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七日町駅



七日町駅

おすすめポイント
七日町通りのシンボルでもあるレトロな駅舎です。

まちなか周遊バスなどの発着点でもあり、観光シーズンには多くの人で賑わっています。
冬季間には駅舎や周りの木々がライトアップされ、雪景色とともに幻想的な風景を作り出します。
外壁はちょっと古びていますが、古き良き日本の駅を思い出させる雰囲気です。人混みの中、地元のお国訛りも聞けるかもしれません。

駅にコインロッカーは設置されていませんが、すぐ近くの七日町観光案内所で有料手荷物預かりサービスを行っています。

駅の開設にかけた熱き思い 七日町駅は、会津若松駅と西若松駅の中間に位置しています。会津若松と西若松の2駅間は短い距離しかないため、さらにその間に新たな七日町駅を新設するためには大変な苦労と調整が必要でした。

そのため、昭和9年(1934年)に七日町駅が開設された際、ガソリンカー(ガソリンエンジンを動力として走行する鉄道車両)のみの停車場として用いられることになります。
その後、会津若松市の発展とともに七日町駅を普通駅とする陳情がなされていきました。第二次世界大戦中は陳情を一時休止せざるを得ない世情でしたが、戦後再び陳情の気運が盛り上がっていきます。そしてついに昭和23年(1948年)、現在の前身となる駅舎が完成し、普通駅としての七日町駅が誕生したのです。

これらの経緯に関しては、七日町駅前に建てられた「七日町駅開設記念碑」に記されています。
この記念碑の台座は、かつて大町四つ角に建てられていた「会津新道碑」の台座でした。

七日町駅開設記念碑 七日町駅を見守る七日町駅開設記念碑。昭和37年(1962年)12月5日に、七日町駅開設15周年を記念し建てられた。土台部分はかつての「会津新道碑」の台座が用いられた。


七日町駅開設記念碑を拡大したもの (画像を選択すると高画質版を表示します。3.32MB)

七日町駅開設記念
明治維新以後歴史に見られる日本の文化産業経済の発展は何よりも鉄道施設による交通網の開発が大きな礎石となったのである
会津の今日に至った栄光の歴史もまた同様で即ち
明治三十二年(明治32年(1899年))郡山若松間の岩越鉄道の開通
大正三年(大正3年(1914年))若松新津間の磐越西線の全通
昭和二年(昭和2年(1927年))会津滝ノ原線の上三依までの開通
昭和三年(昭和3年(1927年))会津河口線の柳津までの開通は本市の近代都市建設への脱皮を如実に物語っている

七日町通りは昔より越後街道の要衝として栄え若松随一の繁華街を誇ったのであるが会津両線の開通によって列車が素通りとなり年と共に衰退の一途を辿ったのである
こゝに七日町々民は町の将来を憂れい関係各方面に対し七日町に停車場の設置方を強力に陳情したのであるが会津若松駅と西若松駅間はわずか三粁一分(3キロメートル いちぶん)の近距離にありその中間に駅を設置する事は全国にもその例がないので実現は至難を極めた
然し有志諸賢の撓まざる運動の結果 昭和九年十一月(昭和9年(1934年)11月)遂にガソリンカーのみの停車場が設置され その後七日町無人駅を利用するもの年とともに増加 市勢発展上からも普通駅昇格の気運再びもり上がり陳情を続けたのであるが 太平洋戦争の勃発により陳情を一時中止せざるを得ない実情に至ったのである

戦後日本全土の復興と普通駅昇格への気運再び盛り上がり 昭和二十二年一月(昭和22年(1947年)1月)渋川健二氏を委員長とする七日町駅新設期成同盟会が結成され 当時参議院鉄道建設員橋本万右エ門氏をはじめ地元選出の衆参両院議員県会議員三代に亘る若松市長市会議員等関係の方々の絶大なる協力のもとに 請願駅として実現方を仙台鉄道局に陳情し 又昭和二三年五月(昭和23年(1948年) 5月)には小林喜四郎氏を委員長とする七日町駅建設委員会を設立し 駅舎建設資金募集に東奔西走した
この様な地元の熱意が陰に陽に関係官庁を刺激し 幾多の紆余曲折を経て ついに昭和二三年一二月五日(昭和23年(1948年)12月5日)現在の如き七日町駅が誕生したのである

