会津飯盛山 白虎隊二十士

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発行年:大正5年(1916年)
品目:絵葉書
画像枚数:15
画像内容:会津飯盛山 白虎隊二十士

白虎隊略記

白虎隊関連各所

白虎隊自刃当時の景
波長の役会番士が栄蔵、青龍、玄武、白虎の四部隊を編成して戦い破れその時15才から17までの少年白虎隊は炎上する成を拝し飯盛山にて切愛す
十九名の氏名
伊藤俊彦(16才)返勝三郎(17才)鈴木源吉(17才)西川浩太郎(17才)森田儀三郎(17才)有賀継之助(16才)津川喜代美(16才)間頼原駅(17才)津田冷蔵(17才)石日和助(17才)安達藤三郎(17才)第瀬武治(16才)永瀬雄大(16才)伊藤次郎(15才)池上新太郎(16才)野村駒四郎(17才)本八光治(16才)井森茂太郎(16才)石山虎之助(16才)

白虎隊自刃当時の景
明治元年戊辰の役に殉じた飯盛山白虎隊の墓
飯盛山の中腹にあり戊辰の役に会津藩が官軍に抗した時15才から17才迄の少年は白虎隊に属し死力を尽して戦ったが力遂に及ばず最後までふみ留った19名は飯盛山に登り炎上する城を拝して自刃し果てたという封建時代の最後の光彩を放った処である。

津川喜代美・間瀬源七郎
白虎隊津川喜代美君十六才
津川君の父を高橋清八と云い彼は幼き時津川瀬兵衛に養はれ十才にして藩校日新館に入学し戌辰のには白虎隊に伍し戸ノ口原に勇戦飯盛山 にて自刃す。
白虎隊 間瀬源七郎君十七才
間瀬君の父を新兵衛と云い家禄四百石なり彼は十才で藩校日新館に入り十六才にて講釈所生に進み戊辰の役には白虎隊に参加し飯盛山にて自刃し臣節を尽す

石山虎之助・石田和助
白虎隊石山虎之助君 十六才
石山君の父は井津数馬と云い彼は幼時石山弥右衛門に養はれ天性の記憶力に富み五、六才の頃小倉百人一首を譜誦せしと云われ戊辰の役には二番隊となり力戦の後割腹せり 白虎隊 石田和助君 十六才
石田君の父は龍玄と云い藩の御側医にて彼は十才の年に藩校日新館に入り学術優等を以て殿様より度々賞を賜う戊辰の役白虎隊に列し飯盛山にて割腹戦死す

西川勝太郎・鈴木源吉
白虎隊西川勝太郎君十六才
西川君の父は半之丞と申し知行三百石で二之丁に住み彼は藩公の御供をして滝沢を守りましたが二隊に別れ一は敵に当り一は滝沢を守らんとの相談となりましたが皆疲れ戦う事できぬ故に自殺すべしと十九人一同割腹しました 白虎隊 鈴木源吉君十七才
鈴木君の父を玄甫と云い家禄百二十石で郭外長丁に住み彼十才の時藩校日新館に入学し文武のわざを学び武術が得意にて槍は宝蔵院流、剣術は真天流で戌辰の役に白虎隊に編入せられ奮い戦うたが利あらず飯盛山に退き遂に自刃す

篠田儀三郎・池上新太郎
白虎隊 篠田儀三郎君 十七才
篠田君の父は兵庫と申し家禄二百石郭内米代二之丁に住み彼は信実にして人との約束は必ず実行し戊辰の役には白虎隊に編せられ屍は原野に横たうべしと戸ノロ原に戦い力きて飯盛山に退き果して腹を切りて死せしは十七の時でありました 白虎隊池上新太郎君 十六才
池上君の父を与兵衛と云い家禄若干郭外御厩町に住み戌辰の役には寄合半隊長に申し付けられ揚枝口に出張しました彼は同役に白虎隊となりて戸ノロ原に戦い利あらず衆と飯盛山に登り割腹しはてました

