喜多方ラーメンを七日町通りで味わえます。空山NEOは、会津坂下町の喜多方ラーメン「空山」から暖簾分けしたお店です。喜多方ラーメンといえば、なんと言ってもシンプルな醤油ラーメンがおすすめ。しつこくない醤油味で飽きない味わいです。もちろん醤油以外の塩や味噌ラーメンも人気になっています。サイドメニューも充実していますので、お腹いっぱい食べることができますよ。お店前に駐車場がありますが、すぐ近くに4台ほど駐車できる第2駐車場があります。公式サイトの駐車場情報をご確認ください。第2駐車場前の道路は一方通行ですが、店舗前駐車場より出入りがしやすい場所となっています。",
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            "name": "笑美（閉店）",
            "comment": "新店舗へ移転しました。詳しくは下記URLの公式サイトをご確認ください。アンティークな着物などを扱うお店です。会津の伝統ある商品もおすすめです。",
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            "name": "第二塚原呉服店 だいにつかはら",
            "comment": "第二塚原呉服店は、昭和2年（1927年）に建てられたユニークな特徴を持つ建物です。ここからから少し離れた場所には本店があり、そのために「第二塚原」という名称になっています。現在は閉店しましたが、堂々とした建物を通りから眺めることができ、昭和の懐かしい雰囲気のある建物をみることができます。正面には「だいにつかはら」・上部には「Department Store」「第二営業所」「呉服百貨店」と表示されています。東側側面には「第二チェーンストア塚原呉服店」「株式会社」、西側側面には「新柄なら塚原へ」という看板彫刻が施されています。昭和初期に流行した洋風建築を取り入れつつも、日本風の情報を主張する建築となっている様子をぜひご覧ください。塚原呉服店が営業していた当時に、顧客に送られた絵葉書も残されています。塚原呉服店から送られた絵葉書 表裏。消印から、明治36年（1903年）- 昭和14年（1939年）の間に送られたものと思われる。呉服店らしいデザイン。（宛名と文面はプライバシー保護のためにぼかし）",
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            "name": "紀州園茶舗",
            "comment": "会津のおみやげにお茶はいかがですか？会津のブレンド茶の他にも、野口英世やあかべこの柄をモチーフにした各種タンブラーなども揃っています。",
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            "name": "肉の庄治郎",
            "comment": "会津の名物である馬刺しを販売しています。通信販売も行っていますので、全国からのご購入が可能です。会津の馬刺しの始まりは、あのプロレスのヒーロー力道山。力道山が会津若松で興行を行った後、こちらに来店しました。そして馬肉を持参のタレにつけて刺身で食べ始めたのです。馬刺しに加えて、その時から始まり工夫を凝らしたタレも主役の一人です。お店自慢のタレで食べる馬肉は極上の味わいです。",
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            "name": "花と陶器 永山",
            "comment": "大正5年に建てられた歴史的な建造物です。会津若松市の「歴史的景観指定建造物」に指定されています。",
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            "comment": "閉店しました。女将さんが手打ちするのは、自慢の蕎麦粉を使った十割そば。そばがきや、珍しいそばの刺し身もいただけます。",
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            "name": "観光用周遊バスを探す",
            "comment": " 高速バスについてはこちら観光用の周遊バスを利用すれば、お得な値段で七日町通り周辺を回ることができます。距離計算ではなく、買い切り型の切符を利用すればお得です。このページでは、観光用周遊バス、 ハイカラさん・エコろん号・あかべぇの詳細情報をご確認いただけます。目次1. バスの選び方ワンポイント！2. 観光用周遊バスを選ぶ3. 便利なサービス1. バスの選び方ワンポイント！バスの周り方「あかべぇ」は、会津若松駅を起点として主要な観光施設に止まる、市内「右回り」の周遊バスです。一方、市内「左回り」の周遊バスが「ハイカラさん」となっています。バリアフリーバリアフリー情報として、膝を痛めている方・車いすの方などにも乗りやすいバスも運行されています。詳しくはバスごとの詳細情報をご覧ください。フリーパス「会津ぐるっとカード」を使えば、エリア内のJR・会津鉄道・会津バス・ハイカラさん・磐梯東都バスが2日間乗り放題に！全国のコンビニなどで購入することができるので便利です。詳細はこちら手荷物預かり東山温泉・芦ノ牧温泉にお泊りの方は、「手ぶらでまちなか観光サービス」もご利用ください。会津若松駅で手荷物を預かり、東山温泉・芦ノ牧温泉内の宿泊する宿に荷物を届けるサービス（有料）で、荷物を持ち運ぶ手間がいりません。詳しくは、会津若松駅観光案内所をご覧ください。観光用周遊バスを選ぶ「ハイカラさん」まちなか周遊バス料金：→１回乗車 大人210円 小人110円 →1日乗車フリー券なら「あかべぇ」にも乗車できて便利に！もっと詳しく！「あかべぇ」まちなか周遊バス料金：→１回乗車 大人210円 小人110円 →1日乗車フリー券なら「ハイカラさん」にも乗車できて便利に！もっと詳しく！「エコろん号」市内循環バス料金：→１回乗車 大人210円 小人110円 →お得な一日乗車フリー券ありもっと詳しく！便利なサービス会津若松市バス時刻表・路線図会津若松市を走るバスの時刻表・路線図がPDFファイルにまとめられています。もっと詳しく！路線バス位置情報検索 バスロケーションシステム指定した停留所にバスが近づくとお知らせするサービスです。もっと詳しく！",
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            "name": "野沢民芸商店",
            "comment": "会津の伝統工芸品である「赤べこ」などの郷土玩具を製造する、野沢民芸品製作企業組合の直営店舗です。不定休となっていますので、営業日については公式サイトオンラインショップの情報を必ずご確認ください。野沢民芸品製作企業組合は、西会津町野沢（会津若松市内から車で約30分）に工房を構えています。その直営店舗が会津若松市七日町通りにオープン。古来から作られてきた赤べこ・起き上がり小法師などの張り子人形だけでなく、現代のアーティストとコラボレーションした新しい張り子も人気になっています。毎年の干支にちなんだ張り子は、すぐに売り切れるほどの人気作品です。",
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            "name": "野菜カフェ鼎-カナエ（閉店）",
            "comment": "閉店しました。地元の野菜を贅沢に使用した料理をいただけます。",
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            "name": "野菜屋SUN（閉店）",
            "comment": "閉店しました。会津の新鮮な野菜を、ひと手間かけたおいしい料理に仕上げました。",
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            "name": "鈴木屋利兵衛",
            "comment": "会津塗の老舗です。会津ならではの伝統工芸品をおみやげにいかがですか。趣あふれる建物は江戸時代に建てられたものです。",
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            "name": "鍋と焼き肉 だるま",
            "comment": "厳選した黒毛和牛も楽しめる焼肉屋さんです。店舗では経験豊かな職人が、和牛や食材だけでなく調理法にこだわったメニューを提供しています。和牛は、鮮度が高いものが毎日入荷しており、ブランド牛の様々な部位も揃っています。そしてオリジナルメニューのホルモン鍋をはじめとして、焼肉屋の鍋メニューも充実しています。焼き肉に合わせて会津の地酒もいかがですか？酒処会津のお酒が揃っているので、接待・会食・デート・記念日のお食事にもおすすめです。店内は広いスペースとなっているので、小さなお子様連れでも安心してお食事できます。イスとテーブルのボックス席・小上がり席・大広間席、と人数や目的に合わせて席を選ぶことができます。",
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            "name": "長門屋",
            "comment": "地元で愛される老舗の和菓子屋です。店内に足を踏み入れると良質な和菓子の香りが漂います。季節に合わせた和菓子が並び、目でも楽しませてくれます。長門屋の和菓子は、伝統的な製法を守りつつも、現代の要望にも対応した創意工夫が施されています。素材にもこだわり、自家製の白玉やあんこ・季節の果物を使用した和菓子は、どれも美味しく一つ一つが丁寧に作られています。また、店内には季節限定のスイーツも販売されており、和菓子だけでなくさまざまなスイーツが楽しめるお店としてもおすすめです。長門屋の和菓子を食べながら、日本の風景を感じてみてはいかがでしょうか。",
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            "name": "阿弥陀寺",
