会津の行事

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発行年:不明
品目:絵葉書
画像枚数:13
画像内容:表紙 | 正月 俵引 | 二月 彼岸獅子 | 三月 石部桜 四月 木流観音馬乗 | 五月 柳津講 | 六月 飯豊山御氷取 | 七月 紺屋町盆踊 | 八月 追鳥狩 | 九月 滝沢山茸狩 | 十月 幕之内伊比須講相撲 | 十一月 本郷鷹狩 | 十二月 城下の餅搗

会津の行事 表紙

正月 俵引
旧正月十日宥より積雪を踏みて若衆連大挙大町四辻御制札前に掛声勇ましく揉合い其の熱気は湯気となり凄じさに驚くものありと云う。明けに至りて角の屋上より黒き面をかぶりたる者背に俵を負いスリコギ、扇を持ちて舞う。俵の両端に大き綱をつけ、上町、下町に別れ引合う。上町に引かれば其年米の価高しとなし又町方の役を担うを例とす。

二月 彼岸獅子
長い冬も雪が消える彼岸になると近郷のおくから太鼓と一緒に威勢のよい彼岸獅子がやって来る。ヤット眠りから覚めて昔は獅子同志の喧嘩がつきものでヤタ様と称するお待の次、三男三四人、棒を持って此の警戒の任に当った。はりつめた太鼓、透る笛の音に庶民は無理にも肌寒い中で幣舞う小僧の動きに春を知る。

三月 石部桜
会津五桜の中に加えられ、昔より名高い石部刑部邸中の桜などと云はれている名木である。旧藩の頃は御家中の人々やら庶民に至る迄広くいこいの場として、詩歌、管弦に春宵を惜んだ事と思う現市文化財指定になる天然記念物として愛護さる名木と云わん。

四月 木流観音馬乗
昔は四月八日木流観音に馬の息災を祈る為三々、五々隊をなして詣でる。馬に美麗な鞍を置き鈴など付け五色のシダをなしたるものありて大駈けも此日は赦され馬主は愛馬に跨がり曲乗り放技等も鮮やかに路上の人々ながめあかず子等は青竹を手元の節よりササラに割りたるを地上に打ちつけて馬に気勢を浴びせて一段と騎手の技をまさしむ。

五月 柳津講
昔より広くは越後のあたりより尊崇せられ各々講中によりて年々柳津詣りを行う。藩よりは御殿様にもお詣りありたる趣き御家中にては云うに及ばず。其の盛かんなる事言語に絶せりと今も猶魚渕の魚群多けれ共波間の大魚轟々たる大渦巻きの唸なりもしのふべくもなし。

六月 飯豊山御氷取
飯豊山法印より年々此月には藩主を始めとして加治御祈禱を厳修し霊山の御氷りを蓮台に納めて献上を以って常となす。図は塩川辺り青田を遙かに鶴ヶ城を望み飛脚の足も軽ろやかなり。

七月 紺屋町盆踊
古来より先祖の御霊を慰むる為に興りたる盂蘭盆会、精霊会などと云わ此の踊りは庶民の間に大きな一大行事であり信仰、慰安、娯楽を自から身に付けたるもので此の踊りには各々が想をこらし或は組み或は親子など仮装をこらして夜を徹して踊る所が他にない。図は紺屋町のみゆるされ居りし時のものなり。

八月 追鳥狩
大野ヶ原は昔代之原とも云い武術調錬の場なり、鳥狩は数日に亘りての行事なれば総人員一万余人とも記され兵器馬匹に亘りて其の数甚だし故に年々には行こなはれざるものなり。鳥狩は士中次三男の藩禄を獲得する大切なる機会なり。当日は各種の鳥を放ちて以って馬上より鞭を打って打落し急ぎ御殿山へ打取りたる鳥を提出一番鳥二番鳥と記帳され褒美を与いらる。軍備法度の頃鳥を以って敵に擬したるものか。

九月 滝沢山茸狩
昔より庶民の首狩には滝沢山が選ばれ錦繍の秋を親しんだ。此地より慶山迄京都稲荷山の松茸を移し繁茂、虎斑松茸と称され専ら御用に供されたものと云う。数百年を過ぐるも今猶風趣相継ぎ此地を訪へ秋香を満喫す。

十月 幕之内伊比須講相撲
此の村昔より相撲の盛んなる所にして鬼ヶ嶋と云いる強あり、偶々藩士の中に其の雄となす野出、井深、外一人等此の鬼ヶ嶋には及ぶ可くもなくして試合の都度汚名を重ね遂に切って走る。下而、明治年中大阪相撲を招聘す雨天累月に亘る為に農事を放棄し苦境極に達し爾来此行事自から止む。 幕之内が篤農佐瀬興次右衛門の地なり。

十一月 本郷鷹狩
本郷の鷹狩は藩政時代此地一円盛かんに行こなはれ後庵村に後庵太郎と称す大兵なる農民あり。藩主狩を行こなはるる際には必ず太郎随いり藩主之の者が背に立ちて沼沢河川を渡る。太郎は下司なる身にて憚りもせず放言せるも身をもかえり見ざる忠誠の心こそ却って公より寵愛を受く。容保公の頃とかや。

十二月 城下の餅搗
暮れになると各家競うが如く未明より餅搗が始まり、大家にては近郷親戚知巳を招きて暮餅を振舞う風趣もなつかし。雪深く節季きびしくて行人の心せわし。図は千本杵にて餅搗き、奥座敷にては巳に酒席を設く。


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