簗瀬勝三郎・井深茂太郎
白虎隊 簗瀬勝三郎君十七才
簗瀬君の父を源吾と云い家禄三百石郭内二之丁に住み十一才にして藩校日新館に入り文武を学ぶ弓馬、剣を残らず優等にして調練を畠山、沼間両氏に習う 白虎隊 井深茂太郎君十六才
井深君の父を守之進と云い家禄三百石なり彼は文学を好み十三才にて藩の学制講所生に進み頗る勇気あり十六才の時敵を戸口原にむかえ戦い利なく自刃す。

伊藤悌次郎・津田捨蔵
白虎隊 伊藤悌次郎君十七才
伊藤君の父を辰之助と云い彼の家は藩の砲術家山本先生の近隣なるを以て自然に其術を習ひ得たり戸ノ口原出陣の際は父に請い兼光の刀を帯び奮戦す 白虎隊 津田 捨蔵君十七才
津田君の父を半蔵と云い芝会津藩邸に住み彼は幼き頃より武術文芸を好む戌辰の役起るや会津に帰り白虎隊に編入会戦するが利あらず飯盛山に登り見事自刃す。

伊藤俊彦・永瀬雄治
白虎隊伊藤俊彦君 十七才
伊藤君の父を新作と云い川原町堀端に居住し彼は西軍いよいよ会津に迫るや白虎隊に入り戸ノロ原に戦い利なく飯盛山に登りて城を拝し自刃せり 白虎隊 永瀬雄治君 十六才
永瀬君の父を丈之助と云い家禄十八石三人扶持郭外花畑に住み彼は戊辰の役に藩公容保公に随い白虎隊に列し戸ノ口原に戦い利あらず飯盛山にて割腹す

林八十治・梁瀬武治
白虎隊 林八十治君 十六才
林君の父を忠蔵と云い家禄十石二人扶持郭外新町三番丁に住み藩校の教職に任せられ人の子弟を教育せんには先ず自家の子弟を善く教育すべしとて心を用いて彼を教育しました戊辰の役は白虎隊に列し戸ノロ原に向い戦い破れ共に飯盛山に退き鶴ヶ城を望み城陥りしものと思い自刃す 白虎隊梁瀬武治君 十六才
簗瀬君の父を久人と云い家禄百五十石郭内本三之丁に住み藩校日新館に入りて文武を学び最も弓術を好みまた水泳も巧みで或日大川橋を渡りし時一老婦誤って水中に落つを水中に飛込み救ける後白虎隊に入り戸ノロ原に戦い利あらず飯盛山に自刃して死す

飯沼貞吉・有賀織之助
白虎隊飯沼貞吉君(後蘇生す)
戦い利なく白虎隊一同が飯盛山に引揚げ自刃して居る有様を某が発見未だ一人細き息の通って居る少年あり直に手当を加えた結果蘇生し後逓信省に課長として勤務されていましたが現在は故人になっています 白虎隊 有賀織之助君 十六才
有賀君の父を権左衛門と云い彼は文武を藩校日新館に学び武術はその長する所で九才の時薙刀を揮えりといわれ白虎隊士中二番隊となり奮戦し飯盛山に退き自刃す

野村駒四郎・安達藤三郎
白虎隊 野村駒四郎君十七才 野村君の父を清八と云い家禄百三十石郭内二之丁に居住し彼は成長するにおよび藩校日新館に入学し文武を兼修せし中にても槍術は最も得意であり戊辰の役白虎隊となり奮戦しましたが衆寡敵せず飯盛山にて自刃す 白虎隊 安達藤三郎君十七才 安達君の父は小野田助右エ門と云い家禄三百石後に彼は安達家に養はれ十一才にして藩校日新館に入学す戌辰の役に戸ノ口原に勇戦するが時利あらず切腹す。


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