            "comment": "阿弥陀寺（正覚山十劫院阿弥陀寺 浄土宗）は慶長8年（1603年）に開基されたお寺です。そして多くの歴史の舞台ともなってきたお寺でもあります。阿弥陀寺の総本山は京都知恩院（京都府京都市東山区林下町400）ですが、大沢山円通寺（だいたくざん えんつうじ）（浄土宗名越派本山）（栃木県芳賀郡益子町大沢1770）の末山とされています。このページの内容現在も残る重要な石碑と建造物寺の始まりと繁栄戊辰戦争と阿弥陀寺追悼施設の建設と変遷新選組 斎藤一と阿弥陀寺御三階の移築阿弥陀寺と大仏御朱印について現在の阿弥陀寺。上の写真（大正3年 1914年）当時と同じアングルで撮影したもの。現在も残る重要な石碑と建造物阿弥陀寺には現在も貴重な石碑が残されています。これらの石碑には先人たちが後世に残そうとした思いが刻まれています。現在も残る重要な石碑と建造物の主なもの1. 墳墓2. 会津藩相萱野長修遙拝碑3. 報国尽忠碑4. 戦死墓5. 明和5年奉納の燈籠6. 石の手洗鉢7. 復禄記念碑8. 戊辰戦役五十年祭記念碑9. 明治戊辰戦争殉難者墓の石柱10. 観音像台座跡と石の思惟仏11. 梵鐘と鐘楼（太平洋戦争時にも供出を免除された鐘）12. 大仏の土台1. 墳墓昭和21年（1946年）現在の墳墓は、東西7間（約12.7m）・南北8間半（約15.5m）・高さ4尺5寸（約1.3m）の方形で、奥にはさらに東西3間半（約6.4m）・南北2間（約3.6m）同じ高さのものが南側に突出した形になっています。周囲は石が積み重ねられており、その上部は石の玉垣（境界の柵）となっています。南側（七日町通り側）には7段の石段があり、2枚の鉄の扉が左右に開くように出来ており、扉には金色の葵の紋章が浮き彫りにされています。このように少し高くなっている部分に幾つかの碑が建てられています。まず、正面には会津藩家老であった「萱野長修遙拝碑」が建ち、その前面に2基の大きな碑があります。左側の碑には「報国尽忠碑」・右側の碑には「戦死墓」と記されています。2. 会津藩相萱野長修遙拝碑3段の台座の上に建っているこの碑は、萱野長修が亡くなった23回忌である明治27年（1894年）10月、旧会津藩の有志がお金を出し合って建立したものです。正面にある右から左の横書きの「会津藩相」の文字は、松平容保（会津藩9代藩主）の筆によるもの、その下にある縦書きの「萱野長修遙拝碑」の文字は松平容大（会津松平家11代で陸奥斗南藩主・知事）の筆によるもの、「旧会津藩相萱野君碑銘」は、南摩綱紀の撰（選ぶこと）となっています。旧会津藩相萱野君碑銘（書き下し文）明治戊辰の乱には天地否塞し日月冥して人々方向に迷う。 此時に当り君、藩政を執り三軍を督し、粉骨斎身して臣職を尽す。乱平ぎて朝廷王師に謀抗する者を索む。君同僚田中玄清、神保利孝と之に当る。而して玄清、利孝は嚮きに既に戦死せり。君乃ち罪を一身に受け、有馬邸に幽せられ、越えて明年五月十四日死を賜う。是に於て主家再造し、臣僚皆罪を 免ぜらる。鳴呼、君の忠義烈は凛乎として霜粛、炳として日、明かなり。後二十四年君の二十三回の忌辰に丁り旧藩の有志者斉しく醸金して、碑を若松七日坊阿弥陀寺に建てんと謀る。招魂祭碑面の篆額は旧藩主松平容保公、姓名以下の七字は容大公の書く所なり。而して碑辞あらず、之を余に徴む。余乃ち其顛末を略叙す。君、諱は長修、権兵衛と称す。萱野氏は世々会津の藩相たり。遂に之が銘を係けて曰く入っては相、出でては将。東走西奔、一死国に報ゆ。旧藩を再造し、頸草疾風、松柏歳寒く、萬古滅せず。義謄忠肝、此の貞石を建てて、彼の幽魂を招く。明治二十九年十月高等師範 黌教授 正六位勲六等 南摩綱紀 撰旧会津藩相萱野君碑銘（現代文）明治の戊辰戦争では、世の中が混乱し、人々は方向性を見失っていた。この時、君は藩政を執り、軍を指揮し、全力を尽くして臣下としての務めを果たした。戦乱が収まり、朝廷は反逆者を探し始めた。君は同僚の田中玄清、神保利孝とともにその責任を負うことになった。しかし、玄清と利孝はすでに戦死していた。そのため君は一人で罪を引き受け、有馬邸に幽閉され、翌年5月14日に死を賜った。これにより主家は再建され、他の臣下たちは罪を免れた。ああ、君の忠義と献身は厳しい霜のように凛々しく、太陽のように明らかだ。24年後、君の23回忌に際し、旧藩の有志たちが資金を集め、若松七日坊阿弥陀寺に碑を建立しようと計画した。招魂祭の碑面の題字は旧藩主松平容保公が、姓名以下の7字は容大公が書いた。碑文がなかったので、私に依頼があった。そこで私は君の生涯の概要を記すことにした。君の名は長修、権兵衛と呼ばれていた。萱野家は代々会津藩の重臣だった。最後に、こう銘を刻む。「内では政治家として、外では将軍として。東奔西走し、一命を国に捧げた。旧藩を再建し、その志は疾風に揺れる草のように、松柏のように寒さにも耐え、永遠に消えることはない。義に満ちた心臓と忠誠心を持つ彼の魂を、この石碑に招く。」明治29年10月高等師範学校教授 正六位勲六等 南摩綱紀 撰3. 報国尽忠碑会津藩相萱野長修遙拝碑の前方には、左右に2つの碑が建てられています。左側にあるのは「報国尽忠碑」と記されており、明治10年（1877年）西南戦争で命を落とした佐川官兵衛以下70名の名前が刻まれています。碑の正面には横書で「報国尽忠」とあり、その下に次の文が刻まれています。報国尽忠碑（書き下し文）鹿児島の役、激戦命を致せしは佐川官兵衛以下六十余名と為す。皆嘗って戊辰の国難に遭いし者なり。彼の蒼降ることを知る無く、此凶虐歎ずるに勝うべけんや。同志協議して石を建てて吊祭の意を表す。従五位松平容保之が為めに篆額す。銘に曰く人誰か死無からん。節を完うするを忠と為す。碑相望み流芳窮り無し。明治十一年十月小笠原勝修撰報国尽忠碑（現代文）鹿児島の戦いで激戦の末に命を落としたのは、佐川官兵衛以下60余名だった。彼らはみな以前、戊辰戦争という国難に遭遇した者たちだ。彼らは降伏を知らず、この残虐な状況をどうして嘆かずにいられようか。同志たちで協議し、石碑を建てて追悼の意を表すことにした。従五位の松平容保がこの碑の題字を篆書で書いた。碑文はこう記す：「人は誰しも死ぬ運命にある。しかし、節操を全うすることが忠義というものだ。この碑は互いに向き合い、その名声は永遠に尽きることがない。」明治11年10月小笠原勝修 撰碑の反対面には殉難者の氏名が刻まれています。碑の本文には六十余名とされていますがそこには71名の名があり、それは後になって追加されて増えたものとなっています。佐川官兵衛\t新藤重光\t笠原忠知\t永井房之助\t大村主計内村直義\t篠沢虎之助\t橋爪幸昌\t赤城作太郎\t樋口巌吾春日重威\t荒川武\t稲村茂\t高木弘三\t吉川七郎小川隼次郎\t野口勇治\t小金丸相\t高木新六\t宮下外三郎赤塚武盛\t根津金次\t酒井政次郎\t山口左五郎\t猪狩八次郎尾崎藤次郎\t吉岡忠太\t石山綱衛\t山室五郎\t三宅寅次郎雪下熊之助\t小平又作\t窪田茂太\t渋川勝三郎\t堀内留四郎樋口高吾\t黒河内友次郎\t佐藤佐久次郎\t二瓶幸太郎\t松坂平次郎善波明倫\t赤羽真忠\t栗城滝三郎\t杉原権之助\t五十嵐定松下平次孝\t榆井八五郎\t山口亀四郎\t和田祖秀\t井上重吉高木千代\t富田調男\t小川勝次郎\t常木広順\t山浦豊太郎田原重文\t中沢恆三\t小沢保太\t名越晴直\t加藤忠平天川直世\t相馬郡吾\t小松貞四郎\t神田豊治\t石井留吉日野正三郎\t橋本猪之太\t佐原一郎\t宇月平作\t涌井豊之助斎藤源吾碑の台座には「石工貝瀬新太郎 川島市五郎」と記されています。また銘に「雙碑相望」とあるのは、この碑と相対して右側に同じ大きさの碑があることを指しており、それには「戦死墓」の三大字が正面に書かれています。4. 戦死墓会津藩相萱野長修遙拝碑の前方、左側の報国尽忠碑に対して右側には「戦死墓」と刻まれた碑が建っています。裏面には「八田宗吉建之」の6文字が記されています。5. 明和5年奉納の灯籠墳墓前には高さ1間半（1.7m）の左右一対の灯籠があります。その灯籠には「明治五年(一七六八) 戊子三月吉日」と記されています。右側の灯籠は明治元年に鶴ヶ城から移されました。左側の灯籠は戊辰50年祭に磐見町にあった山内菊次郎の屋敷（明治14年10月5日～6日に有栖川宮熾仁親王が若松を巡視された際に宿泊された）より移されたものと言われています。6. 石の手洗鉢灯籠の間には石の香炉とそれを挟んだ花立があり、大きな石の手洗鉢が置かれています。手洗鉢には、「大正十五年一月、七日町乙卯青年会奉納」と刻まれています。7. 復禄記念碑向かって左側にある仙台石の復禄記念碑は、新政府からの公債金を勝ち取るまでの苦労が記されています。明治2年（1869年）11月に松平容大は斗南3万石に移封され、それと共に会津藩家臣全てが容大に引き渡されることとなりました。しかし、これまでの会津28万石から3万石へ減らされたため、家臣たちに十分な俸禄を支給することができなくなったのです。そこで、旧会津藩は新政府に対して経費67万268両の拝借を願い出ましたが、実際に新政府から支給されたのは17万両と米1,200石のみでした。やむを得ず旧会津藩はその費用の範囲内で移住することとなり、斗南に移ったのは7,300名あまりでした。その他の藩士たちはそれぞれの職を選び自活の道を選んでいったのです。明治30年（1897年）になると家禄賞典禄処分法が制定され、全国の士族に対して俸禄相当の公債が下附されることとなりました。しかし大蔵大臣 松方正義は、旧斗南藩士は旧藩制時代に俸禄を受けていた証拠がないとして、旧斗南藩士（旧会津藩士）は公債を受け取ることができなかったのです。それを不服として藩士たちは、明治42年（1909年）に行政訴訟法に基づき大蔵大臣を相手取り訴訟を起こします。9年間の審理を経て大正6年（1917年）11月についに勝訴し、1年につき7石2斗・13年分の米を当時の相場に換算した額の公債を手にすることができたのでした。その際、公債を受け取ることができたのは以下の人々です。青森県三戸郡八戸町大字十一番戸 中村健隆 ほか2,540名福島県大沼郡本郷町 高橋大吉 ほか95名北会津郡大字上荒井新田 中村源十郎 ほか61名若松市当麻町 須田垣千代 ほか63名とはいえ、斗南藩に移住したことを証明する原簿に「無縁」の貼紙のある900名余りは、公債を受け取ることができませんでした。そこで再び大蔵大臣を相手に、この無縁の貼紙のある人々も斗南に移住した事実があるため他の人と同じように公債を受け取る権利があるとして、裁判を起こします。交渉の結果、大正8年（1919年）3月15日にその権利を勝ち取ることができたのです。それでも、斗南に移った後に生活苦のため農業や商業に転職した人々・斗南からさらに他の土地に移住した人々・藩庁官吏として東京や若松支庁に転勤していた人々・藩の命令により他県に出張または東京遊学した人々は、これらの権利の恩恵を受けることはできませんでした。