当時駅舎の予算は百参拾余万円(130余万円)で建設され 六拾参万円(63万円)は地元寄附 参拾万円(30万円)は近村寄附 五拾万円(50万円)は若松市負担となった

その後昭和三十年(昭和30年(1955年))北会津郡下八ヶ村の合併により名称も会津若松市と改称され 名実共に会津第一の都市となり七日町駅は全会津えの基点駅となったばかりでなく市の中央駅となったのである

近時産業都市或は基幹都市建設がさけばれている現状に鑑み 且つ本年野岩線並びに只見線の着工決定を見て 共に今後の当駅は極めて重要な地位を占めることは明らかであり 将来の会津若松中央駅として名実共に大いに発展されることを念願して 七日町駅開設一五周年(15周年)を記念し茲に経緯を記したのである

昭和三七年一二月五日(昭和37年(1962年)12月5日)
会津若松市長 横山 武※1 題字撰文
小林春駒 敬書

※1横山 武(1906 - 1971)会津若松市長。鶴ヶ城再建のために尽力された。天守閣近くに銅像が建てられている。


七日町駅開設記念碑 裏 七日町駅開設記念碑の裏面。寄附者の名前が刻まれている。


駅の衰退と再起までの道のり 七日町駅は、七日町通りの街づくりにおいて重要な場所でもあります。
七日町通りがシャッター街からの脱却と新たな街づくりに成功しつつある頃、当時無人駅だった七日町駅の雰囲気は良いとはいえないものでした。
町並みに合わせて駅の雰囲気を明るくするために、当初七日町通り協議会ではJR東日本に対して駅員を常駐させてくれるように陳情します。粘り強い交渉の結果、有人駅になることは実現しませんでしたが駅を借り受けることができるようになりました。
そして七日町通り協議会が主体となり、福島県や会津若松市の資金面での支援を受け駅舎を大正浪漫調の洋館に改修することが実現しました。同時に会津地方の特産品のアンテナショップが併設されることになります。その結果、現在のように七日町通り観光の起点・七日町通りのシンボル的な存在へと劇的に変化し今に至っています。

国鉄時代の七日町駅 国鉄時代の七日町駅。1983年8月撮影。右下には現在も残る「七日町駅開設記念碑」の土台石が写っている。自動車・自販機・国鉄コンテナ看板・服装などからも当時の雰囲気が伝わってくる。


七日町駅関連する路線の主なあゆみ

明治32年(1899年)起点の若松駅(現在の会津若松駅)が岩越鉄道※1の駅として開業。
大正15年(1926年)国鉄会津線の会津若松 - 会津坂下間が開業。西若松・会津本郷・会津高田・新鶴・会津坂下の各駅が開業。
昭和9年(1934年)会津線にガソリンカーのみの停車場として七日町駅※2が開業。同時期に根岸・若宮の各駅が開業。
昭和20年(1945年)七日町駅・若宮駅の営業を休止。
昭和21年(1946年)七日町駅・若宮駅の営業を再開。
昭和22年(1947年)七日町駅新設期成同盟会が結成。※3
昭和23年(1948年)七日町駅建設委員会が設立。※4
昭和23年(1948年)七日町駅が普通駅に昇格。
昭和37年(1962年)七日町駅開設15周年を記念し、七日町駅開設記念碑が建てられる。※5
昭和59年(1984年)無人駅となる。
昭和62年(1987年)国鉄分割民営化によりJR東日本の駅となる。
平成14年(2002年)駅舎をリニューアルし、駅カフェを併設。

※1 現在のJR磐越西線。郡山から新津を結ぶ私設鉄道として計画された。明治25年(1892年)に福島県知事に就任した日下義雄は路線開通のために奔走した。開通後、明治39年(1906年)に官設鉄道岩越線に、大正6年(1917年)に磐越西線となり、現在のJR磐越西線へと継承されている。
※2 昭和9年(1934年)11月1日。
※3 昭和22年(1947年)1月。
※4 昭和23年(1948年)5月。
※5 昭和37年(1962年)12月5日。



アクセスマップ
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駐車場
七日町駅隣り、パチンコジャンボ駐車場の脇に駅カフェ用無料駐車場あり
定休日
新型コロナウイルス感染症の影響により、定休日が変更されている場合があります。
なし (全店舗の定休日を見る)
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無料
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