このような敗戦した藩としての苦労が復禄記念碑に記されています。刻まれているのは以下の文面です。復禄記念碑（書き下し文）正四位勲三等功五級 子爵 松平保男 閣下 篆額「明治戊辰、海内大に乱れて東西交戦す。東軍敗績し吾会津藩は封土を没収せられ、尋いで明年更に奥州斗南三万石を賜う。既にして朝廷藩制を廃し、明治九年政府は家禄公債を諸藩士に給せしに、独り吾が藩士のみ与らず、 是に於て同志の士交々起って待遇の均衡を政府に請えしも省みられず、唯僅に少許の金銭を給せられしに過ぎざりき。所謂授産金是れなり。後国会開設し、諸士連年陳情して己まず。 三十年家禄賞典禄処分法成る。衆連署して大蔵大臣に請願するも亦其の聴く所と為らざりき。諸士屈せず遊説益々力む。四十二年法律第二十一号の発布を見るに及んで、始め行政訴訟を起し、争弁九星霜、正議公論漸く満廷を動かし、法官遂に我勝訴となす。実に大正六年十一月なり。然るに是より先訴願に与らざる者ありて亦尠なからず。其人々結束して起って貴衆両院に請願す。 八年三月法律第三十四号の発布あり。是に於て前後各々其権利を伸ぶることを得たり。夫斗南藩士の食禄甚だ少にして受る所の公債も従って微なり。然りと雖も前輩諸士奔走周旋して百難を排して奏功せし所以のものは其意独り金銭に在らざるなり。蓋し亦他藩士と同じく其待遇の平衡を得んと欲するに在り。 鳴呼此幸栄に与る者豈感激して厚く謝せざるべけんや。乃ち其顛末を石に刻して後昆に諗ぐと云。」昭和四年三月二十一日正六位勲四等 加藤寛六郎 撰正八位勲八等 栗村五郎 書復禄記念碑（現代文）正四位勲三等功五級 子爵 松平保男 閣下 篆額明治戊辰、国内大いに乱れて東西交戦した。東軍（旧幕府連合軍）は破れわが会津藩は領地を没収され、次いで翌年斗南藩を賜った。やがて朝廷藩制は廃止され、明治9年政府は家禄公債を諸藩士に給付したが、わが藩のみ与えられなかった。これにおいて同志たちは立ちあがって待遇の均等を政府に要請したが省みられることはなく、わずかに少額の金銭が給付されただけであった。いわゆる授産金がそれである。後に国会が開設され、諸士たちは毎年陳情を続けた。30年に家禄賞典禄処分法が成立した。人々は署名して大蔵大臣に請願したが、またこれも聞き届けられることはなかった。諸士たちは屈することなく遊説にますます力をいれた。42年法律第21号が発布され、はじめに行政訴訟を起し、争うこと9年間、正義は法廷を動かし、裁判官はついに我が勝訴とした。実に大正6年11月のことであった。それにもかかわらずそれを与えられることがない人々も少なくなかった。人々は結束して貴衆両院に請願した。8年3月法律第34号の発布があった。これによって各々権利を受ける範囲が広がった。しかし斗南藩士の禄は少なかったので受け取ることのできる公債も少ないものだった。そうではあるが多くの人が奔走周旋して困難があっても成し遂げたのは金銭に納得できないからではなかった。まさしく他藩士と同じ待遇を得るためであった。ああ この光栄にあずかる者感激して感謝しないものがあろうか。すなわち顛末を石に刻んで後の世の人に伝える。昭和4年3月21日正六位勲四等 加藤寛六郎 撰正八位勲八等 栗村五郎 書8. 戊辰戦役五十年祭記念碑灯籠に向って右にある仙台石の碑で、中央に「戊辰戦役五十年祭記念碑」・右側に「大正六年八月十五日七日町乙卯青年会建之」と刻まれています。裏面には次の名前が刻まれています。顧問伊藤米次郎 東条吉次郎 大井啓之助 塚原嘉吉 野出平八 山口新吉会員五十嵐千代吉 五十嵐兵一 岩沢綱蔵 稲村富次 稲月清太郎 石川善吉 石山忠之助 井関辰之助 猪俣悦美 林直八 林重次郎 芳賀英吾 原田想二郎 岡部嘉正 二瓶鷹美 新井田長助 大沢義松 大場良松 大関善吉 渡部徳助 川守田国之助 渡部丑次郎 川俣義江 神田英次 兼子亀吉 吉田清士 吉川駒造 横山清 吉田喜代寿 横山成雄 竹田勝吉 竹内篤吉 竹内東光 谷川末吉 高杉觉八 玉川喜代松 棚木泰衛 塚原為五郎 角田平次 中村金次郎 中村雅 藤崎忠吉 中村謙吾 中条直三郎 長嶺勝意 鵜川養太郎 上田植一郎 葛岡豊蔵 粂清美 谷津惣蔵 山寺鉄四郎 山口善一郎 山口善悟 松本太吉 松村善喜 渡部芳丸 真船清 丸山久吉 船山建蔵 布家善八 小樋山徳蔵 小荒井正次 相川留四郎 荒海明 佐藤源平 佐藤義次 佐藤清造 佐藤栄三郎 佐々木善次郎 長南寅蔵 桜田美作 木村清吉 木ノ勢半平 木根淵幸平 皆川長造 宮沢惣治 新城庄藏 渋川賢二 鈴木浜吉 鈴木源喜 鈴木幸次郎 諏佐七右工門 須貝彥三郎  会員八十三名9. 明治戊辰戦争殉難者墓の石柱復禄記念碑の前方にあるこの石柱は、昭和32年（1957年）9月22日に催された戊辰戦争90年祭の際に会津出身の実業家である柏村毅により建立奉納されたものです。表面には「明治戊辰戦役殉難者墓」と刻まれ、裏面には以下の文面が刻まれています。為明治戊辰戦役九十年祭記念寄進建立 柏村毅昭和三十二年九月二十二日10. 観音像台座跡と石の思惟仏明治戊辰戦争殉難者墓の石柱の横には、高さ5尺（1.5m）ほどの石の台座があり、そこには石の思惟仏が安置されています。この台座にはかつて7尺（2.1m）ほどの青銅の観音立像がありました。しかし太平洋戦争中に供出されています。台座の裏面には次の銘が刻まれています。（書き下し文）予生を現世に受け、天地人三才の恩を感謝し、国家の慶福と世界の平和とを祈願し、先祖累代、諸精霊の追善供養の為めに先きに金銅仏を建てたが、たまたま太平洋戦争に遭い、軍に徴発せられてその姿体は消えた。そこでここに更に石仏を建立して微忱をつくすのである。釈尊降誕二千五百年昭和卅四年五月建之施主 池内稚 撰文榎田文助 刻（現代文）私はこの世に生を受け、天地人の三才の恩恵に感謝し、国家の繁栄と世界の平和を祈願し、先祖代々と諸霊の追善供養のために、以前金銅仏を建立した。しかし、太平洋戦争中に軍に徴発され、その姿は消えてしまった。そこで、ここに改めて石仏を建立し、小さな誠意を尽くすものである。釈迦の降誕から2500年昭和34年5月 建立施主 池内稚撰文 榎田文助 刻11. 梵鐘と鐘楼墳墓の横には梵鐘と鐘楼があります。これはかつての若松市原之町にあった酒造家 柏木七平が私財を投じ発願したものです。この計画が一般に知られると、老若男女がこぞって銅銭・小判・銅鏡・銀かんざしなどを持ち寄りました。それらの大勢の人々の願いが込められたこの梵鐘と鐘楼は、明治31年（1898年）から明治35年（1902年）までかかり完成したのです。梵鐘の周囲にはその由来・銘文の撰者・鋳造など関係した人々・七平の息子、柏木七兵衛俊明の歌が彫刻されています。このように、この梵鐘は戊辰戦争で亡くなった人々のために多くの方々の心がこもって奉納されたもののため、太平洋戦争時の金属供出時にも特別に供出を免除されています。梵鐘の周囲に刻まれた銘文・鐘の由来戊辰の戦にわが会津の藩士たち、矢石の間に命をすてし人三千の数に及びぬるを、折からのこととて一人一人にもえ葬らで、若松阿弥陀寺楼に合せ埋めて祀る事とはなれりけり。我亡父柏木七平この事を甚く悲み歎きて、なき跡弔ふはしたにだにとて、 みづから貨をすて、鐘を鋳させ、その楼をもたてゝ、その寺にすゑにき。かくてその霊魂を慰め冥福をも祈らむの志なりけり。このこと遠く聞えて智恩・増上の二寺より六字名号並に大師法語集を贈り賜はりけるこそ、世に類ひまれなることにはありけり。かゝる父の志を永くよよに伝まほしくて、ささかこのよしを記して鐘のはしに彫らしめたるは柏木直之介なり。明治三十五年壬寅三月栗田信英 刻・鐘の由来（現代文）戊辰戦争で我が会津藩の武士たちが、戦場で命を落とし、その数は3000人に及んだ。当時の状況で一人一人を丁重に葬ることができず、若松阿弥陀寺の楼に合葬して祀ることになった。我が亡父、柏木七平はこのことを非常に悲しみ嘆き、せめて亡き人々を弔おうと、自ら費用を出して鐘を鋳させ、その楼を建て、寺に据え付けた。これは亡き人々の魂を慰め、冥福を祈る志からだった。この話が遠くまで伝わり、智恩寺と増上寺から六字名号と大師法語集を贈られたのは、世に類を見ない出来事だった。このような父の志を永く後世に伝えたいと思い、このいきさつを記して鐘の端に彫らせたのは柏木直之介である。明治35年壬寅3月栗田信英 刻・阿弥陀寺に鐘を釣るの銘（書き下し文）在昔戊辰、国是粉紜し、東西旅を集め、闘乱雲の如し。惟うに我が会藩、精誠忠純なり。孤城屈せず、啻だに張巡のごときにあらず。あゝ親は子に哭し、 あゝ子は親を喪う。屍を積むこと三千、この埜園に葬る。風気漸く開けて、天涯比鄰なり。明治群を渙いて、終に一元に帰す。卑しき鯨の吼ゆる処、諸霊諦らかに観ず。天皇萬歳・国家靖安。施主 柏木七兵衛俊明・阿弥陀寺に鐘を釣るの銘（現代文）昔、戊辰の年に国是が乱れ、東西で軍を集め、戦乱が雲のように広がった。我が会津藩は誠実で純粋な忠誠心を持っていた。孤城は屈せず、張巡（唐の武将）のようであった。ああ、親は子を失い、子は親を失った。3000の遺体がこの野原に葬られた。世の中が開け、天涯も隣人となった。明治の世になり、群れは散って一つになった。卑しい者の叫ぶところで、諸霊がはっきりと見える。天皇万歳、国家安泰。施主 柏木七兵衛俊明当時廿一世萩生田感応代銘文 佐原盛純謹書 川瀬八三郎正義鐫字 林英三郎光寿同 林周蔵光雄鋳造人 星野宗七重智吹貫錫拾貫目寄附 山口栄吾補工 谷代吉同 安孫子喜三郎同 大島初太郎同 大島三次郎同 高木亀造大工 大久保要作明治三十一年十二月七日「かきりなきつみもむくひも消ぬべし御法の鐘の声のひゞきに 俊明」現代文：「限りない罪も報いも消えるだろう 御法の鐘の音の響きに 俊明」鐘楼の石壁に刻まれた銘文納入 若松市原之町 柏木七兵衛材木店 柳橋本 大久保善作大工職 若松市横三日町 大久保誠作石工職 石山村 矢木子之吉石工職 石山村 矢木彥太郎瓦職 石山村 渡部久太郎土方職 若松市道場小路町 木鋤惣次郎12. 大仏の土台墳墓の左側に高さ1間（1.8m）・直径7尺（2.1m）の土台があります。そこにはかつて露座の大仏がありました。詳しくは阿弥陀寺と大仏も参照13. 謝恩之碑阿弥陀寺の建物や墳墓を背にすると、七日町通り側に「謝恩之碑」と題額された石碑が残されています。これは、当時若松市随一の繁華街であった七日町遊廓の女性たちに芸を教えていた「花柳小勝」の功績を称えたものです。1922年（大正11年）に発行された会津繁昌記では、「若松芸者の中でも七日町芸者たちは花柳小勝師匠の一門として、東山（現在の東山温泉）と逆に上品な手踊りを見せようという気概があり、会津八景や四君子などを出す」と記されています。彼女が50歳を超えた記念に門人たちが建立した石碑です。従六位岡田晴橋題額花柳小勝女師本性名を外川ミチ新潟に生る幼きより歌舞管弦を學ぶ明治一九年歳一九若松菊壽樓主の聘する所となり居ること數年松田兵吾氏に嫁ぐ諸青樓の女児に遊藝を授く若松に於て専ら遊藝を授くらは女師一人のみ且つ之を教ゆる諄々倦まに是を以て其門に學ぶ者常々數十百乃多きを見て女師猶ほ東京に赴き斯道乃大家初代花柳勝次郎に親炙す其業大いに進む勝次郎其志を賞し花柳小勝の藝名を授く女師の歸るや門人更に多たを加ふ其の謝金ぞ之を慈善事業に授けらること數囬なり兵吾氏も嘗て演劇を江戸に学び二代坂東雛助の優名を得たり故に互に盃する所尠からずと云う今や女師半百を踰す門人相謀り将に謝恩之碑を建てんとは有志の士も而遊藝の神聖を保持し以て地方乃為めん之を奨励せむと欲し其擧を賛し數氏首唱者となり来りて文を余に乞むを余同感の餘辭をにして責を塞く此乃如く大正八年五月松里宗川茂哉撰三餘佐瀬貞潔書（現代文）従六位の岡田晴橋が題額を書く。花柳小勝女史の本名は外川ミチ。新潟に生まれ、幼いころから歌舞音曲を学んだ。明治19年、19歳の時に若松の菊壽楼主に招かれ、数年間そこにいた。松田兵吾氏に嫁ぎ、遊郭の女性たちに芸能を教えた。若松で専門的に芸能を教える女性は彼女一人だけで、熱心に教えたため、その門下で学ぶ者は常に数十人から百人ほどいた。女史はさらに東京へ赴き、この道の大家である初代花柳勝次郎に師事した。その技術は大いに進歩し、勝次郎はその志を賞賛して花柳小勝という芸名を授けた。女史が帰ると、さらに多くの門人が増えた。その謝金を何度も慈善事業に寄付した。兵吾氏も以前江戸で演劇を学び、二代目坂東雛助の芸名を得た。そのため、二人で酒を交わすことも少なくなかったという。今や女史は50歳を超え、門人たちが相談して感謝の碑を建てようとしている。有志たちも芸能の神聖さを保ち、地方のためにこれを奨励しようと、その企てを賛助し、数人が発起人となって文章を私に求めてきた。私は同感のあまり辞退できず、この責任を果たすことにした。大正8年5月松里宗川茂哉撰三餘佐瀬貞潔書14. 芭蕉句碑「ものいえば唇さむし秋の風」この松尾芭蕉の句碑は、芭蕉200回忌の1893年（明治26年）に建てられたものといわれています。近くの七日町地蔵尊にも芭蕉句碑が残されています。寺の始まりと繁栄良然と板倉修理の出会い慶長8年（1603年）に阿弥陀寺を開基したのは、下野国真壁郡（東真壁郡とも。現在の栃木県芳賀郡を含む地域。現在の芳賀町・市貝町・茂木町・益子町の大部分と宇都宮市・真岡市の各一部を含むと推定される。）生まれの良然（廓蓮社 良然上人）です。良然は、陸奥国安積郡（現在の郡山市や二本松市の一部を含む）にある善導寺（福島県郡山市清水台1丁目1-23）に住職として住んでいました。しかし、良然は病気にかかってしまい若松の東山温泉に湯治に来ることになります。当時、会津を支配していた蒲生秀行の家臣であった板倉修理は、立場をこえた心からの友であった良然をそのまま会津に留めようとします。そのため秀行に土地を賜り阿弥陀寺の開基のために奔走しました。蒲生家の家臣名簿とも言える「蒲生家分限帳」には板倉修理の名前も掲載されており、それを見ると「馬廻り9番 石高700石」という身分だったことが分かります。会津藩士の中で500石以上の収入を得ていたのは家臣全体の約10％の割合だったことを考えると、板倉修理は上位の身分であり寺を開基するための力を持っていたと推測できます。「コラム 板倉修理の氏名について」も参照倉田為実の援助板倉修理以外にも、阿弥陀寺の開基のため多くの人々が協力しています。そのような協力者の一人として倉田新右衛門為実（くらたしんえもんためざね、後に剃髪し倉田道拓と名乗る）という人物がいました。倉田為実は、大町四つ角付近に屋敷を構えており豪商であるとともに検断（警察や裁判など治安維持を行う役職）としての地位にありました。元々倉田氏は、蒲生秀行の父である蒲生氏郷が会津に移封されたのに伴い同時期に日野（滋賀県日野町）から会津に入ったと言われています。一方で「倉田氏家譜」（倉田秀治編 1971年）によれば、倉田為実が18歳の時、永禄5年（1562年）には会津に移住していたとされています。これは氏郷が会津に来る28年前のことでした。倉田氏が会津に移住した理由については分かっていませんが、為実が18歳の時に兄である与左衛門と共に黒川（現在の会津若松市神指町大字黒川付近）にやってきて、柳津町福満虚空蔵尊圓蔵寺に参拝したこと、その後与左衛門は伊達郡に定住したが、為実は会津に定住したとされる記録は残っています。為実は猟銃製造を家業としていましたが、文禄元年（1592年）に行われた蒲生氏による城下町大変革に与力として参加し、その功によって大町四つ角付近に土地を賜り大町地区の町年寄（後の検断）となりました。ですから、阿弥陀寺建設の時期にはすでに倉田氏の力は大きなものになっていたのです。このように、倉田氏は力を持っており加えて熱心な浄土宗信者でもあったことから阿弥陀寺建設の援助を行うこととなります。そして「阿弥陀寺」という寺の名前も、倉田為実の故郷にあった阿弥陀寺と同じ名で命名したものと言われています。倉田為実は29歳の時に、黒川の工人であった白石次郎の娘（当時19歳）と結婚しています。その為実の妻は慶長9年（1604年）2月25日に亡くなりました。その時のことを為実の孫、横田俊益は「寺始めて成り亡妻を葬る」と為実について書き記しています。このことは慶長8年（1603年）または慶長9年（1604年）には寺が完成していたことの証拠となっています。現在の大町四つ角付近にある倉田氏の屋敷。倉田氏と共に検断の役にあった簗田氏屋敷も描かれている。阿弥陀寺の完成このように大勢の人々の尽力の結果、阿弥陀寺の壮大な建物が完成します。阿弥陀寺には、仏殿（仏像を安置し礼拝する建物）・衆寮（僧が読経したり説法を聞いたり喫茶などを行う建物）・方丈（僧の住居）・小院（本寺に付属する小寺院）などが美しく備わっていました。そして下野大沢圓通寺（栃木県芳賀郡益子町大沢1770）に認められその末寺となりました。良然は2尺7寸5分（約104cm）の阿弥陀仏を所持していたので、それを寺の本尊としました。そして元和4年（1618年）には僧侶130人あまりが集まり、大法会（大規模な法会・仏法を説くため供養を行うための集まり）が行われています。また、4月から7月までの3ヶ月の間に夏安居（堂にこもって修行すること）が行われました。このように完成した阿弥陀寺には多くの人々が集まり隆盛を極めました。浄土宗の研修道場としての役割も果たしていたことがうかがえます。その翌年、阿弥陀寺を開基した良然は、阿弥陀寺の西に願求山見性寺（福島県会津若松市日新町16-36）を開き自らの隠居寺とします。その後、元和8年（1622年）4月10日に見性寺で亡くなりました。「コラム 良然ゆかりの寺」も参照良然の跡を継いだ二代目良仙（りょうせん）は、さらに建物を拡張し寛永10年（1633年）頃には会津若松城下でも有数の規模を誇る寺となっていました。しかし、四代目良頓（りょうとん）時代、正保2年（1645年）1月29日夜半に出た火は大火災となり寺の建造物は全て失われてしまいました。唯一残ったのは本尊の阿弥陀三尊（脇侍は観音菩薩像・勢至菩薩像）だけだったのです。同じ年の夏に精舎が建立されましたが、以前のような壮観を見ることはできませんでした。阿弥陀寺住職と倉田家の衝突その後、阿弥陀寺住職が素益の時代になると、檀家や城下の他寺と頻繁に衝突する事態が生じました。阿弥陀寺建立に尽力した倉田家との衝突もその一つです。その頃、倉田家は倉田為実の孫である横田俊益（倉田為実の娘である倉田徳と入婿である横田俊次の長男で、会津横田山内（山ノ内）家の本姓である横田を与えられた）の代となっていました。福島県金山町横田 山ノ内屋敷跡（福島県大沼郡金山町大字横田字居平658）町指定（平成十七年）重要文化財 史跡山ノ内屋敷跡中世の約四百年間にわたってこの地を支配し、「会津四家」と呼ばれた山ノ内氏の居館の一つです。「新編会津風土記」によれば、東西五十二間（約九四メートル）、南北四十三間（約七七メートル）という広い面積で、三方の土塁と屋敷後方の深田堀で囲まれていたといいます。国道沿いに東西に延びる土塁と、西の一角に残る一門屋敷神として祀られている稲荷社が昔の面影を伝えています。なお、山ノ内家には、当時の武具、古文書類が保存されています。横田中丸城最後の城主「山ノ内氏勝」の九代目に当たる直孫で、会津藩執政・斗南藩少参事「大学知通」終焉の地でもあります。平成十八年十月 金山町教育委員会横田俊益は儒学者である林復斎から教えを受けた儒学者で、時の会津藩主である保科正之に仕え藩教育の礎を築いた人物です。横田俊益は儒学者であったこともあり、さらに当時の時代背景として儒学者と僧侶の争いが全国的に見られた時代でもありました。横田俊益は玉井雲庵を通し、阿弥陀寺住職素益に対して次のように伝えています。「阿弥陀寺は我が先祖倉田為実が開いたので、祖父母や父母を同寺に葬い年々の供養を行ってきた。しかし私は幼い時から儒教を学び心をその儒道に託してきた。 私は正之公に仕えているが、公は儒道を好み、神道を尊び、葬祭は仏事を離れることを遺言された。自分も死んだなら儒礼をもって葬られれば満足である。今は僧侶たちは利己心があって人が死んだ後その子孫と争いを起こしている。したがって今後私の家で読経念仏を禁止する。この決定にもし異議があるなら先祖の墓を他に移し、以後一切の音信を絶つつもりである。」このことに対して阿弥陀寺住職素益は意義を唱えませんでしたが、この出来事が後まで尾を引くことになりました。横田俊益の姉は木村久哉に嫁いでいましたが、その俊益の姉は長い間病を患っていました。妻の死期が近づいたことを悟った夫の木村久哉は、阿弥陀寺は土地が低く湿潤であるため棺を葬るのは難しいと考え、会津藩の墓地である大窪山（福島県会津若松市門田町大字黒岩字大窪山913）に埋葬することにします。その際、素益に引導（死者を葬る前に法語などを説き浄土へ導くこと）してもらうように申し出ました。しかし、素益は阿弥陀寺に葬る者以外は引導しないと断ります。木村久哉はこれまでも寺外に僧侶が来て引導した例を引き合いに出し懇願しますが、なおも素益はそれを断りさらに今後は阿弥陀寺に足を踏み入れることさえ許さないと述べて拒絶しました。これについていきさつを聞いた横田俊益も、「自分に向けての怒りを姉とその夫である木村久哉に向けるのならば、自分も阿弥陀寺の門をくぐらない」と述べ、天和2年（1682年）7月7日に服部玄沖を通して自分と親族は今後阿弥陀寺に参詣しない旨を告げさせました。これにより、倉田家（横田家）と阿弥陀寺住職素益の対立は決定的なものとなったのです。この出来事の後、元禄7年（1694年）2月22日に素益は会津若松城下の寺を相手に訴訟を起こします。しかしその訴訟に破れ藩によって追放されました。同年6月になり、仙道小浜西念寺の僧が後任として阿弥陀寺に来るようになります。これにより横田俊益は8月11日に家族と共に阿弥陀寺を訪れ祖父母・父母の墓に詣でました。8月18日には、横田俊益の長男である横田俊晴も阿弥陀寺に詣で、ついに倉田家（横田家）と阿弥陀寺の和解が実現することとなったのです。対立が始まってから実に13年目のことでした。元禄9年（1696年）2月8日には、横田俊晴が阿弥陀寺住職を自宅に招いてもてなしています。その席には父である俊益も同席していました。このように倉田家（横田家）と阿弥陀寺は和解しましたが、次の代の横田実政からは阿弥陀寺に葬られず別の場所へ埋葬されています。阿弥陀寺に戻ったのは倉田家（横田家）9代の廷実からのことでした。このように様々な出来事があった阿弥陀寺でしたが、その勢いはしだいに衰えていくことになります。幕末には、阿弥陀寺は荒れて復旧も困難なほどでありかつての隆盛を誇った阿弥陀寺は見る影もありませんでした。御三階（後述）による仮本堂を経て、現在の本堂が建立されたのは、昭和50年（1975年）になってからのことだったのです。これらの阿弥陀寺に関する歴史は、享和3年（1803年）から文化6年（1809年）にかけて編さんされた「新編会津風土記（あいづふどき）」にも、記録が残されています。「会津風土記」は、会津藩主 保科正之の名により、寛文6年（1666年）に完成しましたが、それを補完する情報も含まれた新編として完成したのが「新編会津風土記」でした。「新編会津風土記19巻 若松の5 下町」には阿弥陀寺についてこのように書かれています。阿弥陀寺こちらの町（七日町）より北小路町に通じる小路にあり、正覚山と称した。下野国真壁郡（現在の栃木県芳賀郡益子町）の大沢円通寺末山 浄土宗である。寺を開基した僧は良然といい真壁の生まれ。安積郡（現在の郡山市や二本松市の一部を含む）の善導寺に住んでいたが、病の治療のために会津に来て、数年仮住まいしていた。蒲生秀行の家臣に板倉某（板倉修理）というものがいた。かつて良然と方外の友だったので、秀行に願い出て慶長8年（1603年）にこの寺を開いた。その時、倉田某（倉田為実）が現在の滋賀県より来てこの地に家をかまえていたが、資財をだしてそれを助けた。仏像を安置し礼拝する建物・僧のための宿舎・多目的な建物は大きく立派なもので全て備えられていた。これにより園通寺の末山となった。元和4年（1618年）、高僧130人あまりが集まって大法会がもうけられた。4月から7月まで行事が行われ、今にまで伝わるような大きな催しとなった。良然は後に見性寺を開いて隠居寺とした。その後阿弥陀寺は火災で消失し、仏像を安置し礼拝する建物・僧のための宿舎は復旧されなかった。唯一阿弥陀の像のみ残り客殿に安置された。良然が守ったものだろうと言われている。【新編会津風土記19巻 若松の5 下町】阿彌陀寺 境内千四百三十四歩免除地（阿弥陀寺 境内千四百三十四歩免除地）此町より北小路町に通する小路にあり 正覺山と號す（此町より北小路町に通する小路にあり 正覚山と号す）下野國眞壁郡 大澤圓通寺末山 淨土宗なり（下野国真壁郡 大沢円通寺末山 浄土宗なり）開基の僧を良然と云い真壁郡の産にて 本州安積郡善導寺に住し 疾あるにより療治のため會津に來たり 數年寓居せり（開基の僧を良然と云い真壁郡の産にて 本州安積郡善導寺に住し 疾あるにより療治のため会津に来たり 数年寓居せり）蒲生秀行の家臣 板倉某と云う者 曾て良然と方外の知己なりし 故秀行に請て慶長八年に此地を開く（蒲生秀行の家臣 板倉某と云う者 曽て良然と方外の知己なりし 故秀行に請て慶長八年に此地を開く）其時倉田某近江國より來り 此鄕に家居せしが資財を出してこれを助く（其時倉田某近江国より来り 此郷に家居せしが資財を出してこれを助く）佛殿衆寮方丈小院巨麗にして皆備れり（佛殿衆寮方丈小院巨麗にして皆備れり）是に於いて圓通寺の末山となる（是に於いて圓通寺の末山となる）元和四年 龍象一百三十餘員を集て大法會を設く（元和四年 龍象一百三十余員を集て大法会を設く）四月より七月まで法門を修行す 今に至るまて相傳えて淨門の盛事とす（四月より七月まで法門を修行す 今に至るまて相伝えて浄門の盛事とす）良然後に見性寺を開いて隱居せり（良然後に見性寺を開いて隠居せり）其後當寺火災に燒亡し佛殿衆寮舊の如くならず 唯彌陀の靈像のみ傳て客殿に安す 良然護持の物と云（其後当寺火災に焼亡し佛殿衆寮旧の如くならず 唯弥陀の霊像のみ伝て客殿に安す 良然護持の物と云）戊辰戦争と阿弥陀寺戦死者遺体の埋葬時代が流れ、幕末期には阿弥陀寺も不穏な空気に包まれていくことになります。会津藩も属した旧幕府軍と新政府軍が戦った戊辰戦争では、戦死者の遺体が阿弥陀寺に改葬されるという出来事がありました。兵器蔵跡前にある現在の井戸戊辰戦争が終結した明治元年（1868年）9月22日（新暦で11月6日）の鶴ヶ城開城後、同年10月1日（新暦で11月4日）には新政府による民政局が設置されます。民政局が設置された翌日2日、鶴ヶ城（会津若松城）城郭内外に放置された遺体を埋葬するようにという通達が出され、3日から作業が開始されました。これは会津藩降伏の10日後のことでした。鶴ヶ城内で見つかった遺体は城内の空井戸2ヶ所に重なるように投げ込まれ、それがいっぱいになると二の丸の伏兵郭（梨園・現在のテニスコート付近）に埋葬された記録が残されています。「城中ノ死人ハ、兵器蔵前ノ空井戸へ打込ミ、井埋ムハカリ、士中、奥女中ノ分ハ、二ノ丸梨子畑ニ埋メタリ」【荒川類右衛門勝茂 著 明治日誌】「二ノ丸に二個の空井戸あり、深さ各数十尺皆死屍を以て満ち、他は悉く梨子園に仮葬せり」【平石弁蔵 著 会津戊辰戦争】現在の鶴ヶ城二の丸、梨園跡「戦死屍取仕末金銭入用帳」（せんしかばねとりしまつきんせんにゅうようちょう）には、会津藩士である赤羽彦作・武田源三・斎藤茂助・水野平八の4名が3組に分かれて行った遺体の捜索と埋葬が記録されています。遺体の捜索の範囲は、郭内（城の外堀の内側のエリア。城・藩の役所・藩校日新館・わずかな寺社・上級武士の屋敷など464軒があった）・郭外・滝沢峠・戸ノ口原・柳橋と高瀬（現在の会津若松市橋本付近）・中明村（現在の会津若松市町北町大字始字中ノ明）・飯寺村（現在の会津若松市飯寺）・一ノ堰村などの広い範囲に及びました。さらに戦死屍取仕末金銭入用帳には、10月3日から17日までの毎日の経費明細・埋葬場所・埋葬人数・遺体発見場所・遺体の服装・遺体の形状などが細かく記されています。この記録によると、郭内で発見された103名の遺体は興徳寺（福島県会津若松市栄町2-12）境内7ヶ所に埋葬されました。その他の場所で見つかった遺体については、発見場所近くの寺など64ヶ所に埋葬されました。現在の興徳寺埋葬が実際に行われた作業期間は10月7日から15日までの9日間となっており、主な担当地域は以下の通り記録されています。赤羽彦作：郭内・郭外（七日町 大和町 甲賀町 四ッ谷）・郊外（中ノ明）で227名を埋葬。武田源三：郭外（西部 南部）・郊外（一ノ堰 飯寺）で184名を埋葬。斎藤茂助・水野平八：郭外（台ノ町）・郊外（戸ノ口原 笹山 強清水 金堀 柳橋高瀬 滝沢）で134名を埋葬。その他、蚕養国神社（会津若松市蚕養町2-1）西畑に新政府軍人足により22名を埋葬。埋葬にかかった費用は74両2朱630文・作業人数はのべ384名でした。米沢藩士である志賀暦助の名前も記されており、宿泊費や昼食代を負担しています。簗田家に伝わる文書である「公用簿籍」にも、民政局が戦死者の遺体を片付けるよう穢多肝煎（きもいり、その役目の人々をまとめる世話役）に指示した発した命令が残されています。一、穢多肝煎左与之助呼出、 御城死人掃除共申聞候事。但左与助左之廉々伺出候に付、村田己三郎様江伺候様、左之通御差図。一、穢多人数御用相勤候者、弐百人程、内百人程帰宅、右之内、先ツ以三拾人差出候様、尤城中通行ニ付而者、検断ニ而板鑑札拵、民政局へ御渡被レ下度旨、願出候様、其下タ是迄之通、城中養ひ被レ為レ取旨、被ニ御聞一、旦御城中死人取片付候はは、郭内郭外共死人取片付候様、 右埋候ヶ所之儀者、最寄之寺へ検断より申遣候様、被仰聞候ニ付、何連差支候筋、有之候はは、検断へ穢多肝煎ゟ（より 合略仮名）申出候様共々申聞候事。但鑑札受取として、明三日七ツ時ニ罷出候様申聞候。 城中死人取片付之儀ハ、明後四日ニ罷出候様申聞候事。十月 民政局【簗田家文書 公用簿籍】さらに公用簿籍には、戦後の遺体の片付けやその他の掃除を行う者は申し出るようにという命令も残されています。今度戦争以来、仆屍城内市中処々に有レ之、見る者難忍候間、如何にも早々仕様方行届度、就而者、埋方入レ念可レ致置追々ニ御仁恤之御沙汰も可レ被二仰付一之御趣意ニ候条、得与市街掃除付置候者共見附次第、其筋江可ニ申出一段、不レ洩様可ニ申付一置候事。辰十月【簗田家文書 公用簿籍】新政府軍（西軍）戦死者たちの遺体は、融通寺（福島県会津若松市大町2丁目7-45）に接して設けられた西軍墓地に葬られました。鶴ヶ城開城の翌月 明治元年（1868年）10月には大垣藩（岐阜県大垣市）が「大垣戦士二十人墓」を建立、同年秋には土佐藩（高知県高知市）が「供養塔四基」、同年11月には薩摩藩（鹿児島県）が「仙城凱旋灯籠碑」を建て、同年12月には肥州藩（熊本県）が墓地を築き、年内には新政府軍側の墓地については体裁が整えられていきました。会津藩の遺体に関しては10月にある程度の埋葬作業が行われていたものの、民政局は1度埋葬した遺体を改葬することを命じました。それには以下のような理由があったと考えられます。・井戸にいれられたままの遺体などの臭い。・短期間での急いで行われた作業だったため地中深くに埋葬できない場合があった。・埋葬が行われていた時期に会津藩に対するこれまでの不満が爆発した会津世直し一揆（ヤーヤー一揆）が旧会津藩領地の各地で頻発し混乱した。・埋葬が降雪の時期と重なった。・誰がどこに埋葬されたか不明な場合も多く、遺族の墓参のために場所が必要だった。阿弥陀寺への改葬このようないきさつにより新政府は遺体の改葬を指示しましたが、改葬先の墓地として指定したのが会津藩の馬や犯罪人が埋葬され不浄と言われていた土地である会津若松市内の小田山付近・または薬師堂川原 / 黒川刑場（福島県会津若松市橋本涙橋付近）の罪人塚でした。これに会津藩士たちは猛反発します。また、当時一般的な身分制度の中では士農工商の下に賤民とされていた人々がおり、それらの人々が犯罪人の遺体を埋葬するなどしていました。賤民の人々によって行われる埋葬は、犯罪人の遺体と同じく石や瓦を投げ捨てるように会津藩士の遺体を扱っていたと言われています。そのため会津藩士たちは、改葬場所の変更と賤民以外の人手による埋葬を何度も嘆願しました。その結果、改めて改葬先として指定された場所の一つが当時荒れ果てていた阿弥陀寺だったのです。阿弥陀寺では明治2年（1969年）の2月24日（新暦で4月5日）に改葬が始まりました。近くの寺に仮埋葬されていた遺体についても、阿弥陀寺に改葬が行われています。3月9日からは鶴ヶ城内の遺体について身元が分かるものはそれぞれの菩提寺に埋葬され、身元不明の遺体は阿弥陀寺へと改葬されました。「戊辰戦死者遺骸埋葬記」によると、武田源三や伴百悦が改葬方として改葬を指揮しています。このような改葬において阿弥陀寺境内には1.5メートル四方の大きな穴が掘られ、城下から集められた遺体が埋葬されました。遺体を並べ、その上にむしろをひいてさらに遺体を積み重ねる埋葬によって、高さは4尺（約1.2m）にも達しました。また、改葬前の10月に埋葬されていた各地の寺院から土が集められ、四方2間1尺5寸（約4m）・高さ7尺（約2.1m）の遥拝所が築かれました。そのように築かれた壇の中心には「弔死標」と記された柱が立てられ、周りには東西4間（約7.2m）・南北4間2尺（約7.8m）の玉垣（境界の柵）が巡らされました。改葬を指揮した伴百悦は、阿弥陀寺の他にも約16ヶ所で改葬の指示をし、その時の記録として「戦死之墓所麁絵図」を残しました。阿弥陀寺の様子も「戦死之墓所麁絵図」に描かれています。阿弥陀寺天朝より諸寺院中の土ヲ集、壇ヲ築、二月中如レ此出来ニ及。大垣（東西三間 南北四間弐尺）壇 （高サ七尺 弐間一尺五寸四方）遙拝所、三月八日九日官軍所ヨリ大施餓鬼致候事明治2年（1869年）3月2日に民政局から通達が出され、3月4日から9日にかけて大施餓鬼会（だいせがきえ・無縁仏に対しての法会）が行われています。これらの法要の間にも阿弥陀寺への改葬は続けられ、その改葬作業は4月22日（新暦で6月2日）に完了しました。そして阿弥陀寺には東西4間余（約7.3m）・南北12間（約21.8m）高さ4尺（約1.2m）の壇が築かれました。しかし他の場所への改葬作業は引き続き行われ、山野に散在する遺体も収容が続けられています。阿弥陀寺戦死の壇東西四間余南北拾式間、高サ四尺七月五日六日七日八宗大施餓鬼供養致候事同じ年の7月5日から7日までは、阿弥陀寺において若松市内や近隣の村々の各宗派の僧侶が集まり法要を営みました。8月23日は新政府軍が会津若松城下に侵入してからちょうど1年目に当たるため、旧会津藩士に広く案内が出され盛大な法要が3日間にわたって行われています。間瀬ミツ（会津藩士、間瀬新平衛の次女。36歳で経験した戊辰戦争では鶴ヶ城に籠城。その後、籠城・斗南移住・会津帰国までを女性の目から記録した戊辰後雑記を記録した。）が記した「戊辰後雑記」にはその時の事についてこのような記述があります。「明治2年8月23日戦死者の一周忌につき3日の間御供事があった。阿弥陀寺・長命寺で大施餓鬼があった。女子供また家内揃って礼拝に出、立派な仮屋が立てられ、法会の後には赤飯が炊かれた。」これらの阿弥陀寺への改葬を指揮した伴百悦は後に、民生局監察方兼断獄の地位にあり悪名高かった久保村文四郎を束松峠（福島県会津坂下町）で斬殺、越後方面へ逃走しましたが大安寺村（新潟県新潟市秋葉区大安寺）で命を落としました。「コラム 伴百悦の墓 画像ギャラリー」も参照追悼施設の建設と変遷阿弥陀寺への埋葬とともに、犠牲者を追悼する施設についても建設が行われてきました。前述の阿弥陀寺における改葬の際、遥拝所が設けられ祭祀が行われると共に、阿弥陀寺は戊辰戦争の犠牲者を追悼する中心的な場所としての役割を果たしました。その後明治3年（1870年）になると、会津藩の新しい領土である斗南への移住が始まります。そのため阿弥陀寺への墓参が困難になることもあり、5月10日に施餓鬼供養が行われました。また8月22日から24日にかけて3回忌が行われています。また、3回忌の頃になると阿弥陀寺の壇が窪んだので1尺（約30cm）ほど土を積み増し、その上に石塔・石灯籠を建て周りに柵をめぐらせました。25日には前年と同様、松平容保・喜徳（容保の養子）は幽閉中のため旧会津藩士が代わりに参拝し、容大（容保の長男）本人が阿弥陀寺に詣でています。明治4年（1971年）7月、廃藩置県により藩が消滅し斗南藩の名前も消えることとなります。移り住んだ旧会津藩士たちも、その地に残る者・移住する者・会津に帰還する者、とそれぞれの道へと進んでいきました。同じ年、鶴ヶ城内にあった御三階が阿弥陀寺に移築され、仮の本堂として用いられることになりました。明治7年（1874年）に行われた阿弥陀寺での祭祀には松平容保が出席しています。大正3年（1914年）10月に阿弥陀寺墳墓を改修した記念の絵葉書。正面から撮影したもの。なぬかまち.com デジタルアーカイブ ：大正三年十月阿弥陀寺墳墓改修記念大正3年（1914年）10月に阿弥陀寺墳墓を改修した記念の絵葉書。側面から撮影したもの。御三階が阿弥陀寺敷地内で移築される前のもので、現在と位置が違う。現在は民家が隣接するため墳墓の側面をこの距離で見ることは難しい。なぬかまち.com デジタルアーカイブ ：大正三年十月阿弥陀寺墳墓改修記念敷地の境界に柵があることから、大正3年（1914年）10月に阿弥陀寺墳墓を改修した時よりも後に撮影されたものと思われる。右側の御三階は、現在では大仏奥に見える藁葺き屋根の建物の位置に移動している。道路の端には側溝があり、人力車の車輪をうまくはめて駐車している。なぬかまち.com デジタルアーカイブ ：会津若松市七日町阿弥陀寺（慶長八年良然上人の開基）第一次拝霊殿の建設明治7年（1874年）または明治8年（1875年）頃には、松田一芥（旧会津藩士、北海道札幌ではじめての牛乳屋を開いた）の手によって拝霊殿が建設されました。この施設は遥拝所を屋内で利用できるよう恒久的な施設としたものです。大正2年（1913年）9月には戊辰戦争戦死者たちを追悼するために「会津弔霊義会」（初代会長 町野主水）が創設されました。同時期、拝霊殿の建物が老朽化してきたため大正7年（1918年）4月15日に、会津弔霊義会により新たな拝霊殿を阿弥陀寺本堂跡に建設することが取り決められます。この建設計画が進められていきましたが、折悪しく第一次世界大戦とそれに伴う世界的な不況により工事は一時中断せざるをえませんでした。工事が中断している間にも拝霊殿の老朽化が進んでいたため、大正13年（1924年）11月に改めて工事続行が決定され、さらに寄付金の募集も再開されています。難しい状況の中の建設でしたが、大正14年（1925年）12月に建物は完成し、正式名称を「戊辰殉難拝霊殿」とすることが定められました。建物の扁額は会津松平家の12代目松平保男による揮毫で、縦3尺（約90cm） 横1尺5寸（約35cm）の欅板が用いられました。旧拝霊殿の平面図・扁額・拝霊殿の写真・当時の阿弥陀寺境内の様子。第二次拝霊殿の建設大正14年の拝霊殿建設の際、会津弔霊義会と阿弥陀寺の間には「阿弥陀寺本堂を再建する場合は拝霊殿を移築する」という取り決めがなされていました。その後、阿弥陀寺本堂が再建されることになりましたが、拝霊殿を移築するのではなく本堂の中に納めるという条件で決定がなされました。昭和49年（1974年）1月12日のことです。このような第一次拝霊殿や第二次拝霊殿の建設の際には、大勢の人々や東京会津会・斗南会津会なども含め様々な団体から心からの賛同とともに寄付がよせられました。これらは戊辰戦争において朝敵とされ、戦後も追い打ちをかけるような仕打ちに耐えてきた先人たちを敬う気持ちで寄付が行われたものです。募金活動の発足：昭和49年6月20日募金活動の終了：昭和50年12月31日募金総額：2,779万2,500円内訳：会津地区 2,099万2,000円東京地区 536万7,000円斗南地区 93万8,500円その他地区 49万5,000円この時に新築された本堂と拝霊殿が現在でも用いられています。そして戊辰戦争戦死者の慰霊祭は、現在に至るまで毎年欠かさず春秋の2回・2日間にわたって行われているのです。現在、北向きの本堂・内陣奥には良然ゆかりの阿弥陀三尊が安置しており、本尊左側の客殿には「戦死招魂霊位」と書かれた大位牌が安置されています。その左側には萱野長修（萱野権兵衛長修）の木像と友軍であった藩の戦死者の位牌が林立しています。それらは徳川士戦死霊位・桑名藩・長岡藩・二本松藩・仙台藩・飯野藩・水戸藩・棚倉藩・庄内藩・新選組の10枚の白木の位牌です。さらに阿弥陀寺には会津若松市の歴代市長2人のお墓があります。1917年8月23日（大正6年）に鶴ヶ城本丸で行われた東西両軍の「戊辰殉難者50年祭」の祭典委員長であった、4代・7,8代市長 松本時正（1906年10月15日-1912年10月10日・1915年6月21日-1922年5月15日）。鶴ヶ城再建に尽力した19代・21-23代市長 横山武（1948年3月28日-1952年3月27日・1956年3月28日-1968年3月27日）の各市長のお墓です。現在の阿弥陀寺平面図と建物の様子。新選組 斎藤一と阿弥陀寺戊辰戦争と阿弥陀寺に関わりのある人物として、新選組三番隊隊長であった斎藤一がいます。斎藤一は会津と共に戊辰戦争も戦いました。会津若松城下に西軍が迫り敗色が濃厚になった頃になると、土方歳三は仙台へと転戦し戦いを立て直すことを決定しました。しかしその当時、土方歳三の負傷により臨時の局長となっていた斎藤一は、文久3年（1863年）以来新選組を庇護してくれた会津藩を見捨てることはできないと主張。土方の片腕として従ってきた斎藤一は会津に残ることを決意します。斎藤一と共に残った新選組隊士は十数人いたといわれていますが、その後の如来堂の戦いなどで命を落としています。神出鬼没な戦いをしていた斎藤一でしたが、奮闘むなしく鶴ヶ城が落城し会津藩が降伏すると会津藩士は塩川と猪苗代で謹慎することになりました。斎藤一は塩川に謹慎していましたが、他の会津藩士と共に越後高田藩に預けられ、一瀬傳八と名乗っています。その後会津藩が斗南に移封されると共に、斎藤一も斗南に移転しました。その頃会津藩の藤田家の養子となり藤田五郎と改名しています。そして会津藩大目付 高木小十郎の娘である高木時尾と結婚しました。斎藤一の妻である高木時尾は新島八重とも親しく、戊辰戦争時には時尾が八重の髪を整えたとの逸話も残っています。鶴ヶ城城下の家臣屋敷が分かる「戊辰若松城下朙細圖」。高木時尾の屋敷には、弟の高木盛之輔（せいのすけ）の名前が記されている。すぐ裏手に新島八重の屋敷があり、兄の山本覚馬の名前が記されている。高木時尾と新島八重は親しい交流があった。その後、警視庁に入庁し西南戦争で活躍・東京教育博物館などに務めましたが、大正4年（1915年）9月28日に胃潰瘍のために死去。死後は会津に葬ってほしいとの遺言通り、阿弥陀寺にある藤田家の墓で眠っています。秋の木漏れ日の中佇む藤田家の墓。遺言通りこの墓に斎藤一は葬られている。墓前にある案内板。新選組隊士 斎藤一（藤田五郎）の墓斎藤一は、1844年（弘化元年） 御家人の父、山口祐助・母マスとの間に生まれた。初名を山口一、のち斎藤一に改めた。1863年（文久三年）壬生浪士組のちの新選組に参加し、副長助勤、三番隊隊長として活躍、沖田総司、永倉新八と並ぶ剣客で剣術師範も務めた。池田屋事件にも参戦。その後、伊東甲子太郎らが、御陵衛士を拝命し、新選組から分離した時伊東に同調して離脱、しかし局長の近藤勇の密命によるものといわれ、油小路で伊東らが暗殺された後、新選組に復帰し山口二郎と改名。鳥羽伏見の戦い等を経て、会津若松城下に入り負傷した土方歳三に代わって新選組隊長となり、会津戊辰戦争を戦った。しかし西軍が城下に迫った時、「会津候(松平容保)あっての新選組、会津を見捨てることは出来ない」と隊士十余名と会津に残り仙台へ向かった土方と別れた。会津藩降伏後は一瀬伝八と名乗り越後高田に幽閉。明治三年斗南へ移る際藤田五郎と改名。その後上京し警視庁に入り、容保の媒的により会津藩士高木小十郎の娘時尾と結婚。警視庁においては西南戦争へ出陣するなど活躍。その後東京教育博物館等へ奉職し、1915年（大正四年）七二歳で逝去。後半生を会津人として生きた本人の希望によりここ阿弥陀寺に眠っている。The grave of a great member of Shinsen-Gumi, Hajime Saito GoroFujita)Hajime Saitou Was born in 1844. He joined the Shinsen-gumi in 1863. He was the captain or 3rd troop. He also took part in the Ikedaya riot, which was a turning point in their career. After theend of the shogunate, the Boshin Civil War started. The Aizu clan fought against the Choshu and the Satsuma clans. The Aizu area was one of the war fronts then. During the Boshin Civil war, the headof the Shinsen-gumi, Isami Kondou, passed away and the vice-head, Toshizo Hijikata, was injured.Hajime Satio became the next head of the Shinsen-gumi and took commandof the army protectingthe Aizu area. Following the formation of the Meiji Government, he changed his name to Goro Fujita and joined the police troops. In 1873, Saito married Tokio Takagi, who was the daughter of an important Aizu official. He passed away in 1915, and now he sleeps here, in Amida-ji Temple, by his request.御三階の移築明治4年（1971年）、鶴ヶ城にあった御三階がこの地に移設されています。火災によって消失していたこれまでの本堂に変わり、移設された御三階が埋葬された人々を弔うため仮の本堂とされました。この御三階は外側から見ると3層の建物ですが、内部は4層になっており時には密談にも使用されていたと伝わっています。御三階は本来は鶴ヶ城の櫓であったため、寺の仮本堂として使用するために鶴ヶ城本丸にあった大書院の玄関を継ぎ足し、入り口を整えました。そのため鶴ヶ城本丸跡に残っている御三階の石垣と寸法が合っていないと言われています。阿弥陀寺境内に建つ御三階。寺の屋根の高さと比べると御三階の大きさが分かる。裏手から見上げる 阿弥陀寺境内 御三階。外側から見ると3階建てに見える。 下部のサムネイル画像を選択すると画像が切り替わります。 裏手から見上げる 阿弥陀寺境内 御三階。外側から見ると3階建てに見える。画像を開く  案内板で紹介されている、御三階 玄関の唐破風。画像を開く     阿弥陀寺境内ある御三階についての案内板。鶴ヶ城の遺構御三階 ごさんがい江戸時代の建築で、明治初年まで鶴ヶ城本丸にありましたが、明治3年にこの地に移されました。外観は3階ですが、内部は4層になっており、2階と3階の間に天井の低い部屋があります。3階に上る梯子は用のない者が上がれないように、上から引き上げる仕組みになっており、当時は密議所に使用されていたと思われます。また、本丸北東の正方形の石垣の上に建っていたところから、物見や展望台の役目を果たしていました。戊辰戦争の戦火で阿弥陀寺が消失したために、長く本堂として使用されてきました。玄関の唐破風は城内本丸御殿の玄関の一部を配したものです。鶴ヶ城の遺構として唯一残る貴重な建物です。【参考文献】「会津大事典」(会津大事典編纂会発行・国書刊行会刊)「会津歴史年表(会津史学会発行・歴史春秋社刊)七日町町並み周辺整備事業 (財)東日本鉄道文化財団・七日町通りまちなみ協議会画像を開く御三階横に佇む黒河内伝五郎（黒河内兼規）の墓。会津藩最強の武芸者 黒河内伝五郎の墓幕末会津藩の武芸家で、兼規または義信ともいう。家芸の居合術だけでなく、神夢想一刀流剣術、宝蔵院流高田派の槍術、その他薙刀、手裏剣、鎖鎌など武芸百般を極め、藩校日新館で武芸指南役を務めていた。長州・萩に招かれたこともあり嘉永五年(1852)に吉田松陰が会津を訪れたとき、ひそかに日新館を見学させた。会津藩最強の剣客といわれ、晩年は失明したが、座頭市を彷彿させるように武芸の技は衰えることがなかったという。会津戊辰戦争で長男義次は戦死、次男義兼は負傷。西軍が城下に攻め入った慶応四年(1868)八月二十三日、伝五郎は次男を介錯した後、自決した。六十五歳だった。古武士を思わせるような典型的な会津人で、平成二十五年NHK大河ドラマ「八重の桜」にも登場している。■墓碑中央に「進義院剣光尽忠居士」と刻まれ、右が長男、左が二男の法名である。左隣の墓碑は母か夫人のものと思われる。画像を開く阿弥陀寺に移築される前に御三階が建っていた鶴ヶ城にも、御三階についての案内板が建てられています。鶴ヶ城（会津若松城）内、御三階跡に立つ案内板。 下部のサムネイル画像を選択すると画像が切り替わります。鶴ヶ城（会津若松城）内、御三階跡に立つ案内板。画像を開く鶴ヶ城内の御三階跡。土台や建物のおおよその面積が分かる。画像を開く     御三階は鶴ヶ城本丸内に位置していた。手前には御三階跡・正面には天守閣・左手には茶室麟閣がある。画像を開く阿弥陀寺と大仏時代が明治に入ると、日本各地で廃仏毀釈（明治維新の神仏分離によって起こった仏教破壊運動）の風が吹き荒れました。この会津にも、明和4年（1767年）9月に早山掃部介伴次が鋳造したもので、飯盛山の旧正宗寺（現さざえ堂 会津若松市一箕町八幡滝沢155）に唐金（銅と錫の合金・青銅）でつくられた高さ3.6メートルの大仏（毘盧遮那仏 びるしゃなぶつ 大乗仏教の仏像）がありました。新編会津風土記巻之二十六 宗像神社には「大仏は御手洗の東、一段高き所にあり、高さ五尺計りの石壇を築き、銅像の釈迦を安ず。長九尺、蓮花座の上に露座す。蓮花座は銅にて高三尺四寸、明和四年に鋳る。」と記録されています。しかし廃仏毀釈によって破壊されかけたため、その大仏は阿弥陀寺に移されました。平石弁蔵 著 「会津戊辰戦争増補白虎隊娘子軍高齢者之健闘 改訂増補第3版」（昭和12年）には、戊辰戦争時の阿弥陀寺大仏についてこのようなエピソードが記されています。七日町阿弥陀寺にある盧遮那仏は、飯盛山 仁王門前にあったものであるが、西軍の兵が乱暴にも一つ残らずことごとくこれを分解して荷造りをして居る所へ、西軍の将校が来て、「いかがいたす。」「ハイこれは青銅ですから横浜の外人に高値で売るのです。」「その方共は神仏にまで手をつけるとはけしからぬ奴ぢゃ、無礼をするとそのままにはおかんぞ。」と戒められてそのままになっていたのを、七日町鍋吹業 丸角の主人谷彦左衛門が安く買受け、手・胴 ・蓮座など離れ離れのまま、二年程道端の畑地にさらし置いていたが、やがて鍋にふこうとしたが、二・三日前より、毎晩深夜になると大仏がうなり出す騒ぎに、町内の者大いに驚き至急寄合して相談の結果もったいないと、これを譲り受け不手際ながらこれを継ぎ合わしたのが今の大仏である。大仏さえ非道な目にあったのだから、普通人民が難儀したのは当然である。 大仏は明和四丁亥歳九月今より百六十年前に出来て飯盛山正宗寺に安置したものである。【平石弁蔵 著 「会津戊辰戦争増補白虎隊娘子軍高齢者之健闘 改訂増補第3版」（昭和12年）】このようなエピソードもありましたがその後大仏は、昭和19年（1944年）に第二次世界大戦中の金属不足の時期に供出されました。そして、現在はその台座が残るのみとなっています。阿弥陀寺御三階からの大仏。 下部のサムネイル画像を選択すると画像が切り替わります。阿弥陀寺の大仏と七日町通り。明治初期に御三階から撮影されたものと思われる。当時の七日町通りはほとんどがわらぶきの屋根であり、当時の生活が伝わる。ディープラーニングによる着色画像を開く阿弥陀寺境内。明治末期に撮影されたものと思われる。右端には大仏が写っている。ディープラーニングによる着色画像を開く     阿弥陀寺境内の大仏。背面からみた様子がわかる。画像を開く阿弥陀寺のガラス写真。フィルム写真が一般的になる以前に、ガラス乾板（感光する写真乳剤をガラス乾板に塗ったもの）を用いて撮影されたもの。手前が現在の七日町通り。当時は砂利道であったことが分かる。会津若松市立会津図書館蔵 会津若松市デジタルアーカイブ画像を開く  明治32年（1899年）の会津若松市市制施行・または明治41年（1908年）の歩兵第65連隊常駐の記念行事、どちらかの時期に撮影されたもの。祝賀行事の際に阿弥陀寺から七日町の山車太鼓台が出発するところ。左手の大仏前の戊辰戦争戦没者の墓は改修前のもの。墓が改修されたのは大正3年（1914年）であった（次の写真も参照）。画像を開く大正3年（1914年）10月の阿弥陀寺。会津の人々の長年の念願だった敷地内の墓地改修が完了したときのもの。左端には大仏が、右には鐘楼が写っている。ディープラーニングによる着色とノイズ補正 下部のサムネイル画像を選択すると画像が切り替わります。大正3年（1914年）10月の阿弥陀寺。会津の人々の長年の念願だった敷地内の墓地改修が完了したときのもの。左端には大仏が、右には鐘楼が写っている。ディープラーニングによる着色とノイズ補正画像を開く昭和8年（1933年）に会津若松市役所によって発行された観光案内から。市内の名所がピックアップされており、阿弥陀寺の写真には大仏も写っている。裏面は青木志満六が描く鳥瞰図が掲載され、阿弥陀寺は「戊辰役戦死者墓アミダ寺」と表記されている。大正3年（1914年）10月の写真と比べると、鐘楼の奥に建物が作られている。当時はまだ七日町駅が設置されていなかった。青木志満六と七日町駅について詳しくは七日町駅も参照。画像を開く昭和19年（1944年）に金属類回収令により供出される阿弥陀寺の大仏。大仏にはたすきがかかっており「出征」していくようす。戦局が厳しくなっていくさなかの供出であった。ディープラーニングによる着色画像を開く阿弥陀寺の大仏が供出される際に行われた式典の様子。ディープラーニングによる着色画像を開く現在の阿弥陀寺境内にある大仏の台座。露座（屋根のない所に座る）の大仏であったかつての姿が想像できる。画像を開く数々の困難を乗り越えて今に至る阿弥陀寺。そんな阿弥陀寺の歴史を感じてみませんか？御朱印について阿弥陀寺では現在御朱印はありません。しかし、会津東軍墓地の御朱印を阿弥陀寺向かいの、七日町観光案内所で承っています。定休日などを公式サイトでご確認の上お越しください。・この記事でご紹介した阿弥陀寺に関わる主な出来事・慶長8年（1603年）良然により開基される。・元和4年（1618年）大規模な法会が行われる。・正保2年（1645年）大火災で建物が焼失。・明治2年（1969年）戊辰戦争犠牲者の阿弥陀寺への改葬が始まる。・明治4年（1971年）御三階櫓が移設される。・大正4年（1915年）斎藤一、遺言により阿弥陀寺に埋葬される。・昭和19年（1944年）大仏が供出される。・昭和50年（1975年）現在の本堂が建立される。この記事でご紹介した資料一覧・新編会津風土記 会津藩（1803年-1809年）・戦死之墓所麁絵図 伴百悦（1869年）・会津繁昌記（1922年）info:ndljp/pid/964388・会津戊辰戦争 : 増補 白虎隊娘子軍高齢者之健闘 改訂増補版 平石弁蔵 著（1928年）info:ndljp/pid/1908818・近江日野町志 巻上 日野町教育会編（1930年）info:ndljp/pid/9571648・蒲生忠知公伝 西園寺源透 著（1933年）info:ndljp/pid/1112640・図説 会津若松の歴史 会津若松市市制施行六十周年記念出版編纂委員会（1960年）info:ndljp/pid/3008948・倉田氏家譜 倉田秀治編（1971年）・戊辰殉難追悼禄 財団法人 会津弔霊義会（1978年）・会津文化財 4号 会津文化財調査研究会編（1984年）info:ndljp/pid/12419375・在家佛教 44（517）在家仏教協会（1995年）info:ndljp/pid/6064182・会津戊辰戦死者埋葬の虚と実 戊辰殉難者祭祀の歴史 野口信一 著（2017年）このページのコラム一覧 元の段落に戻るコラム 板倉修理の氏名について良然の友であり、阿弥陀寺建設で活躍した蒲生家家臣 板倉修理。当サイトでは名字を「板倉」としています。文献によって名字に違いがあるようですが、これは元になった家臣名簿（分限帳・支配帳）の痛みが激しく判別できないケースがあるようです。ここでは蒲生家家臣の一覧から、板倉修理と思われる氏名をご紹介します。●近江日野町志 巻上 日野町教育会編（1930年）近江日野町志の中に、岡崎家に伝わる「蒲生家支配帳」が紹介されています。これによると元の書状には天保15年（1844年）に原本が虫食いのために手入れが行われたことが記載されています。この蒲生家支配帳には、蒲生氏郷時代とその約8年後の秀行時代の家臣の禄高が比較されています。国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1208250/226https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1208250/228https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1208250/246蒲生氏郷家臣として「倉掛修理」の名前がある。石高は700石。上段が蒲生氏郷時代・下段が蒲生秀行時代。元の書状には虫食いに関する但し書きがついていることが掲載されている。●蒲生忠知公伝 西園寺源透 著（1933年）蒲生忠知公伝の中では、蒲生家家臣の松山での知行と会津での知行が比較されています。原本は、仙波隆太郎氏所蔵「蒲生支配帳」と、治城内庫（松山藩文庫）の「蒲生家雀」・「幕府隠密の記」と符合したと記されています。国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112640/31https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112640/45https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112640/30「倉坂修理」の名前がある。石高は700石。松山と会津の比較・仙波隆太郎氏所蔵の蒲生支配帳が原本であることが記されている。●会津文化財 4号 会津文化財調査研究会編（1984年）この本の特集「弥勒寺「蒲生家分限帳」山ノ内岑生」の中では、弥勒寺（みろくじ）（福島県会津若松市大町1丁目5-1）にかつて保管されていた蒲生家分限帳が紹介されており、以下の説明があります。「文久元年（1861年）、当山開基蒲生秀行公250回遠忌に際し、弘真院住職が蒲生家の分限帳なるものを取調べ製本し、寺の什宝とした。その後の明治16年、弘真院住職が弥勒寺に転住するようになってからは、弘真院の書類等も総て弥勒寺において保管されるようになったが、明治29年6月、弥勒寺火災の際にこの分限帳もまた烏有に帰した。しかし幸なことに、加藤長四郎氏がこの分限帳を書写して所持しておられたので、氏に依頼して浄写製本した （明治42年頃）のがこの家臣録である」弥勒寺「蒲生家分限帳」では、「倉垣修理 700石」と記載されています。このように、蒲生家家臣が掲載されている分限帳は痛みが激しく、写本が繰り返されてきました。そのため、写本の過程で誤記が生じたり判別できない氏名もあったと推察できます。これまで紹介したそれぞれの資料に掲載された性をまとめると以下の通りです。倉掛修理（近江日野町志：岡崎家所蔵 蒲生家支配帳）倉坂修理（蒲生忠知公伝：仙波隆太郎氏所蔵 蒲生支配帳・治城内庫 蒲生家雀・幕府隠密の記）倉垣修理（会津文化財 4号：弥勒寺 蒲生家分限帳）当サイトでは、原本を確認できる「新編会津風土記」（詳細は後述）内の「板倉某」という記載を元にし、「板倉修理」と表記しています。（調査継続中） 元の段落に戻る 元の段落に戻るコラム 良然ゆかりの寺現在の栃木県益子町の生まれであった良然は、福島県内の多くの寺院と関わりをもっていました。良然ゆかりの寺をご紹介します。●確実なもの ▲調査継続中▲梅松寺 福島県伊達郡川俣町小島北成沢３天正4年（1576年）良然により創建●円通寺 栃木県芳賀郡益子町大沢1770会津若松市 阿弥陀寺は円通寺の末寺として建設●善導寺 福島県郡山市清水台1丁目1-23天正7年（1579年）円通寺（栃木県益子町）第15世良信の弟子良吸（良岌）により創建▲善導寺 福島県二本松市針道佐勢ノ宮1天正7年（1579年）良然により創建とされるが詳細不明▲無能寺 福島県伊達郡桑折町上町4慶長元年（1596年）良然が創建●阿弥陀寺（会津若松市七日町）慶長8年（1603年）良然が開基●見性寺 福島県会津若松市日新町16-36元和5年（1619年）良然の隠居寺として建設。元和8（1622年）この寺で死去 元の段落に戻る 元の段落に戻るコラム 伴百悦の墓伴百悦は久保村文四郎を斬殺した後、新潟県の大安寺村 坂口津右衛門を頼り慶雲庵に身を潜めていました。現在その場所（〒956-0813 新潟県新潟市秋葉区大安寺）には、墓が建てられています。新潟県新潟市秋葉区大安寺（旧新津市）にある、伴百悦の墓。美しい田園風景の中にある、こんもりとした林がそれである。道路に案内板が表示されている。民家の間の分かりにくい路地を進むので、案内板が頼りになる。路地を抜けると、林の中に墓地の空間が広がる。伴百悦の他にも地元の方の墓地が並んでいる。伴百悦の墓石と、伴百悦庵室跡地の表示柱。新しい墓石が建てられている。「新津市大安寺慶雲庵に於いて 明治3年6月22日没 享年44才」と記されている。墓石の側面と裏面の様子。越後交通 柏村毅社長の手によって整備されたことが記されている。墓地の木々のすき間から望む景色。 \t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t\t 元の段落に戻る#thumbnail_gallery {width:100%;  margin:0px 0;}#thumbnail_gallery_thumb {width:100%; text-align:center; overflow:hidden; 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            "comment": "鶴乃江酒造は老舗酒の酒蔵です。創業は寛政六年と江戸時代から続く歴史を持ちます。その歴史を感じさせる重厚な酒蔵の建物は、会津若松市の景観を代表する一つとなっています。この「鶴乃江酒造」では、気になるお酒は試飲可能。その場で味わいながら、自分好みのお酒を選ぶことができます。酒蔵自慢の鶴乃江本醸造は、酸味と甘味のバランスが絶妙で飲み口は滑らか。また、数量限定の大吟醸はキレ味が抜群でありながら香り高く、深みのある味わいが特徴的です。また、お土産にも最適な商品も充実しています。酒蔵でしか手に入らないオリジナルグッズなど、会津若松市を訪れたら必ず買って帰りたい逸品が揃っています。この酒蔵では時期によっては見学ができるということも。酒蔵の中を見学することで酒造りの工程や歴史に触れることができます。また、酒造りの匂いや木製の樽の質感など、五感で感じることができる醍醐味もあります。鶴乃江酒造は、会津若松市を代表する酒蔵の一つであり、その歴史や味わいは多くの人々に愛されています。ぜひ、七日町通りを訪れた際にはこの酒蔵で歴史や味わいを感じてみてください。",
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